黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

タワー建設   (3-3)

2011年07月29日 14時34分47秒 | アマチュア無線

 タワー・セクションの繋ぎ手部分のタワー側の16mmΦの穴開け作業は順調に進み最後から2個目の穴あけになった時、握力も弱っていたしドリル刃の先も痛んでいたのか? 中々貫通せず刃が出た瞬間、刃がロックされ強く体重を掛けていたのでバランスを崩し脚立から落ちそうに成ったので思わず片手がドリルのハンドルから手が離れた瞬間、ガッンと額に衝撃が走った。やがて鼻筋の横が熱くなり手を当てると手が真っ赤に成ってタオルを巻いてしばらくするとタオルが真っ赤に成ったので直ぐ病院に走り手当てを受けた。担当医は「大した事は無い大げさな、消毒後バンドエイドで十分」と軽く受け流されたが此の事で以後、額に天下御免の向う傷を作る結果と成った。


 後日、最後の穴をあけ完了セクションの積重ねに入るのだが重くて人力では吊上げる事が出来ない。毎日、色々考えたが最終的に一番大きいクレーン車をチャーターし、川向こうの中学校の跡地から吊上げる事に決定した。此の土地は市の土地なので使用許可や草刈などに走り回り庄野さんを仕事中、呼びに行き二人が上に上がりセクションを繫いだ。


 タワー完成までには紆余曲折は有ったが『素人にもヤル気があれば何でも出来る。』と其の後の自信に成ったが部材の配達、継ぎ手の加工、祝儀の生コン、重機の手配や値引き折衝 垂直出し等、島さん、庄野さん、兄、父親に、そして何よりも家内に御世話に成った。


 建設から35年間 此れ等のタワーにはTA-33 208U 7エレトライバンダーと載せ替えし現在は21MHz5エレ八木 24MHz 5エレ八木 18MHz 3エレ八木 144MHz 13エレ八木 スタックが取り付けられている。

 


タワー建設  (2-3)

2011年07月29日 11時52分32秒 | アマチュア無線

 穴掘り作業が完了すると穴底にアース工事を行い完了後に玉石を並べて其の上にコンクリートの仮打ちし、その中にタワーの下部のセクションを固定、愈々本格的なコンクリートの流し込みを猫車で始めた。何十回運んだろうか?兎に角大変な作業となった。


 穴に生コンが半分くらい入った段階ではセクションを動かしても簡単に動いたが穴全体に生コンが入ると骨材が沈みセクションに力を加えても動かなく成った。此処らで最終的な垂直出しの作業が残って居るのにセクションが動かない「早くしないと修正が出来ない!」と思った私は父親の仕事場へ急行、現場に来て貰ったら「何かと思ったらこんな事やっとたんか?」と言いながら手早く垂直出しをしてくれた。


 余談だが父親は私ら兄弟を「兄弟揃って無線の極道たれ!」と近所の人に言っているのは知っていたが私などは可愛い方で兄は私が大阪に居る間に無線のアンテナを立てる為に屋敷の近くのたんぼを一枚潰してしまっていた。どんな方法を使ったのか知らないが?昔堅気の田んぼが一番大事と思って居る父親を説得したのだから前にも書いたが其の方面では天才的な素質を持っている様だ。


 そんな理由で御世話に成ると後々、煩いので頼まず内々で遣る積りが思わぬ所でバレテシマッタ、因みに父親は農業の合間にセメント二次製品を製造販売する仕事をしており其の道のプロだ。二人の兄が土木専門の技術者なのは そんな事が関係していると思う。


 コンクリートの養生が終わるのを待つ間に庄野さん(JA5HT)の鉄工所に入浸り90度のアングルでセクション同士の繋手を作った。穴明け位置決めの後、段々と径の大きいドリルの刃で穴を大きくしていく作業だったが2日位掛かった。取り付ける亜鉛のどぶ付けのボルトやナット等は庄野さんが無償で提供してくれた。


 養生が終わる頃、切断したセクションの上下が逆に成っており露出している上側に穴が開いていない事に気付き現場で穴開けをする事に成ったが(16mmの穴 32箇所)運の悪いことに地上に出ているセクションの高さが2.5mで私の背が届かずに仕方なく脚立に乗っての(足場の悪い状態)低速ドリルでの穴あけ作業をする事に成った。庄野さんに道具を借りる時、『ドリルを機械で固定出来ないので如何してもドリルを力強く押し付ける様に成るが、ドリルの刃の先端が貫通した時にドリル本体が必ず振られるので押し過ぎない様にくれぐれも注意する様に!』と言われた。  


タワー建設   (1ー3)

2011年07月29日 09時51分35秒 | アマチュア無線

 私の自宅が完成し1年位たった頃に島先輩から電話が有り「電力の変電所で使用していた四角のタワーのセクションが有るので要らないか?」と連絡を戴いた 1セクションの長さは7,5m 50cm角の亜鉛のドブズケとの事、現場に有るので個人での引取りに成るがワンセクション7Kで11個位有るらしい。家も完成し本格的に無線をこの地で始めるので「渡りに船」で3個欲しい旨、御願いした。


 7.5mの3段つなぎで22.5m地下に2.5m埋めても20m高に成る胸算用だったが先輩は4本にしたらと進めてくれたが、その頃は25mHのタワーを立ち上げる自信も無かったし7MHzのビームアンテナを上げる事等、考えも及ばなかった。(我家の敷地内には4.5トン車までしか入らなかった為人力に頼るしかないと思い込んでいた)


 3日位して「いるか」と先輩の声、出て行くと4トン半のユニック付の車にセクションが山積みされていた「何処に降ろすぞ?」と聞かれたので道路脇の自分の敷地内に下ろして貰った。配達料金を含む代金を払おうとすると「御前から配達料金を貰おうなんて思っていないセクション代金だけで良い」との事、帰り際に「此れで夢のアンテナが建てれるな」と言って帰って行った。良い先輩に恵まれて居る事を感謝した。


 道路脇のセクションは其の後1年以上その場所に鎮座していた。其れには理由が有った。我家の場所は実家から4Km離れて折り 我家は世間で言うところの来たり人、この在所の生まれで無いので知人も居ないし何かと注目されていた。その為道路脇に長々と並べ世間の目になじむ様に考えた。案の定、事有る毎に道行く近隣の人が「これは何で?どないするんで?」と聞いてきたその度ごとに「今は出来ないが将来、これを建てて無線をするんだ。」と説明した。やがて1年も成ると質問が「言いよったけんど何時ごろ建つんで?」変った。私の中では直ぐにでも建てたかったが周りからクレームでも出ると以後の無線が出来なく成るし何よりも新参者、軋轢を作りたく無かった。やがて時節到来、スコップによる穴掘りから始めた。


 穴掘りも大変だったが一番大変だったにはセクションの移動と土に埋まる部分のセクションの穴への落とし込みだったセクションは電力の変電所で使用されていただけに丈夫な作りではあつたが其の為に重量が有り家内と私だけでは持ち上がらなかった色々考えて残念だったが5m部分で切断した。穴の上部に三椏を組みチェ-ン・ブロックで吊り上げて穴に入れた。コンクリート打ちの知識を得る為、兄に相談すると色々教えてくれ「生コン代は祝儀で出してやる。」と業者を紹介してくれた。