黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

鹿児島県大島郡龍郷町の移動の運用

2011年12月25日 13時51分03秒 | アマチュア無線 移動運用

    

 

 

 奄美大島での運用地の龍郷町は私自信の交信データーでも固定局との交信は無く8局ほどカードが有るが全て移動運用によるもの 又全てが県外局の運用によるもの 奄美大島の中では一番力を入れて運用したい町であった。奄美市の名瀬を出て58号線を北上すると宇検や大和村と違い開けた街道で所々に外食産業や土産物店が有り此の町は私が想像したより開けていた。
  


 此の街道を浦まで行くと道が左右に分かれており取合えず右の方向に行くと海岸線に所々、公園や駐車帯が有ったが3.5MHzのフルサイズのアンテナを張るには狭かったり方向が悪かったり良い場所が無かった(半島の西側)可也 先端近くまで行ったが良い場所が無いので引返し半島の東側に向かい進むと奇麗な海岸線に出て民宿やレストラン等が並ぶ街道に出たので「おかしいな?」と思いナビを確認すると奄美市に成っているでは無いか?私は奄美大島の北端部は全て龍郷町と錯覚していたが奄美市の飛び地が有ったのだ。

 


 此れはまずいと第二候補地の漁港の方に向かう事にし浦の分かれ道まで引返した(実はこの分かれ道が最初良く解らず直進して自動的に右側に行ってしまった)少し細い道に入ると火力発電所が有り町筋を抜けると内海を回る道を走った。この地は昔、西郷隆盛が流刑に遭い上陸した所らしく西郷さん所縁の松や公園が有った最初の写真も所縁の公園だった様に思う運用の予定で車を停めたが場所が狭かった事と公共の場所だったので食事休憩はしたが運用は遠慮した。

 

 其の後、内海に沿って北上、今居崎のトンネルを出たすぐの安木屋場漁港近くの海沿いを走ると海岸には大きい波が打ち寄せていた。天気は曇りであったが雨の降るような天気ではなかった。この一帯の海岸線はリーフに覆われていたが可也の波頭が防波堤に打ち付けていた。台風2号の影響が徐々に出始めていたのだ。(今まで内海沿いを走っていたので大きいな波は無かったが ここらは外洋に面している外海は荒れていたのだ)今回の移動運用では与論島で台風1号に遭遇、強い台風では無かったがフェリーが欠航、足止めを食らう痛い目に遭っている今回の台風は前回より大きい事は事前情報を得ていた。奄美大島から鹿児島港へのフェリーは夜8時ごろの出港、本日の夜の運用を決行すると明日の夜のフェリーは欠航の可能性が有るかも知れない?防波堤に打ち付ける波頭を見詰めながらそんな不安が過ぎった。

 


 昼間の7MHzの電波伝搬状況は全エリヤに対して開いていない本日のフェリーに乗船し鹿児島に向うには龍郷町の運用時間は17時までが限度、もし残留し運用、もし明日のフェリー便が欠航すると2~3日間の足止めは必至と成る、私の頭の中で色んな検討が始まったが最終的に確実に台風よりも早く鹿児島に上陸、九州本土で台風を遣り過す方が得策と判断するに至った。確認の為、電話でフェリー会社に連絡すると「本日の便は出航するが明日以降は解らない」との事、この段階で本日の便に乗船を決定した。 

 


 そうと決れば1局でも多くとの交信の為、鏡崎近くの漁港に向かい防波堤で囲まれた安全な場所(2番目の写真の場所で)アンテナを設営、Hiバンドからの運用を開始した。11時55分の21MHZから始め24MHz,28MHz、バンドは開けて居ないと思いながら駄目もとでの7MHz でCQを出すと思いも寄らず応答が有り(皆さん聞いていてくれた)168局と交信出来た。

 


 鹿児島県大島郡龍郷町移動での総交信数は220交信 21MHz 31局、24MHz 17局、28MHz 4局、7MHz 168局に終わった。移動行程の中で龍郷町の交信を期待された方には本当に申し訳なかったが諸事事情により此の様な結果と成ってしまった。17時まで運用をし其の後急いで撤収、来た道を引き返して新名瀬港に行き20時30分出港の鹿児島行きフェリーを待った。徳之島から奄美大島に来る便は通称「裏航路」と呼ばれる「きかい」だったが帰りのフェリーは「なみのうえ」で大型船が新名瀬港に入港する時は辺りは暗く台風の影響か雨が降り出していた。乗船する車は4台程度で乗船客も2等は200人位寝る所に20人位しか寝ていなかった。乗船して直ぐにシャワー室に行って体を洗っていたら船が港を出ると直ぐに大きく揺れ始め、どちらかの手で体を支え無いと立っていられない状況に成った。船室に戻り横に成りながら毛布の中で、今回の移動中の出来事やお逢いした人達の事等を思い出しながら眠りに付いた。