phot by tuyoshi
第177回京大俳句会もコロナウイルス感染予防の見地から
投句形式とさせて頂きました、互選は実施しておりません
(上5文字の昇順で並べております)
第177回京大俳句会作品集
兼題 :「御火焚(おひたき)」及び傍題
1 秋や来るあっという間の期待去る 二宮
2 炎熱のあとの極寒一入に 嵐麿
3 御火焚に愚かを焚べるサピエンス 二宮
4 御火焚きや煙舞来て目に泪 のんき
5 御火焚やこれの忌火を鑚り燻べ 吟
6 御火焚や夫の横顔僧のごと 蒼草
7 お火焚や貴船を揺らす龍の笛 游々子
8 神の杜揺らす御火焚小夜の色 つよし
9 神無月神が留守なら自立せよ のんき
10 桔梗(きちこう)やガラスにすこし罅の入る 吟
11 際やかにお火焚昇る深空かな 遥香
12 しぐるゝや孤舟の真菰ぬらすほど 游々子
13 七五三草履の鈴も軽やかに つよし
14 神丘や野風呂の句碑の「け」に悩む 楽蜂
15 散りてなほ水面彩る紅葉かな 遥香
16 日本一、早速来期御火焚に 嵐麿
17 火焚祭十万本の串燃ゆる 楽蜂
18 まだ芯に残る反骨落葉風 蒼草
19 お火焚きや伏見の杜を彩りつ 幸男
20 労り合い今日一日はいいふうふ 幸男
21 お火焚きの朱が深まりて歩み止め 明美
22 朝ぼらけ屋根に一羽で見る光 明美
お火焚きや伏見の杜を彩りつ 幸男
火焚祭十万本の串燃ゆる 楽蜂
11月8日に伏見稲荷大社で1年の収穫に感謝する「火焚祭」が営まれた。ここでは全国から奉納された10数万本の串をたきあげることで有名である。大祓詞が読まれ神楽女が舞う中、神主が火焚串を火床に放り込むとパチパチと勢いよく燃え上った。
しぐるゝや孤舟の真菰ぬらすほど 游々子
江戸期の墨絵の一幅を鑑賞しているような雰囲気の作品である。{蕪村全集絵画編}をひも解くと、「いかだし」(絹本墨画)の自画賛に「いかだしのみのやあらしの花衣」がある。孤舟を描いたものとしては、「竹林山水図」、「王子酋訪載図」があるが、「時雨に孤舟」の画は見つからなかった。
自句自解
神丘や野風呂の句碑の「け」に悩む 楽蜂
9月下旬に吉田中大路町の野風呂記念館を訪れた。このとき、吉田山中腹にある鈴鹿野風呂の句碑を参加者で見学した。「神丘に 啼く鶯の 﨟たけて」とある。この「け」が平仮名の崩し字になっていて、素養の乏しい自分はいままで読めなかったが説明を聞いてはじめて判った。
177回京大大俳句選句。2023年12,16
一句ずつ鑑賞 吟
当会ゆかりの人の遺宅をお訪した際、十一月十五日伏見の「お火焚き祭り」で有名な御香宮神社の傍を通りました。収穫を祝い疫病退散や日々の平和を祈るこの祭事は、それ用の具で火種をつくり、「忌火」(清浄な火。といういみ)を生む儀式から始まるそうです。(ネット検索)。先史時代から行われている原始的な火起こしの技術ががいまに使われているものです。今回このお祭りへの祈りの気持ちや、じっと火を観つめ思いを凝らしている気持ちがまっすぐ出てきた佳作がそろいました。自由句は、内面世界を何とか定型詩に入れて行こうとするやや難しい段階に入っている傾向も出ています。
7 お火焚や貴船を揺らす龍の笛 游々子
日本書記の記述では、「伊弉冉」が火の神を生み焼け死んだときに、夫の「伊弉冉」がその子「加具土命」を切り殺した。その飛び散った血から生まれた一柱の神様は、降雨,止雨をつかさどり、荒ぶる火をしずめる(闇龗神、高竈神)といい、「貴船神社」の祭神である。水の縁により龍神の伝承と合体している。火焚き祭りが始まり、御曲の笛が響くと、大神(龍)再生の笛が聞こえるのだろうか?伝承の再生も一つの「素材」。作法である。
3 御火焚に愚かを焚べるサピエンス 二宮
「sapiens」だけなら「人類の」あるいは「智慧のある人」の意味。太古から自分の愚かさが分かっていたとは、「homo sapiens」はかなり己を知る賢い人。二宮さんのゆったりした智慧のひねり方(機知)に救われる。人間は、自分が聡明がそだと思うところよりはすこしおろかな次元に生きている。そんな存在物であろうか、と思わせる。
8 神の杜揺らす御火焚小夜の色 つよし
「小夜の色」の響きがううつくしい。ただの焚火ではない、ただの夜ではない。神社の周りの樹々に神性が立ち上る。
9 神無月神が留守なら自立せよ のんき
季語の使い方が面白い。前を受けて、「神無月→神が留守なら」とグッとくだけた次元にくずしたところに柔軟さがある。そこから発展して、この機会に「あんたも自立しなさいよ」、で締めるところ忠実な留守番役に収まるうつわではない。神が帰って来た時には、自分が家出して、留守になってしまうんですね。もしくは、神が入れないようにそこを占拠したのでしょうか?
11 際やかにお火焚昇る深空かな 遥香
この季題への典型的な褒め唄。奇麗な言葉ばかりを使ってしまうと、噓っぽくなることがあるから要注意ですが、ここでは、うまく典型的な光景はめこまれている。
14 神丘や野風呂の句碑の「け」に悩む 楽蜂
吉田神社の祭られている吉田山。麓に京都大学があります。途中いくつかの句碑が立っているが、その崩し字のわかりづらさ。読めないと先達に申し訳ないきもちがあり、苦労します。判読できたときは嬉しい。また、一文字だけ特別とりだしてしまうと、またその「ひらがな」に触発されて、想像力うごく。文字も言葉です。いろいろな「け」がいきものように意味を帯びてきます。句碑巡りは、このような未知の言葉へであう旅であることでしょう。なやみもまたたのしい。、
18 まだ芯に残る反骨落葉風 蒼草
上五と中七のきりっとした「反骨」の宣言。その強さに対しての下五の「落葉」風の動きがマッチしています。風にふかれ舞い上がる落葉、なお動かぬ葉脈の筋を、こころの「芯」に結びつけたのでしょうか?(不易流行の精神)かな?
○久しぶりのカップルそろっての登場。
19 お火焚きや伏見の杜を彩りつ 幸男
␣␣伏見稲荷大社の「お火串」は全国から集まってくる。それを焚く火柱は雄壮で神秘的でもある。伏見大社という場所華麗なる輝き。固有名詞をよく活かしておられます。
20␣労り合い今日一日はいいふうふ 幸男
␣␣同じ作者が、パートナーをいたわりあっていて、(ここで心理的な「切れ」がうまれている。深い感慨に陥っているのだろうか)。ときにはケンカもしたが・・。だいじょうぶ。おもいやりがあれば、明日もいいふうふでいられます。
心の幅は広く深い。短詩形はその一句では全部が言えない。でも、ときに一言一句は潜在意識の隅々、自然の細部にまにまでととく。。こんな風なふとした呟きでも一句になります、従来の俳句の文法を学びながら、自分固有の心の深さを、どんなふうに定型の言葉として意識しながら組み立ててゆけばよいのか、お考えください。自分は何処の場所に立ちこの言葉を選ぶのか、表現になるまでの長い迷いの思索の時間、その思索の過程が、ある瞬間、一瞬の発語のひらめきになります。
素人玄人、才能のあるなし、健康状態、世間一般でいう学歴などは、かんたんにいえば個性と環境の差です。「志」はご自分の知情意のなかにあります。21␣お火焚きの朱が深まりて歩み止め 明美
␣冬の神事「火焚き祭り」が只にその季節の焚火ではないことを、見事にいいとめている。クライマックスで炎が朱色に澄んでくると、心がそこに染まり、観光気分で歩いていた自分も思わず歩みを止める、そして、改めて燃え盛る「お火串」にむきあう。火の「祭り」がつたえる神意と見る者の真意がそこで合致するのですが、この句は、その直前で、とまっている。
無季俳句はとても難しいのですが、あけみさんのこれをそういってもいい。その原点での統一を見る思いです。
すごくいい句だとおもいました。明美さん健在。とてもうれしいです。最後までやり遂げましょう。
22␣␣朝ぼらけ屋根に一羽で見る光 明美
これも、いい句ですねえ。夜が明け初めてあけぼのの光がさしてくる、それををたった一羽の鳥が眺めている、たった一羽で光をあびている。たった「一羽で」屋根にめざめている。そして周囲とともに自分も朝の光い明るく照らされさらされる。この屋根に一羽いる鳥の姿には生活感やそれまでの時間、合わせて作者の孤独(自恃)もかさなっている。高揚感もあり、哀感もまたうつくしい。日の出の光をあびるまでの時間帯が描かれています。それがすっきりした省略されたことばづかいで、俳句の景になっている。「朝ぼらけ」は季語ではないがこの景、心象風景としても意識の隅々まにまでととくことがあります。こんな風なふとした呟きでも一句になります、俳句の文法などを意識しながら、心の深さを、どんなふうに定型の言葉として意識しながら組み立ててゆけばよいのか。
21␣お火焚きの朱が深まりて歩み止め 明美
␣冬の神事「火焚き祭り」が只にその季節の焚火ではないことを、見事にいいとめている。クライマックスで炎が朱色に澄んでくると、心がそこに染まり、観光気分で歩いていた自分も思わず歩みを止める、そして、改めて燃え盛る「お火串」にむきあう。火の「祭り」がつたえる神意と見る者の真意がそこで合致するのですが、この句は、その日常的感覚が飛躍してゆく直前で、とまっている。
すごくいい句だとおもいました。感性の動きが外界の美しさに反応して形をもってくる、その原点を見る思いです。
明美さん健在。とてもうれしいです。私達の交流を最後までやり遂げましょう。
22␣朝ぼらけ屋根に一羽で見る光 ␣␣明美
␣これも、いい句ですねえ。夜があけてあけぼのの光がさしてくる、それををたった「一羽の鳥」が、たった一羽で「光」をあびている。たった「一羽で「屋根」にめざめている。そしてそれを見る自分も朝の光に明るく照らされさらされる気がしている。生活感やそれまでの時間を簡明な景で表し、合わせて作者の孤独(自恃)もかさねている。高揚感もあり、哀感もまたうつくしい。日の出の光をあびるまでの時間帯が描かれている。ここも特筆べきでしょう。そのすっきりした景、いい感じです。
明美さん。長くおやすみだったので心配していましたが、この期間の貴女のスランプは無駄ではなかった。とてもうれしいです。
自句
5 御火焚やこれの忌火を鑚り燻べ 吟
信仰心の薄い私のこと、この季語はむずかしかった。
粉になったものを鑚り出し、種火に燻べ忌火(清らかな、原初の火をつくる。そこから護摩木=お火串、を加えて、大きな炎に燃やしあげてゆく。「蜜柑」を投げ入れて悪い病気をおいはらう。それをたべると、疫病を防げるという信仰から、焼き蜜柑も人気です。
10 桔梗(きちこう)やガラスにすこし罅の入る 吟
「桔梗(きちこう)」の花のご弁の輪郭、凛としてそろっている、その花のカタチに見せられました。よびなについては、「ききょう」「あさがお」より、この「きちこう」のほうがすき。反省としては、「すこし」ではなく、「ピシと」などにしたほうがよかったのかも。
なにかいろいろと思うこのごろですが、この居場所は、今の京大俳句の純粋な表現への希求と向き合える癒しの場です。了。
幸男さんと明美さんの投句鑑賞のところ、書き方を考えていたら、同文をかさねて書いてそのまま送ってしまいました、パソコンのキーボードが壊れてしまって,
変換が上手くできないのが原因でしょう。読みにくくて済みません。でもそれだけ丁寧に読んで、感動してあれこれ考えたということだから、明美さんお許しくださいね。