新JOOKOのふぉとエッセイ

     東海道53次探検ウォークや、四季折々の出来事
     そして仏像造顕所勢山社関連など、写真もお楽しみに♪

おすすめ!早朝活動

2019-06-30 | ノンジャンル
大げさなことでなくても、常に何かを選びながら(判断しながら)日々を過ごしているのだな~とつくづく思う。

その日の行動や食べ物など生活の仕方はもちろんだし、新しいことにチャレンジするかしないかとか、誘いに乗るか乗らないか・・・とか、例をあげたらきりがないだろう。

私の場合、写真撮影に出かける時の場所選びなど、さっと決まる時もあればあれこれ迷い、特に季節の花たちや自然をめがける時はかなり悩む場合も・・・。
その時々で選んだことに対して、違う方にすれば良かったと思うのは仕方がないこと?

でも一番後悔するのは、迷いすぎて実行しなかった時かもしれない。

でも今回は悩まなかった!
桜の頃の京都早朝散策に味をしめて、用事の前に嵯峨・嵐山散策をすることに。

「また夜行?」という家族の目線に気が付かないふりをしてバスに乗り、5時半頃京都に到着。
朝ごはんと身支度を済ませてJRに乗れば、6時半頃には嵐山に着くはず。
観光客が出てくる前の、しっとりとした嵯峨野を想像するだけでワクワクしてしまう。

予定通り6時半頃行動開始だ。
嵯峨嵐山駅前は人気がなく、例年なら梅雨まっただ中なのに、今年は梅雨入り前で快晴なのが何より嬉しい。

渡月橋方面に向かおうか竹林の道方面に行こうか悩み、まずは竹林の道方面へ。
嵐山はかなり前に友人と訪れたことがあるが、とにかく人が多かったことしか覚えていない。

早朝散歩をする人は見かける位で、静けさが漂う天龍寺の前を通り角を曲がると、ほどなく竹林が現れてその先に野宮神社があった。
    
    

苔むした境内の野宮神社には朝日が降り注ぎ、その美しさといったら!
苔を熱心に撮影している人がいたので、邪魔をしないように先へ向かうことに。

いつもの事だが、一つを選んでも他の事が頭から離れないのは仕方がないことなのだろうか。

時間が経つにつれて、少しずつ人が増えてきたので、渡月橋界隈の様子が気になりだした。
竹林の道から常寂光寺方面に向かって渡月橋に行くと時間が遅くなると思い、とりあえず引き返し桂川方面へ。

う~ん、選ぶのって本当に難しい。

渡月橋を渡るのは久しぶりだ。
桂川が氾濫しこの付近で浸水被害があったのは6年ほど前だが、ニュースでの見た光景は悪夢のようだったことを思い出した。
そういえば、昨年の台風の時も冠水し危険水位を超えたような・・・。

そんなことがあったことををみじんも感じさせない穏やかな川の流れと、付近の景観に目を奪われしばらく川沿いを散策した。
    

行ったり来たりだけれど、1人行動の良さは気の向くままということにつきる。

桂川上流の船着き場付近で小道を見つけ、静かな町並みに誘われ進んだら天龍寺の境内に出たのでラッキー!
広々とした空間の静寂な空気に身が引き締まる思いだった。
    
    

2時間散策予定を3時間に延長することにして、今度こそ竹林の道へ。
更に人が増えてきたけれどまだ朝の時間帯で、静かな空間を求めて早起きしたのね~と思いは同じだ。

野宮神社から先の竹林は更に素晴らしく、清々しい気持ちでいっぱいになった。
お留守番組に申し訳ないと思いながら、この時間がもてたことに感謝感謝。

タイムリミットが近づいて来たので、先を急ぎトロッコ嵯峨野駅を経て常寂光寺前からJR駅へ戻ることに。
    

途中の素敵なカフェなどにはまた次回ね~と、野宮神社近くに戻ったら前方から団体さんが押し寄せて来てビックリ!
やっぱり早朝に活動して良かったと思いながら、私の散策は終了だ。
    

けっきょく3時間半近く動き回っていたことになるが、今回の選択は大成功と満足だった。


6月最後の週末、令和初めての台風が予報より静かに過ぎ去ってくれて一安心。
いつもの事だけれどあっという間に月日が経ち、今年も半分が終わりだ。

家事を済ませ空き時間に写真整理をしようと思い、早々と近所に買い物に出かけその帰り道に何か物音がしたので振り返ったら、猫が小さな生き物を追いかけていた。

何かしら?と邪魔をしないように見ていたら、狙われていたのはトカゲのよう。
普段はキャットフードを食べている?猫ちゃんでも狩りをするんだ!
トカちゃんには気の毒だったけれど、ちょっと感心してしまった。

獲物をくわえて、誰かに知らせるように甘え声でニャーニャー言いながら家へ戻る姿に、せっかく成功したのだからご主人様に怒られませんようにと心の中で。

私も負けずにあれこれ選んでチャレンジもして、思い通りにいかなかったら次の機会は違う選択をして、やっぱり行動して良かった!と思えることを増やしていければと再認識だ。

もうすぐ父の日

2019-06-12 | ノンジャンル
思いがけず、予科練平和祈念館に立ち寄ることができた。



    

自分自身が父親が亡くなった年に近づいてきたせいか、アルバムに貼られた父の姿が時々頭に浮かぶ。
と言っても68才で他界した父ではなく、首に白いスカーフを巻き飛行服姿でゼロ戦の前に立つ少年時代の姿だ。

引っ越しを繰り返したせいでその写真はもう手元にないし、目にしたのはかなり前のことなのに何故か鮮明に覚えているのが不思議だ。

旧制中学を中退して予科練を志願したという事、霞ヶ浦にいたという事ぐらいしか知らず、詳しく聞いていないのが今さらながら悔やまれる。
ということは、自分が父が亡くなった年に近づいてきたからかもしれない。

そういえば、親の事って以外と知らない・・・と思っても、母は超高齢になり話を聞きたくてもままならない。

この施設の存在を知り、いつか訪ねてみたいと思っていたので、たまたま用事で土浦方面に行った帰りに寄ることができたのは幸運だった。

予科練平和祈念館は7つのブースに分かれていて、入隊から訓練、その後飛行兵になり戦地に赴くまでの資料が展示されている。

予科練(海軍飛行予科練習生)に入れたのは14才から17才だ。
かなりの倍率だったようだが、その年頃はまだ子どもという感覚なのに少年たちの篤い想いが溢れ、目的は別として現代社会で失われつつある精神を垣間見たような気がした。

時間の都合でそれぞれの資料をじっくり見るというわけにはいかなかったが、若かりし父に触れあえたようで嬉しかったし、私の年と少年時代の父が交差しているような不思議な感覚だった。

そして、私が一番知りたかったことは、父がいつどのように入隊したのかということだ。

せっかくの機会と思い、勇気をだして事務所に在籍者資料について確認したら、さっそく調べてもらえ「お父さんの名前がありましたよ」と名簿のコピーを頂いた。

当たり前のことだが、親が親になる前のことは興味をもって聞かなければ知ることができない。
親のルーツを知りたいと思うようになったのは、やはり自分がそれなりに年を重ねてきた証拠なのだろう。
適齢にならないと、理解できないことは日常に溢れているのかもしれない。

いつの時代も生(生まれ方)と、死(死に方)は選ぶことができない。
唯一選べるのは生き方だとしても、選べない環境もあるかもしれないなどと色々考えてしまう。
でも忘れてならないのは、その時代を精一杯生きた人がいるから今があるということだ。

15才で志願した時の心情や、その時期に経験したことがその後の人生にどういう影響を与えたのかなど、もっと話を聞いておけば良かったと思っても、もう遅いよね?と、今度お墓詣りに行ったら父に謝ろうと思っている。