JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

報道ステーション メモ

2004-08-19 23:13:38 | マスメディア
ベアテゴードン
1928ケロッグブリアン
1791年憲法
1945/6国連憲章
セオドアマクネリ-憲法研究者
1946/4/10戦後初の総選挙
国家の正当防衛件の戦闘を認めることは害 吉田茂
1946/11/3公布
1946第四共和制  
冷戦から1950/6朝鮮戦争
平和を輸出するという哲学 コスタリカ

 随分前から憲法には関心があり、本にあたっていますがいまだ新しいことの発見があります。新しいというか新たな切り方が浮かぶといった方がいいかな。
 しばしば女性の性質が戦争放棄、非戦に通じるという言説が言われますが、事実そうかどうかは別にして、1946/4/10日本での総選挙。ここで初めて女性が選挙に参加したこと、これが非戦、戦争放棄と関係していると考えられます。
戦争放棄した憲法の下で初めて女性が参加できた。こうみると、女性の性質如何ではなく、周辺部からの要因で必然的に女性と戦争放棄という図式が作られたんだなと考えられる。
 ここから論じていくこともありだなとちょっとおもいました。

          JOHNY

お昼休み

2004-08-19 13:05:50 | Weblog
 オリンピックでぐったりかなみなさん。わたしも例にもれずです。

 こんにちわ。まだまだアツいあつい熱い暑い日が続きます。今日のあぞぞらはまさに真夏。秋の雰囲気が木立に吹く風に運ばれてきているのにもかかわらず・・・。

 せみ時雨のなかもうちょっと仕事してきます。

         JOHNY

町田康

2004-08-18 15:49:04 | Book
ほんとにもう、すごい暑いと、いったい今年は何度いうのでしょう。

 今日は今朝方まで降った雨が夏にとどめを刺そうとするかのような太陽に熱せられて湿度爆発。息をするのが苦しいぐらい。
 冷房の部屋からの窓越し夏の日傘よろしく茂った木々は風に枝を大きく揺らしなんとも涼しげ。背景の青空、芸能人の歯のように白い雲でお膳はととののった。なんとも美しいこの世の平和の象徴のような風景だ
 私のいる部屋の中からならばという限定付で。
 一歩部屋から出れば7人の敵がいっせいに切りかかるがごとき刹那のこの世の中に身をおく我も、すきあらば誰かを襲おうとしていることは明白。
 必死に自我を抑えるために言葉を紙に向かい神に向かい届けとばかり書き散らかすことしきり。

 とちょっと変わった書き方をしてみたら疲れますね。

 『くっすん大黒』などの作者 町田康を意識してみましたがさて。
パンクロック出身の彼とは私はかなり傾向が違うのでまねしたら疲れるのは当たり前。パンクファッションと政治性の強い本来のメッセージがこめられた歌詞は嫌いじゃないですが、音はどうも・・・。
 私はもっとスローな感じ、優しくて軟弱な感じが好きです。
なので町田康の小説にはちょっとはいりづらい。

 勢いと技で押し切られる年齢じゃなくなりました。切り口の良いメッセージを優しい音が包んだときにこころの琴線が震えだすようです。

 すごい暑い日でも冷房の効いた部屋の中ならこんなことも考えられるのでした。

             JOHNY

全共闘と価値紊乱

2004-08-17 23:45:40 | マスメディア
 和光大学 最首悟教授 NHK 視点 論点

 会うと震えるような教授がかってはいた、今はどうか。
 至高を志向してしこうし試行と思考を尽くす

惹かれる言葉ですね。真ん中の しこう は漢字で拾えなかったのですが 嗜好 でしょうか。

 こんなことを話していました。 
全共闘無実の学生処分
日大23億円の不正経理 ストライキ 大学とはなにか学問とはなにかという問いに応えられなかった教授 助手という狭間的ポジション どちら側に立つか学生がわに立つことを意思表示
すべてに異議を申し立てる バリ封のなかで漫画を読んだ 
思想的な価値の紊乱 大学の価値の低下 
人間を離れた超越的なものに縛られたいという傾向
障害のある子を授かった  目的を超越した存在
70年代はルネッサンス今もまだその渦中
民主主義礼賛 欧米追随
モリアリマサ 主語のない日本 日本は相変わらず世間
連帯を求めて孤立を恐れず 
閉じた世界に理屈では入りたいのに連帯へ
個々人がどうしようもなく違うから連帯したい

ふれる なぜる さする こする 
世話するという情感 

最後に 
中原中也 の言葉を引きました。
 ゆきて帰らぬ もくてきのない僕ながら 希望は胸に高鳴っていた

 彼がどこから出発したか、そしてどこへ行こうとしているかがよくわかります。

 人は出発点にしかいけないのかもしれません。
だとすれば私はどこから出発したか、を問わざるを得ません。

      JOHNY 

夏の夕

2004-08-17 02:39:26 | マスメディア
 今年の夏はホントに暑い。一昨日はちょっと一服、真夏日連続記録更新は40日で終わりました。
次の日にはすぐ真夏日でしたが、秋が近づいてきていることを少しだけ感じます。街の中に響くセミの声が少し色あせてきたようでもある。変わらずの毎日を過ごしているように思える私たちもセミから見たらだんだんと色あせてきているのかもしれない。
 そんなことを思いながら夏の夕、畳の上でうたたね。
・・・
 寝過ごしました。
東京湾景みられなかった。
 ペヨンジュ、ではなくて パクヨンハみたかったのに。
最近の韓国ブームはすごいですね。その担い手はおば様中心といわれていますが実のところ他の層にも広がっているように思えます。私の感覚にもひっかっかる。
 今まであった韓国のイメージとはまったく別のものがでてきたのではないか。韓国にあるのは日本追随イメージ、日本より少し遅れているというネガのもの。日本がアメリカの追随をしているだけというネガイメージと同様なもの。
 それがやっと変わった。韓国のほうが良いというものがでてきた。それが人間だということがかなり気になるけれど。

 タレントというものがマスメディアに大きく媒介されたものだとするならば人間というよりも商品としての側面が強くあるとも考えられる。
 私たちが依拠するイメージとしての社会、イメージとしての人間はマスメディアによって作られている。
 そのイメージの優劣の逆転が今起きているのかもしれない。

 、ペヨンジュにしろパクヨンハにしろイメージに過ぎない。

 でもみたい。寝過ごした、夏の夕。

            JOHNY

動物園 1943

2004-08-17 00:28:49 | Book
 1943年の昨日、上野動物園の猛獣処分の命令が出されました。空襲の際に動物が逃げ出すことにでもなったら危険だからと。
かわいそうな像 などの話でよく知られた話ですね。
 かって動物園が社会に果たした役割は今以上に大きかったと思われます。身近にいない動物と出会うことができるという点、動物の生態の研究の場として、市民の憩える場として。
人間のエゴで集められていた動物、結果的に市民のためになっていた彼ら。その彼らを殺せという命令。
 人間のエゴ、人間の危険性。猛獣といわれる彼らを殺す人間という動物。
 
 過去から現在まであらゆる勉強といわれるものというのは、おそらく人間の危険性をどのように取り払うか、乗り越えるかということを考えるためのものであった。法学であれ経済学であれ物理学であれ数学、社会学、文学であれ集約されるところは人間であり哲学であろう。
 今私が書物にあたり言葉を発することもその現れである。
 
 見えないものと見えるようになること。
 動物園の動物たちと自分の関係、政治との関係、人間の業。
抽象を具体に。身近なことと世界のかかわりを。
 
        JOHNY

夜明け

2004-08-16 04:57:30 | Weblog
 積み上げられた新聞の一つを手に取った。一枚開いたところにこんな言葉があった。

 夜明け前は人間が一日でいちばん安らかに迎えられる時間だ

 わかる気がする。一日のうちでいちばん不安な時間は、陽が落ちて街の家々に明かりがともる頃。闇に支配される永遠とも思える夜を過ごしきることができるのか。
動悸が激しくなる。不安が螺旋を描く。進まない時計の針。ひざを抱える。眠ることもできず。
 
 すべての命が沈んでいくような暗闇に溺れる寸前。

暗闇の中から飛び出すように命の声がする。鳥のさえずりが聞え、活力に満ちた人間の鼓動が波となって押し寄せる。

耳で、皮膚で感じる命の奇跡。

澄んだ時間、夜を乗り越えた安堵と眠りにつく。

        JOHNY  

 文体 ☆ 生き方

2004-08-16 02:50:06 | Weblog
 ある方のBLOGをTBしました。

 文章は誰かになにか伝えたいことがあるから書くものだという考え方があります。それは言葉の機能に照らせば正しいといえるでしょう。しかし言葉にはほかの機能もあるのではないだろうか。
 どの言葉を選ぶか、どのように並べるか、ときに不思議な、わかりにくい表現とも思える形になったとしても、書き手があえてそのような形を選んだ意味がある。

 良い文章か否かの決定は必ずしも読み手にあるとは思えない。もちろん伝わってこそのものともいえるが、そこにあまりに重きをおくことは私の好みではないし、そこで失われるものに大切なものがあるような気がしている。

 あることの中に身を投げ入れた言葉の現しかた。
意味を伝えることではなく、心に届く言葉を私はつづりたいのです。

         JOHNY

おくり火

2004-08-16 02:08:49 | Book
 慣習とかにはまったく疎い私。つい先日友達との会話の中に、初盆ということばが出てきて。?。なんとなく察しはつきますが、何をするかはけんとうもつかない。友達が言うには、場所によってはいっぱい人を集め盛大に・・・やるそうです。
 死者を送りだすために。

 そういうことにまったく興味がない私は、父の初盆、まったく何もしませんでした。
 それはそれでいいのですが、父が先日夢に出てきたので このお盆のおくり火はやってあげようかなとちょっと思います。
 
 でも、そもそもなんで最期一緒に暮らしていたわけでもない彼が家にくるのか、大きらいな私のところに来るのか、という疑問があるのですが。
 さて。
昔であれば確かに家というものがひとつの家族の象徴としてあり一定の永続性のようなものを担保していて、家で迎え火、おくり火、というのが意味を持っていたような気がします。しかし今は象徴としての家ってあまりないのではないか。マンションだったりするし、家って移り住むものでもあるし。
 すると、帰ってくる人は人の心に帰るのでしょうか。もしそうならば、誰のところにかえるのか。親、兄弟、配偶者、子ども、愛人・・・。
 いろいろあるな~とかおもい、一人だけに帰るわけでもない、幽霊は分散できる?などと考えていたところ、思い当たることがありました。
 死者はお墓に近いところに帰るのではないか。象徴としての家があったころはまさにそれが成り立つ。
 いまもそうなのかもしれない、お墓に近い家に。
 
 でうちですが・・・慣習、みたいなのにまったく興味のない私のうちには彼の遺骨が、いまだあるのでした。
 帰ってきたんですねたぶん。
 だから夢に出てきたのね。

            JOHNY

香山リカ

2004-08-15 23:45:44 | Book
 電車で移動。日頃バイクと電車どちらかを通学手段にしています。天気が雨ではなく、少しだけ急ぐとき、気分転換したいときはバイクにのります。雨が降ったり、時間に余裕があったり、気分が落ち着いていれば電車。
 夏休みの今は電車、急いでいないから。
そしてもうひとつ理由があります。電車ならば本が読める。
 
 今日は香山リカ『私の愛国心』ちくま新書 を読んでいます。
ここ数年の流行?愛国という言葉をうまく説明してくれています。とても私好みのものです。
 どこがいいのかというと、彼女はものごとの出発点を人間の心においていること。精神科医という職業柄なのでしょうが、およそこの世界にあることは人間の行動の延長線上なのであるから、心に重心を置くというこのポジションは最良のものだと思える。
 
 彼女の作品との一番初めの出会いはなんであったか忘れてしまっているけれど、かなり以前から彼女には注目し、出される本や評論などを読みつくし、私は彼女に絶対に近い信頼をおいている。
 会ったこともない人におく信頼。
同じように信頼をおいている人をあげるならば、社会学者の上野千鶴子と憲法学者の樋口陽一 両氏。
 いづれのかたも存命の人物であり、比較的近くをウロウロしているのだが私は会って話をしたことがない。
 
 日々暮らす中で生じる不安、こころの揺らぎを抑えるために私は彼らの本を読んできた。読むことで私の中に生じる安心感。
 そこにはたんなる癒しの言葉が書かれているのではなく、一つの硬い価値観が書かれている。それに共感、同調することによって心が安定する。
 超えるべき一つのアベレージの確認ができ、このままの私でも大丈夫だという自己肯定感が生ずる。その超えるべきアベレージとは一人の人間の心というものに注意が払われているか否かということだと私は感じている。
 
 やわらかめな文章を書いてくれる香山リカ、硬質的な上野、樋口 両氏。
 今のところ私は、香山リカ氏のような文章を書くことを目標にしている。

 電車に乗っているときはそんなことを考えています。
      
         JOHNY

湾岸ミッドナイト

2004-08-15 00:27:59 | マスメディア
 仕事の合間にコンビニに。胸の名札をはずしてからね。

 高校生ぐらいまでは毎週漫画雑誌を買って読んでいたのですが、あるときからパッタリ買わなくなり、読むとすれば今日みたいな感じでコンビニに来たとき。
 
 ヤングマガジンという雑誌に湾岸ミッドナイトというものが連載掲載されている。単純な解説をすると改造した車で街の中を走る、そこに起こる出来事を描いている。
その中身がかなり繊細な感じ。人の心の動きを緻密に正確に表現する。漫画という若者に訴求力の高いメディアの中で人の心の動き、生きる意味、存在することを丹念に描こうとしていることがよくわかる。
 
 今週号の中で登場人物が語っている。
 車のチューナーを助手席に乗せ、データ取りのための試験運転をする女の子。車はZ32。
 もっとアクセルを踏み込めという注文に応えられない女の子。
なぜかアクセルを踏み込めない彼女。
 その原因をチューナーが言い当てる。
 信用してないなオレノコトを、最後まで踏めるか踏めないかは信頼できているかないかだ・・・

 うっわーって感心しちゃうトキ。

 ホントにそうだとおもう。自己の力を出すためには、周囲を信頼していることが必要。
 アクセルを踏み込みたいのに踏み込めない。
周囲を、世界を信頼できなければ、エンジンが吹けきらない、力が出し切れない。

 世界を信頼することはものすごく難しい。
 自分がいまいる小さな世界でさえ、信頼を置ける場所がほとんどない。
 信頼できないならば一人きりでやるしかない。
 
 おそらく湾岸ミッドナイトの作者も同じ気持ちを抱えている。アクセルを踏ませろと。

          JOHNY

警察にいく

2004-08-14 17:28:50 | Weblog
 あれ、あの人突然会社に来ないぞ3日間とか10日間とか20以上とかその場合大体は?警察にいる・・・というのを経験上知っている私。
 今朝、父親と警察に出頭・・・しなければいけない・・・というリアルな・・・
 時計のアラームに救われました。
起きた瞬間の不快感、何だこの感じはと考えたときに甦った夢の1場面。
 何も悪いことはしていませんが、たぶん。いまだ警察への拒否感が強く、逮捕されるような夢をしばしば見ます。
 その一方、父親が出てくるような夢は見ないに等しい。
今日はなぜ?
 お盆のせいでしょうか。夏休み、会社もおやすみ、渋滞、それとなく人の会話にでてくるお盆という言葉、暑さ、なんとなく影響されているのでしょうか無意識のうちに。
 信心深いなんてことがまったくない私がそんな夢を見る。
神もお化けも社会も、人を縛ろうとするものすべてに戦いを挑む私の中にある、ある種の恐れが形になって現れているのかもしれない。
 
 思い出すこと忘れないこと、好きであったかどうかにかかわらず。大きらいな警察と一緒になって現れたあたり、くくっと笑える感じでもありました。
 不思議なことがある、お盆。

          JOHNY

日本国 憲法9条

2004-08-14 00:26:35 | マスメディア
 関心、共感、想像力、これらがかければ、平然と戦争はせざるをえない、悪いけどあなた前線で戦ってきて、ということを口にすることができる。
 自分に対する、関心、共感、想像力があれば、当然同時に他者への関心、共感、想像力が立ち上がってくる。
 
 戦争をしない、してはいけないという宣言に対して、でも攻撃されたらあなたはどうするの?と質問する人がいる。
 では、戦争で人が傷つくこと死ぬこと、心が死ぬこと、思いを死ぬまで抱えること何十年も、涙を流すことそのことに関してあなたはどう想うのと?質問を返さなければいけない。

 叩かれたら叩き返すという一般論の返事を誘い出し戦争肯定、九条否定論を自明のものと考える人に告ぐ。

あなたの共感、関心、想像力、欠けていませんか。

        JOHNY

戦争とは

2004-08-13 22:32:22 | マスメディア
ポツダム宣言受諾に思いを寄せる猛暑。TVに新しいドキュメント番組。龍陵会戦 NHKスペシャル

 ある芥川小作家、一兵卒の記憶
記憶、記録として語られる言葉。
軍隊という絶対的階級社会、死はある瞬間人をものにする、戦場では死を悼む時間は短く、忘れ去られるのが早い、鈍くなっていく感覚。
切り付けられ刺された体の記憶、傷。 
激しい戦闘の中で外見が幽鬼のようになっただけではなく精神も。
日付と場所だけの死という公的記録、そこに 個人はない。 
命令に従っただけ。 
下級兵士は人間であることを主張できない、 死は不運であり災難であり 、
 
 戦場で見たものがすべて、全貌は資料でしかわからない。
あの経験は何を奪ったか それによってもなお変わらなかった部分 それを知ろうとすることは自分を知ること。
 
 書き続ける作家、自分を知る旅を続ける者達。

 それを知ろうとしている私、想像しようと考える。

誰かが書かなければ消えてしまう記憶、記録、個人。

 過去に思いを寄せることは私を想うこと。消えないように。

 私も語る責務を負っている。私にもできる。

 あるおじいさんが泣く。
記憶というよりこびりついている・・・だから戦争なんて絶対にやるものではない、と。

 あの戦争に囚われ続けている人々。死ぬ瞬間まで涙を胸に。心を殺されたまま生涯を過ごした人たちがいる。

 作家はその人々を、自分を 未復員兵 と呼んだ。
戦場という地獄から帰ってこれないのだ。

 この世界に帰ってこれないということに共感できるものは語るべきなのだ。

         JOHNY

卓球 愛ちゃん

2004-08-13 21:15:34 | マスメディア
 オリンピックの夏がやってきました。世界から人生をかけた多くの人が集います。日本からも大勢の人たちが。その中に愛ちゃんもいます。彼女は天才卓球少女という扱いで随分小さな頃からメディアに取り上げられてきました。あどけなさ、負けたときに見せる泣き顔など、多くの人が目にしていることでしょう。
 
 いま彼女は15さいになり、そしてアテネオリンピックに行っています。世界の中で15歳がどれくらい通用するのか注目されています。
彼女の特集番組の中で本人が見せた表情。試合にのぞむ際、ベンチに監督もコーチもお父さんも要らない、自分ひとりでやってみたいと意思表示をしていました。
 イメージの中にある泣いている愛ちゃんではなく、一人の独立したアスリートの一面。
 15歳・・・。
一人で寂しくない?との司会者の問いかけに、ぜんぜん、ただベンチに帰っても誰もいないというだけ、水を自分でとらなければいけないことと後ろで拍手してくれる人がいないというだけ、そのようにこたえました。
 大人になった、なろうとしているということ。

 何年か前、同じような言葉をボクサーの畑山が言っていた。それまで世話になっていたコーチなしでもやっていけるってことを見せてやりたいんだ、もう、一人で大丈夫だってことを。
親孝行かな。彼は20代前半。
 
 それを聞いたときにけっこうショックでした。
一人でやっていけるんだ、と見せてあげることが親孝行。大丈夫私は一人でやっていける、ということにむけていまも私はがんばっています。
 
 オリンピックにはいろんな想いが隠れています。


          JOHNY