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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

屏東県の原住民部落(蕃社)に建立された神社(祠)の現状 --- リキリキ祠

2013-04-14 05:58:53 | 屏東県の原住民集落に建立された神社

リキリキ祠(屏東県春日郷力里村) 

鎮座日:不明、祭神:不明

 

 力里国小(小学校)から132号線でリキリキ社に到着する。そのゲートの手前の山道を20分ほど車で上りつめると、標高660メートルの12kmの地点にパイワン族の大きな木彫り像が待ち受けている。その横に「老力里部落遺址入口意象導覧図」と表記された木製の案内板が立っている。導覧図中には「日治時期古道」「小社」「大社」「駐在所」「神社」「公学校文化広場」「頭骨架遺址」等の文字が見られる。

案内は力里社部落会長・村長・狩猟会長およびもう1人のパイワン族の方々で、入山することになった。まず、山の神様に入山の許可を得るために、お祈りから始める。小型のトラックに乗り換えて更に山中に進む。途中から徒歩となり、20分ほど山中に入り込み、旧リキリキ方面に辿り着く。

 廻りの草木を取り除いて、基座を確認する。同行してくれた原住民の一人が、基座から数メートル離れた場所に大きな石の塊を発見し、声を出す。倒壊された石の一部にさかさまになった「碑」の文字が判読できた。総勢7人で傾いていた石を取り除くと、更に石板に文字が見えた。最終的に、「殉難碑」であり、大正3年10月9日に起きた抗日リキリキ事件により亡くなった巡査および家族の名前であることが判明した。

 神社の基壇

 

殉難碑

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