JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

モルスキン

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

鷺沢めぐむ

2004-08-10 22:53:36 | マスメディア
 四ヶ月たちます、彼女が亡くなってから。
小説を読み、トークライブに行き、ホームページを訪れ、ファンの人たちに逢った。
 自分の居場所探しをしながら出会った小説であり、作家であり、ファンの人たち。
 自分の立ち位置がわからなくなっているときに、出かけたトークライブ。場所が新宿ロフトプラスワン、ビックネームの作家のわりにこじんまりとした雰囲気、彼女の小説のファンが来ているわけだから、どことなく共通する雰囲気を持つ人たち。
 
 「いる場所があった、私がいていい場所が」

そんな風に思った。

その後しばらくして私は大学三年生に学士入学した。自分が追う道を究めようという高い志がある一方、やはり周囲との軋轢、ギャップは感じた。周囲にいる学生に求めるものは高く、空回りする意識。
 ここは私の居場所じゃないという不満があっても、あのとき鷺沢さんのところにはあったから大丈夫とがんばった。
 続けてみると、空回りも少しは噛み合うようなところもあり、なんとか過ごすことができた。
 誰かの作った世界ではなく、自分の世界が作れた、自分でやっていけると。
 
 新聞で彼女の死を知ったときの複雑な気分。
勝手の自分の居場所、拠りどころの消失、哀しみ。

さっき新宿ブックファーストで彼女の最後の書き下ろし、ウエルカム ホーム!を買いました。
帯に「ふつうの家族って、なに?」とあります。
人がいる場所、帰る場所、私はどこに・・・
 
 彼女が探していたであろうもの、わたしも探しています。

       JOHNY

想像力 という核

2004-08-10 03:13:42 | マスメディア
 8/9 長崎原爆投下の日に美浜原発事故、ここに何らかの繋がりをみようとするのは、うがったものの見方であろうか。もちろん実質的な因果関係というものはみることはできないだろうが、意識のレベルでこれからの私たちのとるべきポジションの問題としてそこに関係性をみることは必要とされることであろう。
 例年よりも暑い夏、忘れつつある過去の非人道的兵器による虐殺の記憶をより強固に思いださせるために美浜で事故が起こった。多くの人が命を落とし怪我を負った。
理屈では万全を帰しているはずの施設でも事故は必ず起こる。原発においての事故は現在のところ制御不能に陥る可能性を多分に含んでいる。
 今回の事故でもそのことが十分にわかる。
 
 長崎で広島で過去原子力爆弾によって死んだ人たち、爆弾を
落とした人たちから、未来を生きる私たちは何を学んだのか、学ぶべきなのか。
 多くの犠牲者によって、この国は平和主義を掲げる 日本国憲法を手にし二度と戦争による災禍に市民をさらさないように勤めることを宣言したはづである。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/gensoku/nnp.html
さらに非核三原則を定め核兵器との絶縁を表明。この原則は核兵器そのものの非人道性ということのみならず、核物質その処理において人類の英知を超えてしまっているものという認識があるからされたものであるといえる。その意味では原発に関しても同じことが言える。
 エネルギー政策は転換の時期にきている、原子力ありきの現在の政策は、ある人たちにだけ功利的な現状追認にすぎない。
 
 憲法を改正しようという論議が国会議員からあがっているがこれも特定の人たちの功利的な観点からされているといえる。
 
 長崎を広島を美浜の原発事故を感じる想像力が未来を生きる私たちの核となるのだ。

         JOHNY

眠らない

2004-08-10 01:43:54 | マスメディア
 朝が来ないように眠らない?。朝はかならず来るね。
眠らなかったら今日は昨日にならないかもしれない。
いつだったか忘れてしまったけれど、眠れない時期がありました。何をしてもどんなに疲れても眠くない、眠れない。眠りたい気持ちは確かにあるのに。
 普通に眠れるようになるまで随分の時がかかった。

今考えてみると、眠れなかった理由は不安、今日が終わることの、時が経過することへの。
 存在が過去になっていくことへの、記憶の不確かさへの。
 忘れてしまうことへの、忘れられてしまうことへの。
 確実なものが何もないことへの。

 眠れない時期に求めたもの。
 忘れないで、覚えているから、声をかけて、呼びかけるから、死なないで、生きるから。

 眠らない、ことで見つけたものは、私に足りないものの欠片だった。

 いまは記憶の不確かさ曖昧さも受け止められる。

 たぶん自分を誰かに受け止めてもらったから。

        JOHNY

バランス

2004-08-10 00:02:33 | マスメディア
 日比谷公園で鉄棒をする人たち、そんな人たちがいるのか~。なんとなく好きな公園、日比谷公園。以前しばしば近くにある弁護士会間に行くときに立ち寄った公園。吉田修一 芥川賞受賞作『パークライフ』の舞台もたしかここだった。

 いまNHKで流れる番組のなか。まったく別の人生を生きる人たちが自然発生的に集まってきて鉄棒をやるようになった。ずいぶん前からクラブのようになって人のつながりができているらしい。
 
 社会にでると会社以外仕事以外のつながりがなかなかつくり難くなる男性達。外の社会でのつながりが作れないから、その力は内部に向かう。会社の中での結びつきをより所にするとともに、競争にしのぎを削る。ここで作られる関係はとても心を許せるものであるとはいえない。
 いつしか、みな自己アイデンティティのバランスを失い迷いだす。そんなとき、日比谷公園の鉄棒に出会い、そして仕事以外の人とつながる。
 
 誰もが人生に迷い悩みを抱えながら、一瞬の安らぎを作ろうともがきそれぞれのなにかに出会う。
もし、なにものにも出会えなければおそらくコワレテしまうのだ。
 日比谷公園の鉄棒に集まる人たちは大丈夫な人。幸運な人。
 
 心のバランス崩れていませんか。
 あなたはどんな風に心の天秤をつり合わせるのでしょう。
 公園に出かけてみるといいかもしれません。
『パークライフ』のような出会いがあるかもしれない。
 日頃見えないものを見つけることができるかもしれない。
 誰もがバランスを取ろうと必死になっている。
 あなただけじゃない。

 私は・・・あなたに言葉を贈ることで。

         JOHNY