京大俳句会 KYODAI HAIKUKAI 「自由船」

京都大学を拠点に活動していた京大俳句会のオフィシャル・ブログです。

181回京大俳句会(最終句会)作品集

2024-03-23 10:40:29 | 日記

 

   京都「哲学の道」沿いの桜並木      Photo. by Rakhoo

 

  <第181回 京大俳句会 (最終句会)作品集>

   受付順に並べています。互選はありません。

 

1)  春浅し櫂打つ湖も霊山も               游々子

2)  卒業す階段に疵付けたまま             游々子

3)   春寒く閉じる扉の重さかな                  のんき
 
4)  鴨川の桜も知らず店じまい                のんき
 
5)  束の間の濁世を隠せ春の雪                   つよし

6)  路地裏が檜舞台よ猫の恋                 つよし  

7)  光る君ゆかりの舞台一人往く                嵐麿
 
8) マジックショープーチントランプカムバック   嵐麿
 
9) あたたかくこどもに降れよビスケット           赤野四羽
 
10) その先はなくとも花の筏ゆく              赤野四羽
 
11)  西陣の機の音高し午祭                            蒼草
 
12)  帯となり疎水しづもる花筏                         蒼草
 
13)  枝に出て風に吹かれるサピエンス            北村虻曳

14)  脚萎えて時雨れる山守(も)る荒神橋        北村虻曳

15)  来し方を振り返る日に梅の花                    きったん 

16)  雪花舞ふ大海の底燃ゆる花                きったん

17)  喇叭水仙さいごまで気が抜けません        堀本吟
 
18)  養花天ひらくを見ざる稿了す                  堀本吟
 

19)    Frühlingstraum –

      ein lang ersehntes Wiedersehen

      mit alten Haikufreunden

    懐かしき句友と会ひぬ春の夢            マーティン・トーマス

20)    Kindergrübchen –

       rundherum im Kreis herum

      dreht sich das Windrad

    えくぼの子くるくる回る風車             マーティン・トーマス

 

21)  花守に応ふる古樹の蕾かな                      遥香
 
22)  かそけくも満つる光や初桜                        遥香
 
23)  川の字の皆を起こしてアスパラガス         黒岩徳将

24)  華鬘草数珠あるやうに手を摩る              黒岩徳将

25)  春北風やスチロール舞う魚市                     徹照
 
26)  小雀やするする滑る瓦屋根                       徹照
 
27)  比良越えの 曙光水面に 漣を立つ           幸男

28)  字遊びと 知りつつ嬉し 卒壽かな            幸男

29)  湖(うみ)に沿い風が走るか無人駅            明美

30)  比良の雪まだ少しだけそこに居る             明美

31)  行く春を 芭蕉蕪村を 思いたし        二宮
 
32)  桜会 己が愚笑い 皺白髪                        二宮

33)  密やかに句会閉じけり桃の花              清水楽蜂

34)  それぞれに良かりし人や櫻時          清水楽蜂  

 

京都大学時計台記念館と桜     Photo. by Rakhoo

               

 

 

   

 



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3 コメント

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今月の俳句 (楽蜂)
2024-03-28 19:26:24
Frühlingstraum –
ein lang ersehntes Wiedersehen
mit alten Haikufreunden
懐かしき句友と会ひぬ春の夢 マーティン・トーマス

 最終句会に掲句を投句してくれたケルン市在住のマーティンさんは、2013年頃に京大大学院文学研究科に留学し、戦前の「京大俳句会」を研究していた。その頃、第三次京大俳句会にも参加し、感性溢れたユニークな作品を次々と発表した。以下の句は、マーティンさんと楽蜂の当時の懐かしい共同作品である。
       
 Ayuwanderung-
 Frisch und frohen Mutes
 Dem blauen strom enfgegon  
 鮎上る川青きまま流れゆく    マーティン・楽蜂

  自句自解
 それぞれに良かりし人や櫻時     清水楽蜂
 本会は一期一会のような雰囲気の句会であったが、今後は、それぞれの方が、ご自分の俳句世界で活躍されることを祈ります。
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一句づつ鑑賞(1) (堀本吟)
2024-04-03 18:40:19
ふらりと立ち寄った句会ですが、いつか居すわった感がしていす。最後になって投句者が増えましたね。「句」を読むことは味わうもので、さかしらにああだこうだとさしいれるものではない、少し言い過ぎたかもしれないし、一方では遠慮しすぎかな、と両方思いながら関わって来た。集まった人たちが、「俳句」のいろんな顔を見せているので、その過程で、私は、次第にここの言葉たちと仲良くなった気がしている。一方では、ここにあることを、ひっくり返した裏側にむしろこの人の俳句言葉の魅力がある、とも考え始める。『京大俳句』史に一時期を隠した、「ブログ自由船句会」もこれが最後の回になりました。気ままに自選句に気ままに向き合う。本当にその人が言いたかった「表現」を味わう。こんな風な「文字だけのつながり」もいいものです。では・・。

1) 春浅し櫂打つ湖も霊山も       游々子
 何も書いてはいないが、琵琶湖と比叡山を思い浮かべる。(ここに似た地形はいくつもある筈だから、そうでなくともいいが)。ここが「京大」という名前の「俳句の場」だから、京都を広い文化空間に広げている。その暗示法をうまく使って、比叡山と琵琶湖がくっきりと読み手にわからせる。この風景が、琵琶湖と比叡のことだと、しかもたぐいなく美しいものだと思わせるものは、「春浅し」の季感との取り合わせが生命線となる。この季語をとりあわせて、この土地の風景が俳句の形になった。
2) 卒業す階段に疵付けたまま      游々子
 この「傷つけたまま」という措辞がいい。過去の時間に入ってしまえば、傷も美しい。「学校」には「卒業」という区切りやけじめの時機がある。これはたいへんありがたいことなのだ。傷がまだ十分修復できないとしても、時間は容赦なく過ぎてゆく。一応「卒業」し、区切りをつけることも、人間の智慧である。傷を負いながらそれが治らなくても登ってゆく階段。置き去りにされた「傷」の生木の無残な新鮮さ。それこそが、「そこにいた」「そこに生きた」という証でもある。游々子さん、自分の心の底にあるものをひきだしたこういう句をもっと拝見したかったです。これは、深みがあっていい句だと思います。

3) 春寒く閉じる扉の重さかな     のんき
 春はまだまだ寒い、その心細さ。おおらかな感性のひとに、重さをかんじさせるものはなにか?しかし、扉を閉じて、向きを変えれば、そこには明るい季節がある。閉じてしまった向こうの世界があるからこそ、今が明るい。
4)  鴨川の桜も知らず店じまい   のんき
 私は、のんきさんの句が大好きです。広々した楽しい俳句をありがとうございました。桜は咲きましたよ。間に合いましたよ。

5) 束の間の濁世を隠せ春の雪   つよし
 人生いろいろ一すじ縄ではゆきません。そのまま束の間であっても一瞬の濁りでも、残したくない。「春の雪」よ。この世がまだ美しいということを教えてくれ。つよし俳句の「大景」は抑制が効いていて、いつも感心して拝見した。めったに主観が出てこないのだが、ふと、あきらかにそれが見えることがある。つよしさん。永年の事務局のとりまとめ。ありがとうございました。本当にご苦労様でした。
6) 路地裏が檜舞台よ猫の恋     つよし 
 隠れた場所にこそ、艶がある。これも抑えの効いた名調子。さすが巧いですね。裏路地でもきっちり型を通している。いわゆる表舞台を「虛」にしてしまう。「諧謔」にも定型があります。
 
7) 光る君ゆかりの舞台一人往く          嵐麿
 今を時めく「光る君」恋多きレジェンドの道を、俺は一人でゆこう。それはいいけどおひとりじゃさびしいじゃない?と同情するものの、でもこういうときに、私は、表現という虚構の舞台のよろしさを思う。すでに、平安時代、紫式部を生んだ京都である。すべての小路や寺がドラマチックなしつらえである。きっと、さびれた屋敷に隠れ住んでいる美女に巡り合うでしょう。
8) マジックショープーチントランプカムバック   嵐麿
 本当ですね。今、この二人がマジックショーに出てくると、世界がひっくり返って。フェイクがホントになりそう。笑いにことよせていますが、危機感が切実に出ている。嵐麿さんの川柳は快調です。

9) あたたかくこどもに降れよビスケット     赤野四羽
 ビスケットのように温かくほんのり甘い後味を残せたら、その別れは最高です。そして新たな出会いを約束する。この句、しみじみといただきました。京大俳句先人の投げたおせんべいの味は、いかがですか?
10) その先はなくとも花の筏ゆく         赤野四羽
 京大俳句終刊への手向けの言葉ですね。現実論は抜きにして、私は、理念は永劫回帰のものだと思うのです。本当は先がないのだけれど、それだけに装って美しく散りたい。そこに、永遠の今、がある。過去世とも未来世ともぞ思ひぬる三途の川を行く花筏。
 
11) 西陣の機の音高し午祭            蒼草
 「午祭り」二月最初の午の日に、稲荷神社で行われる神事。今年は2月12日だったそうである。新暦だと3月19日ごろだと、Google検索で知った。商売繁盛のそのお祭りの日も、機織りの音が響く。取り合わせが、ピシッと決まっている。ちなみに、この日には、稲荷ずしを食べるそうである。お祭りには必ず、このような楽しみごとや美味しいものが付いてくる。
12) 帯となり疎水しづもる花筏           蒼草
 ふつう「花筏」というが、流れに澱みある京都の疎水にびっしり浮かぶそれは、はなびらを模様に敷き詰めた帯のようにしずかに浮かんでいる。見飽きないです。この比喩を使うことで、季節の風物と生活感が一体になっています。ここでは西陣に列なる着想ですね。眺める人の帯の模様も、入れ子のようになっている花の模様でしょうか。

13) 枝に出て風に吹かれるサピエンス       北村虻曳
 「ホモ・サピエンス」は人間のこと「サピエンス」は「智慧のある」という意味。その「知恵」が、枝になってむき出しのママ突き出している、という奇妙な風景。真綿にくるまれた智慧ではなく。なんの防備もない知性が風にさらされている姿が痛々しい。
14) 脚萎えて時雨れる山守(も)る荒神橋     北村虻曳
 「守る」とは見守るという意味。それだと解りやすい。歩き疲れたか。そもそも老いて歩けなくなったか、荒神橋の欄干に凭れて比叡を眺めると、お山はくらく時雨れている。荒神橋は、比叡山に登るための最短距離の場所だそうです。

15) 来し方を振り返る日に梅の花         きったん
 過去の句会記録には御名前を見つけていました。梅の花の楚々とした姿と香りが思い出をさらにゆかしくします。こういう句には、「桜」は似合いませんね。梅の花のような過去、こころまで清らかになる思い出をもって、最後のブログ自由船句会に参加して下さって有難うございました。
16) 雪花舞ふ大海の底燃ゆる花          きったん
  能登の大地震。海底が燃えている。地上には冷たい雪の花。残酷な事態をも美として描きたい。

19)  Frühlingstraum –
   ein lang ersehntes Wiedersehen
   mit alten Haikufreunden
   懐かしき句友と会ひぬ春の夢     マーティン・トーマス
 Martinさん。ようこそ。昔少し習っていたドイツ語を思い出して、原句でもなんとか読めました。しっとりして気持ちのいい夢心地。楽しい出会いの時間でしたね。こういう夢のような淡い友情を「風交」と言います。いつまでも記憶されるでしょう。Auf Wiedersehen!また逢いましょう!
20)  Kindergrübchen –
   rundherum im Kreis herum
   dreht sich das Windrad
   えくぼの子くるくる回る風車    マーティン・トーマス
 これって素敵な春の俳句。「えくぼの子」と「風車」の取り合わせが抜群。19番は文語体で。これは口語俳句、日本語表現でも、ドイツ語でもあじわえます。良くわかります。ドイツのケルンで、俳句普及に頑張ってください。

21) 花守に応ふる古樹の蕾かな           遥香
  太い年輪の幹につぼみが一輪出ているのを見つけると、いじらしくなります。新しい花の開花を期待しましょう。それが花守の生きがい。
22) かそけくも満つる光や初桜           遥香
 咲き初めた桜に出会うと、微かに光を放っているようにみえた、華やかな御作です。

23) 川の字の皆を起こしてアスパラガス      黒岩徳将
 こういう感覚面白い。川の字、というのはやはり「家族」の寝姿なのでしょうか? アスパラガスってよく見ると、ひょろっとしていて不揃いですね。この句の中に動きがあり、それが好きです。さすが現代俳句の申し子黒岩さんです。持ち味かな?動きを作る言葉遣い。アスパラガスを持ってきたところ楽しい。言葉に現実感が備わっていていきいきしています。
24) 華鬘草数珠あるやうに手を摩る        黒岩徳将
 「華鬘」とは仏前に供える花飾り。花が連なって咲く様がそれに似ているから、野草にもこの名がついた。山野でそれに出会うと、敬虔になり、数珠は持ってきていないものの手を摩り合わせて拝みたくなる。うーん。なるほどと、考え込みました。

25) 春北風やスチロール舞う魚市          徹照
 どんな方なのでしょうか?私とはすれ違いでしたね。春先のまだ寒い北風が強く吹く。魚市場に積んであるスチロール製の箱。かなり大きいが軽いそれがふわりと舞い上がる光景。魚河岸の人々が大慌てでそれを追いかけるさまも浮かんでくる。魚も一緒に大空を泳ぎそう。なんて余計事を考える。
26) 小雀やするする滑る瓦屋根            徹照
 まだ育ち切らない子雀が屋根に居る。屋根瓦で滑るほど軽くひ弱い。ひやひやしながらそれを見守る視線があったかい。風景そのままでありながら、滋味ある一句、と素直に読んだが、次の解釈も成り立つ。人が、滑りやすい屋根に上っているのを雀の子がじっと見ているのだ、と。

27) 比良越えの 曙光水面に 漣を立つ         幸男
 早朝、比良山を越えたのですね。湖に立つ漣にほのかなあけぼの光があたり、これはこよなき景観です。今気が付いたのですが、一字空けですね。歯切れがいいですね。
28) 字遊びと 知りつつ嬉し 卒壽かな         幸男
 「字遊び」・・書道のことですか、俳句を書くということ?人間は「ホモ・ルーデンス」(あそぶ人)だと、ホイジンガは言いました。遊ぶことが文化をそだてるのです。あら、幸男さん、九十歳なのですか?違うヒトかな?そこまで深読みしなくても、「九十」=「卒」としようというお祝いの気持ちがうれしい。こう読むならば、この句の気持ちがとても良くわかります。ともかくおめでとうございます。

29) 湖(うみ)に沿い風が走るか無人駅          明美
 湖西線(?)の線路を風ばかりが走る。列車のように走る。この「無人駅」が、実景だとしても広い想像力をかきたてて、じつに効果的だと思いました。
30) 比良の雪まだ少しだけそこに居る           明美
 「雪がまだすこし残っている場所を見つめている」、ということと、「自分自身がその場所にまだ少しいる(居たい)」という思いが重なっているようです。眼前の客観物,光景に自分の直感をいきなり投入できる、明美さんの感性が素晴らしい。幸男、明美ご夫妻、この頃言葉の関係づけや切れ味が良くなってこられて、読みごたえがあります。(つづく)
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一句づつ鑑賞(2) (堀本吟)
2024-04-03 18:47:18
(堀本吟 つづき)
31)  行く春を 芭蕉蕪村を 思いたし 二宮       
「行春を近江の人と惜しみけり・芭蕉」「行春や逡巡として遅桜・蕪村」心行くまで、先師の遺徳をしのんでください。
32) 桜会 己が愚笑い 皺白髪      二宮       
 自分の愚かさがわかったり、人の集まるお花見などに行くと、「老化」を身をもって知る。実感ですが、さばさばしていて、気持ちが軽くなります。二宮さんは、今回は二句とも心理的には同じ感慨のようです。天性「俳諧的諧謔」というべき感覚をお持ちです。芭蕉のように抽象化するか、蕪村のように深い精神のドラマを展開するか、道(未知)は様々です。またどこかで、貴下の途方もないスケールの俳句にお会いしたいものです。

33) 密やかに句会閉じけり桃の花          清水楽蜂        
 樂蜂さん。いろいろとお疲れさまでした。ありがとうございました。あまりひそやかでもないですよ。華のある佳句、奔放な感慨の句が集まりました。見事有終の美を飾りました。
34) それぞれに良かりし人や櫻時             清水楽蜂   
 過去形もいいけど、私は「未了性の人間」ですから、「Auf Wiedersehen!また逢いましょう!」です。この場所でなくともいいです。原石の輝きがあらわれてきた人、ベテランの成熟。新しい方向の模索をするひと、その人たちが本来蔵している固有の時間と出逢いました。「京大俳句」は誰がその名をどういうコンセプトで継ぐのでしょう?しばらくは、休みましょう。私は、大月健氏の「イメージとしての唯一者」をこの終刊の過程で読み始めていまして、日本の俳諧史には、そういえば「風狂」という精神エリアがあるなあと気が付きました。大月さんにはちょっとそれを感じます。

自句コメント
17) 喇叭水仙さいごまで気が抜けません        堀本吟
 人生は未了。肉体の死ということは、そのままずぼっと肉体がこわれる。この世から不在となる。その瞬間のことだ、というのが実は私の生死の哲学の根本にあります。
18) 養花天ひらくを見ざる稿了す            堀本吟
 本や活字になったものはすでに過去のことである。 花ひらく前に、「さかんにひらくさま、咲くさま」を想像するのが、文芸の逆説というもの。永遠の文学少女として死にたい私です。
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