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高屏発電所への入り口 水徳宮
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水徳宮の敷地内にある岡田安久次郎の碑である 当時の神社の旧景
獅子頭水利組合の初代組合長であった
製糖産業などの基幹産業の発展に伴い台南、打狗(領台当時の高雄の呼び名)、阿緱における電力需要に応じるために総経費108萬7,600圓を投じて明治41年(1908年)に建設が開始され、明治42年(1909年)に完成したのが竹仔門発電所であった。発電に利用された水は灌漑用水として利用され、美濃や龍肚一帯の田畑に供給され、肥沃な土壌とならしめた。タバコの栽培や二期作による稲作の生産高も大幅に増え、台南をして台湾の穀倉地帯までにした。この時に、水田などの灌漑を受け持つ重要な役割を果たしたのが当時の水利組合であった。
竹仔門発電所は現在、国家三級古蹟となっているが、今なお細々と電気を供給している。
発電所の建築工事期間には幾多の災害が発生した。従って、竹仔門発電所が完成後、職員により入り口の丘の上に水の神々を祀り、水天宮を建立した。残念ながらこの神社の鎮座日が不明である。
光復後、神社は取壊され中国式の廟に改築された。そして代天巡狩水徳宮と改められ、千歳王爺、五穀爺神農大帝および清代にこの地を開墾した龍肚水利三恩公である涂百清、鐘丁伯そして蕭阿王を祀った。
コメント有り難うございました。
できましたらこの建物の住所がわかりましたら教えてください。高雄の大体の神社はほとんど周りましたのでわかるはずです。
また今月末に調査で台湾に行きますので調べることは可能です。
私は昨日、この疑いのお寺に行ってきました、コンクリット工場内にあるので、ちょっといり口の見張りさんに頼んで入りました。でも残念ですが、この神社みたいなものは、実は台湾の伝統的なお寺なんです、”顯靈殿”と呼ばれます、見た目は日本式の建物に似てますので、私は間違いました。下のアドレスにはこのお寺の写真が見えます、http://tw.myblog.yahoo.com/jw!QNQrFM6YGhvFkh0U3fzM/article?mid=2039
有難うございました。立派なお寺ですね。一度時間があったら訪問したく思います。