黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 喜茂別町での移動運用 (2014/07/05~06)

2014年09月10日 15時45分05秒 | アマチュア無線 移動運用

 


 南富良野町の運用を終えて金山湖から富良野国道(237号線)に出て占冠村を通り日高町~平取町~むかわ町~厚真町~苫小牧市と進み室蘭街道(36号線)で登別市に向かう予定であったが此の街道は2010年に通った事を思い出し同じ道を進むのも芸が無さ過ぎると思い白老町に入った所で苫小牧市に引き返し141号線で支笏湖方面に向かった。支笏湖で写真を撮ろうと思ったが凄い霧が出てきたので諦めて支笏湖湖畔の南側の276号線を西に走り伊達市を通り倶知安町の運用地を目指していたが途中で時間的に無理で到着が遅く成る事に気付き急遽予定変更し伊達市から喜茂別町に入った直ぐの駐車場に車を入れアンテナを設営した。運用場所は北緯42度44分15秒74 東経141度03分23秒86 海抜343mHで有った。



 アンテナ設営中は駐車中に車が2台ほど居たが夕方頃には居なく成り遠慮なく思う存分運用出来たが運用実績は思いの他伸びなかった。運用は18:18~21:28JSTと翌朝の04:21~06:34JSTまで7MHz帯で運用して交信数は124局に終わった。昼の12:00JSTから21MHz帯が一瞬開けたが直ぐにフェード・アウトと成り交信数は3局に終わった。



 交信が途切れたところで鈴木さん(JA8VIY)が来られて5年ぶり二回目のアイボール、鈴木さんは札幌市厚別区なので「此処から距離的に如何程離れて居るんですか?」と尋ねたら意図も簡単に「100Km位かな」の返事、本当に北海道の人達は距離が苦にならない様子、幾ら道路事情が良いと言っても此のフット・ワークの軽さは真似をする事は出来ない。最初の2009年の出会いの時も私は新篠津村の石狩川の土手で運用していて会話の中で「札幌市内は交通量が多く道路事情も大都会で大変なので札幌市内は観光せずに小樽方面に向かう」と話しているのを聞き付けて「札幌人として、態々北海道を訪れた人を札幌を見せずに帰す事は出来ない」と運用場所に現れて「今日は日下さんを拉致しに来ました」と冗談を交え札幌ドーム、羊が丘公園、大通り公園、雪祭りの展示館、大倉山のジャンプ台、北大のポプラ並木を案内戴き最後には鈴木さんの御宅で移動運用の設備を見せて戴きフジの伸縮ポールや当時大流行していたラディクスのV型アンテナの現物を初めて目にする事が出来て自分の移動運用設備を見直すきっかけと成り其の後の私の移動運用スタイルも大きく変わった。



 其の後も鈴木さんはアクティブに北海道は勿論の事、本州方面にも良く移動運用されている方なので皆さん良く御存知の方、今回も色々な有益な話を聞く事が出来て参考に成った。


 第48回 全国2m・SSB愛好会に出席 (2014/09/06~07)

2014年09月10日 07時14分03秒 | アマチュア無線

 


 先週の土曜日から日曜日に掛けて「第48回全国2m SSB 愛好会」に出席する為に大分県の別府市に行って来ました。私はU・VHF対はアクティブには運用していないので144MHz帯は場違いの感じでは有ったのですが開催地までの運転交代要員として参加して来ました。



 土曜日の朝5時に実家に行き兄夫婦と出発し徳島市からは高速道路で愛媛県の大洲まで行き 其の後は地道で八幡浜市まで行き9時頃に八幡浜港に到着した。此の港からは宇和島運行フェリーによる別府港行きと臼杵港行きとが有ったが待ち時間の関係から行きは八幡浜港~臼杵港行きのフェリーを利用した。徳島を出た時は雨を心配する様な心許無い天気で有ったが八幡浜港を出航する辺りから天気は良くなり海はべたなぎの状態で揺れる事無く2時間近い船旅を楽しんだ。臼杵市からは高速道路で別府市に向かったが途中の山間では勾配のある道が多く四国の高速道路とは違い可也の高い所を高速道路が通って居る様に感じた。そして2時前には会場である「別府湾ロイヤル・ホテル」に到着した。八幡浜港で会に出席する愛媛県の局と会ったが其の方は別府港行き(確か出航時間が1時間程遅かったが)別便を使ったが偶然にもホテルへの上がり口で直ぐ後ろで出会った。



 ホテルに入って直ぐに夕立雨が降り出し抜群のタイミングでの到着と成った。3時からの受付で参加人名簿を戴いたが即座にコール・サインと名前を見てもお空で御会いしている人は4~5人程しか見当ら無かったが其の中に関上さん(JF1CQD)の名前を見付けた。関上さんとは今年の北海道の移動運用で初めてHF帯で交信して頂いて後の関東の運用地、群馬県北群馬郡榛東村でアイボールしていた。参加局の136人の中で唯一アイボールした方で会場の入口で此方から御挨拶したら少し驚いて居られたが直ぐに気付いて少しお話出来た。私は今回飛び込み参加だったので参加者名簿の印刷に間に合わず名簿に名前が無かった事と2メーターでは交信していなかったので関上さんにとって思い掛けない出会いで有ったことは容易に理解出来た。



 私の兄(JA5CHQ)は2mを中心に可也アクティブに運用して居るので今回の参加者の中にも可也の知り合いが居て沢山の人と名刺交換したり向こうから挨拶に来られる方も居た。会の中盤頃に私達の席に関上さんが立寄られ少し話をする機会が有ったが兄とは以前から交信していて知り合いだった様で私と初めて移動先のHF帯で交信した時「同じ阿南市の住所で苗字が同じなので何かの繋がりが有るのでは?」とインターネットで調べたら兄の会社のホーム・ページで兄弟で有る事が解ったらしい。逆に私は関上さんは特にアンテナ関係ではFT9の改良とか、EMEのアンテナでは凄い実績のある方で2mの世界では知らない人が居ない程、有名な方だと言う事を兄から教えて貰った。



 何せ私の2メーターの運用は毎週の木曜日の8頃から8時30分頃までの144.270MHz辺りの関東のロール・コールにチェックインをするだけ後は聞いていても電波を発砲する事は殆ど無い状態・・・従って144MHz帯では門外漢である事を実感した。



 帰って来て参考の為に参加者名簿の局をターボ・ハムログで検索したら136人の参加の中で43局との交信履歴が有った。しかし大半のQSOはHF帯での交信が主力で144MHz帯での交信履歴は殆ど無かった。最近U、VHF帯の運用者が少なく交信相手が少ないのでU,VHF派の方がHF帯を運用する人が少し増えて来たとの話を聞くが以前の様にHF派かU,VHF派等とはっきりしたパターンの運用が通用しない時代が直ぐ傍に迫っている感じがする。



 翌朝、9時前にホテルを出たが折角の大分県なので何処か立寄ろうと言う事に成り兄の発案で下駄で有名な日田市へ行く事に成った。高速道路に入って暫く走ると視界が100mを割る場所も有り凄いガスってる状態で北海道や東北以外で初めて濃い霧の中を走った。日田市での下駄を販売している産業振興会館を見付けるのに手間取ったが兄夫婦は私が「徳島で下駄屋さんを始めるん?」と冷やかす程に買い込んでいたが私は誰かさんの御機嫌取りに麦焼酎を購入した。



 四国への帰りは乗船時間の短い国道九四フェリー(佐賀関港~三崎港)に乗船し約1時間の船旅で佐多岬の近くを通るので楽しみにデッキに出て写真を撮ろうと思って待構えたが距離が有り過ぎて上手く取れなかった。船から下船して佐田岬メロディー・ライン(197号線)を東に進み最後の写真の道の駅「瀬戸農業公園」で昼食、此処を出た道を走ると「みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道」のメロディーが車のタイヤが奏でる走行音で流れた。四国の田舎でも此の様な洒落た道路が有るのか?と驚いたが此のラインは道もよく綺麗で点在する箱物も立派な物ばかり佐田岬の先端近くには四国電力の伊方原子力発電所が有るので原発交付金で潤って居るのだろう。此の佐多岬は四国の最西端、反して阿南市の蒲生田岬は四国の最東端、同じ四国の中で反対の一番離れた位置関係にある。今回の旅は最東端の阿南市から四国の最西端を経由して大分県を回る急ぎ急ぎの旅に成ったが高速道路の便利さを強く実感し夕方には阿南市に無事辿り着く事が出来た。