新JOOKOのふぉとエッセイ

     東海道53次探検ウォークや、四季折々の出来事
     そして仏像造顕所勢山社関連など、写真もお楽しみに♪

神奈川勢山会の見学会に参加して「その2」

2009-05-24 | 勢山社特派員だより
須磨寺に訪れることができ、一番喜んでいたのは私だったかもしれない。

今回の見学会の魅力は、コースに須磨寺が入っていたこと。
なぜならば、平成16年に須磨寺本堂へ納められた六観音像に、いつか会いたいと思っていたからだ。

彩色や截金が施された観音様たちは、工房を訪れるごとに装いを変えていて、ただ美しいと表現するにはもったいないほど。どうも一目ぼれをしてしまったようだ。

「薄暗かったお堂が明るくなりました」との説明のとおり、六観音様は厨子の中から素晴らしい輝きを放っていた。
この観音様たちは大変な人気振りだそう。以前ポスターにもお出ましになり、それを欲しがる人も現れたとか。
    

普段入ることのできない内陣に入れていただき、厨子の扉も特別に開けてもらえた(通常は毎月18日の観音様の縁日のみ開扉)ので、近くでお目にかかれたことが何より嬉しい。
    

前日の永澤寺さん同様の歓待振りに、強い信頼関係があればこそと、忙しい中、案内役を引き受けてくれた勢山さんにも感謝だ。

源平ゆかりの寺として有名な須磨寺は史跡も多い。広い境内の木々が色づく季節もさぞ美しいことだろう。

前日から引き続き、かなり歩いているから高齢の方たちはさぞかしお疲れ?と心配になり周囲を見渡すと、大きな木の下で数人が談笑する姿が目に飛び込んできた。
ちゃんと一休みをしているようだから一安心。
    

六観音さまへの対面を果たし、満足気分でバスは次の目的地の焼津・全珠院まで4時間をかけひた走った。
窓の外の景色が流れ、田植えをしたばかりの田んぼが目を楽しませてくれる。日本の景色って素敵だ。

全珠院の千手観音菩薩像は日本一の千手さん。純金箔が押された4m20cmのお姿は何度見ても圧巻だ。
勢山さんが様々なお像の造顕を手がけていることを知ってはいても、写真で見るのとは違う感動を誰もが味わっているに違いない。
    

良い旅ができた。
見学の内容はもちろんだが、30歳代から80歳代の人が共に過ごした二日半がことのほか心地良かった。

気負う様子も無く、気がついた人が必要とする人に手を貸すという場面を目にするたびに、“まるで大きな家族みたい”と感じた今回の見学会で、多くのことを得たように思う。

勢山さんを応援する「神奈川勢山会」がこういう雰囲気だから、「勢山社佛像彫刻展」にも、多くの人たちがお手伝いに駆けつけてくれるのだな~と納得だ。

皆さんお疲れ様!そしてありがとう!!

そして最後にもう一つ。
最高齢を自慢?していた勢山さんのお母さんは、翌日の朝、疲れを見せることなく、いつもどおり散歩に出かけたそう。見習わなければ!

神奈川勢山会の見学会に参加して「その1」

2009-05-13 | 勢山社特派員だより
夕方からの大移動だったにもかかわらず、みなが元気そうなのでホッとした。参加者22名の中には70歳代や80歳代の方もいたから、気になるのは健康面。だが心配は無用だったようだ。

勢山社舞子工房+納入社寺見学会を心待ちにしていた様子の参加者は、バスの中でもとても楽しそう。羨ましいくらいに話が弾んでいる。この日初めて顔を合わせた人もいるというのに、まるで旧知の友のようだ。

前日の夕方に藤沢を出発。高速道路をひた走り夜中に宿に到着し、見学会は翌日早朝からはじまった。

比良山を背にした舞子工房周辺は色濃い緑に覆われ快晴で無風。素晴らしい日和だ。

8時すぎ、工房内は見学者のための準備が整っていた。
「せっかく来てくれるのだから、色々見てもらいできるだけの説明をしたい」という勢山さんの姿勢にはいつも感心する。どんなに忙しくても手を抜くことがないのだなと、時々手伝いに加わりながら思う。

製作途中や修理中の像を見ながら説明を聞き、荒彫りや截金作業に勤しむお弟子さんたちの様子を見学していたら、あっという間に2時間が経ってしまった。
    

勢山さんたちも同乗し、バスは兵庫県三田市へ向かう。

「まるで勢山社の展示室のようですよ」とご住職様が冗談めかして言われるほど、永澤寺(ようたくじ)には勢山社の彫像仏が多い。
中でも、永澤寺様式と名付けられた仁王門の四体の仁王さんは、ご住職様が病床で感得され実現したとのこと。一般的な怖い形相の仁王さんの後ろのお部屋には、心の内を表したという優しいお姿の内心仏が見られた。
    

また本堂には、永澤寺を開山した通幻禅師のお祖母様を表した地蔵菩薩像が。観音堂にはお母様を表した大観音像が奉安されている。

誕生後すぐに母を失い、7歳の時に育ての親である祖母までも亡くしたという、通幻さんの心情を思い造顕を思い立ったとのこと。いずれの像も極彩色と截金が施され、そのお姿には荘厳さが漂っていた。
        

その他にもそれぞれの場所で、僧形文殊さんやおさすり布袋、毘沙門さんなどが大活躍の様子だ。
    

摂津と丹波の境、標高550mに位置する永澤寺は、花の寺というだけあり境内は緑と花々で彩られ、八重桜がまだ咲いていたのには驚かされた。
ボタン園や菖蒲園などが隣接しているから、憩いの場所にもなっているのだろう。五月晴れのもと、多くの人で賑わっていた。

本堂でご住職様自らのご挨拶を受け、お茶の接待までしていただき、その後もご案内いただくなど、もったいないほどのおもてなしに皆感激の様子だった。
      

ようやく春の裏磐梯

2009-05-05 | ノンジャンル
「つい最近まで雪が残っていたのよ」
散策途中に挨拶を交わした地元のおばあさんによると、例年に比べ降雪量は少なかったのに季節はずれの雪が降ったとのこと。4月下旬の雪はさすがに珍しいようだ。

長い冬の間、雪の下で耐え忍んできたシダの葉は、まだ立ち上がることができず地面にへばりついていたし、雪の重みに負けたのか、枝先だけでなく太い幹が無残にも折れた赤松や桜が痛々しかった。

色濃い緑に覆われ初夏のような陽気の日もあったから、一ヶ月前にタイムスリップしたような裏磐梯の景色は思いがけなかった。
    

芽吹きはじめの木々と桜の花などに加え、スミレやニリンソウ、カタクリやミズバショウなどの花々が私たちを迎えてくれた秋元湖周辺。
餌を求めて忙しそうに枝をつつく、キツツキの仲間のコゲラも愛らしい。
      

突然、見たことのない鳥が現れ、まるで道案内をするかのように先を飛んでいくので、何とか写真を撮ろうとしたのだが中々うまくいかない。何しろ相手には羽があるのだから仕方がないのだが、すぐにはあきらめられずかなりしつこく後を追ってしまった。
    

秋元湖周りには公共の交通機関がない。
周辺は車道を兼ねたサイクリングロードになっているのだが、数台の車と自転車青年が追い抜いていったきり。歩いているのは私たちだけだ。

唯一バス便がある秋元湖入口から、中津川渓谷までの往復6時間近くをかけたウォーキングに「まだまだいける!?」と身も心もリフレッシュ。自分の足に感謝しなければ。

裏磐梯の数多くの沼や湖は、明治21年の大噴火によって形成されたそうだ。

訪れる時間帯などで、様々な色に変化する五色沼は有名だがその歴史は意外に浅い。
      
    

大噴火で村々は湖に沈んでしまった。
桧原湖を観光する遊覧船からは、時折、神社の鳥居などを湖底に見ることができるという説明に、当時の噴火の激しさと被害者の無念さを思った。
          

大きな被害の後、自然は見事によみがえり人々を楽しませている。
これから新緑の季節がやってくる五色沼周辺は、益々美しい景色となり人々を魅了するのだろう。