鎮座日、祭神、例祭日:不明
現住所:雲林県褒忠郷龍岩村
田洋村長である章文旗さんの紹介で龍巖小学校校長の黄麗醫さんにお会いし、日本統治時代の様子を聞くことが出来た。また、その時頂いた鳥居の写真が下記に掲載している。現在の龍巖国小は昭和11年(1936年)1月に台南州虎尾郡龍巖尋常小学校として設立の許可が下り、同4月には日本人の子弟46名を対象にして、当時の1年生から6年生までの複式授業(一年起至六年複式教学)が行なわれた。終戦までには117名の卒業生を輩出している。2004年には創立70周年記念事業が行なわれ、日本統治時代に龍巖尋常小学校で学んだ卒業生も数多く参加したとのことであった。
龍巖製糖所は昭和10年(1935年)に大日本製糖会社が現在の雲林県褒忠郷田洋村に建設した製糖工場であり、領台後の最後の圧搾量1,200トンをもつ製糖工場でもあった。龍岩社はこの龍巖工場の企業神社であった。神社は龍岩小学校のグランドの北側の臥龍山中腹に建立された。神社の姿を残す写真は唯一、龍巖小学校の「創校70周年 校慶特刊」に掲載されていた神社の鳥居のみであった。
臥龍山の麓には「臥龍山」と刻まれた石碑があった。この石碑は現在、虎尾糖廠前の同心公園に遷座されている。裏には「昭和十年十月十八日命名 藤山雷太」と刻まれている。臥龍山の山の形が龍に似ているため、臥龍山と名付けられた。藤山雷太は大日本製糖会社の社長であった。
神社は後方の小山の山中にあった
神社の鳥居 「臥龍山」と刻まれた石碑
現住所:雲林県褒忠郷龍岩村
田洋村長である章文旗さんの紹介で龍巖小学校校長の黄麗醫さんにお会いし、日本統治時代の様子を聞くことが出来た。また、その時頂いた鳥居の写真が下記に掲載している。現在の龍巖国小は昭和11年(1936年)1月に台南州虎尾郡龍巖尋常小学校として設立の許可が下り、同4月には日本人の子弟46名を対象にして、当時の1年生から6年生までの複式授業(一年起至六年複式教学)が行なわれた。終戦までには117名の卒業生を輩出している。2004年には創立70周年記念事業が行なわれ、日本統治時代に龍巖尋常小学校で学んだ卒業生も数多く参加したとのことであった。
龍巖製糖所は昭和10年(1935年)に大日本製糖会社が現在の雲林県褒忠郷田洋村に建設した製糖工場であり、領台後の最後の圧搾量1,200トンをもつ製糖工場でもあった。龍岩社はこの龍巖工場の企業神社であった。神社は龍岩小学校のグランドの北側の臥龍山中腹に建立された。神社の姿を残す写真は唯一、龍巖小学校の「創校70周年 校慶特刊」に掲載されていた神社の鳥居のみであった。
臥龍山の麓には「臥龍山」と刻まれた石碑があった。この石碑は現在、虎尾糖廠前の同心公園に遷座されている。裏には「昭和十年十月十八日命名 藤山雷太」と刻まれている。臥龍山の山の形が龍に似ているため、臥龍山と名付けられた。藤山雷太は大日本製糖会社の社長であった。
神社は後方の小山の山中にあった
神社の鳥居 「臥龍山」と刻まれた石碑
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