* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第三十五句「牒 状」(てふじやう)

2006-06-02 16:21:09 | Weblog

              比叡山・延暦寺へ宛てた文書をしたゝめる能書の僧
       (三井寺の以下、幹部の僧たちが居並ぶ)  

            <本文の一部>

  三井寺には、貝鉦(かひかね)をならし、大衆おこって僉議しけるは、「そもそも、近日世上の体を案ずるに、仏法の衰微、王法の牢籠、今度にあたれり、いま清盛入道が暴虐をいましめずんば、いずれの日をか期すべき・・・・・」と、一味同心に僉議して、山(比叡山)へも奈良(興福寺)へも牒状をつかはす・・・・・

  山門には、これを披見して、「こはいかに。当山の末寺として、『鳥の左右の羽交のごとく、車の両輪に似たり』と押して書く条、狼藉なり」とて、返牒を送らずと聞こえし。そのうへ、平家、近江米一万石、北国の織延絹三千匹、山の往来に寄せらる・・・・・

  ・・・・座主登山して、「園城寺一味はしかるべからざる」よし、こしらへ給へば、宮(高倉の宮・以仁王)の御方へは参らざりけり。

  南都には東大、興福両寺の大衆僉議して、やがて返牒をぞ送られける・・

            (注)カッコ内は本文ではなく、私の注釈記入です。

        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
        <あらすじ>

(1) 三井寺(園城寺)では、僧たちが集まり”清盛”の横暴を止めるため、
    比叡山
暦寺や奈良・興福寺へ文書での申し入れをしようと相談し、
    
      先ず山門(延暦寺)にあてゝ、平家の横暴を挙げて”院宣”と称し
    て軍を派遣するとの噂に、仏法の破滅を避けるべく互いに協力して当り
    たい・・・・と、申し入れた。

(2) 延暦寺では、この頃に清盛の思惑による”贈り物”を受け取ったことや、
    座主・明雲の指示もあって、この申し入れ文書を一蹴し、返書も出さな
    かったほどである。

(3) 一方、興福寺では、長文の返書をしたゝめて、もろ手を挙げて賛意を表
    した。

 

 

  

 


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