新JOOKOのふぉとエッセイ

     東海道53次探検ウォークや、四季折々の出来事
     そして仏像造顕所勢山社関連など、写真もお楽しみに♪

戦後70年の夏に思うこと

2015-08-08 | ノンジャンル
雨戸を開ければ今日もお日様ギラギラ!
梅雨時期の晴れ間はあんなに嬉しかったのに、連日の猛暑に辟易のこの頃は「もう勘弁して~」と思ってしまう。

実は先月広島に行って来た。
連続して発生していた台風の影響なのか、いきなり大雨になったかと思えば薄日が射したりと天気がめまぐるしく変わる道中だったのに、広島市街には穏やかな青空が広がっていてホッとする。

広島平和記念公園は緑が多く、あの日火傷をおった多くの人が水を求めて入水した2つの川は涼しげだ。
70年前に、世界で初めて原子爆弾が投下された場所の風景ものどかそのもの。
当時のままの姿の原爆ドームを目の前にしても、戦争の悲惨さを後世に伝える場所ということをしばし忘れてしまいそうになる。

一瞬にして奪われた多くの命と日常。
何が起きたのかも解らないまま、現実を受け入れざるをえないないことへの怒りや悲しみ。そして今だに続いている苦悩・・・。
そんなことを思うと、一番凄惨であったその場所に、のんきに立っている事自体が申し訳ない気になる。
                        

平和記念公園を訪れるのは2回目だが、前回はツアーだったため時間がなく資料館には行けなかった。
今回は70年前の広島を感じることが目的。資料館入館は自ずと厳粛な気持になる。

夏休みにはいっていたこともあるのか、家族連れや旅行者風の人々、そして思いの他外国人の姿が多い事に驚かされた。
日本人も外国人も皆真剣に説明に耳を傾け、展示物と説明文を何度も見比べていたのが印象的だった。

焼け焦げた遺品の前で、お母さんが子どもに「きっと熱かったよね。かわいそうだね」と話しかけていたが、こういうことって本当に大切だ。

数々の展示物はその時の惨状を物語っており、目をそむけたくなるような写真などもあったが、現実を受け入れなければいけないと自分に言い聞かせた。
    
            

    

戦後70年・・・
自然災害や事故などでも、「今」が断ち切られてしまうことはある。
でも、避けようのない自然災害とは違い、戦争は人がつくりだすものだ。
国同士の争いが起きてしまえば、私たちはその渦に巻き込まれるしかない。
個人の力ではどうにもならないのだから、どんな理由でも戦争をするべきではないと強く思った。

ところで最近、声優の堀絢子さん演ずる、ひとり芝居「朝ちゃん」を観る機会を得た。
原爆の被害にあった朝ちゃんを、友達の秋ちゃんが発見し、朝ちゃんのお母さん、お兄ちゃんと一緒に必死に助けようとする内容だ。

セットは簡単だったが、堀さんの真に迫る演技に引き込まれ、70年前の広島の惨状を目の前にしているような気がした。
そして、お医者さんだったお父さんを原爆で亡くした堀さんの、平和の大切さを伝えたいという執念のようなものを感じた。

ちなみに堀さんは、「忍者ハットリくん」や「新お化けのQ太郎」など多くの声を演じているそうだ。

原爆の恐ろしさ、平和の大切さなどを伝えるために、その人のなりの方法で行動している姿を見ると頭が下がる。

自分にできることは何かと考えても、そういう場にできるだけ足を運び見て聞いてということぐらいしかできないが、それも大切かもしれない。

そういえば、今は亡き私の父は、志願して旧海軍の予科練に入ったそうだ。
そんな話を聞いたのは高校生の頃だっただろうか・・・。予科練時代の写真を見せられた事をふと思い出した。
今と違い父と娘の関係は微妙だったから、積極的な会話には進まなかったが、戦時中自分が体験した事で何か話しておきたいことがあったのかもしれない。
もっともっと、色々な話を聞いておけば良かったと今さらながら悔やまれる。