グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その7)

2005年06月29日 | Wood's Book翻訳
 この時代のGNを救ったのは、O-1クラス、ミカドの登場であった。この機関車に、GNは長く追い求めていたものを見出した。シンプルな機器、63インチ動輪による相応のスピード、従輪上の広くて深い火室による十分な蒸気供給能力、そして牽引力である。O-1の60,000ポンドの牽引力は、L-1に匹敵し、L-2の55,000ポンドを上回るものであった。また、石炭や水の使用量もL-1やL-2よりも少なかった。機関助手は十分な仕事をしなければならなかったが、死ぬほどではなかった。結果として、150両のO-1が購入され、更に各クラスのミカドが続き、1942年には264両のミカドが保有され、GNの機関車の33%を占めた。これらには、尊敬すべきO-1、ボールドウィン製のO-4、9両のUSRAタイプ、そしてL-1、L-2、ちょっと変わったM-2の一部からそれぞれO-5、O-6、O-7の各クラスに改造された機関車が含まれる。
 もし、GNを真に代表すべき機関車を一両だけ選ぶとすれば、それは、世界最強のミカド、78,000ポンドの牽引力を有するO-8であるというべきだろう。カプラー間全長108フィート11インチ、16フィートに3/8インチだけ足りない全高と言う大きさで、パワーの観点では荷馬車用の馬のように強く、スピードも69インチの動輪をはいてS-1やP-1に匹敵するものであった。1932年にヒルヤードで製造された3両のO-8が非常に成功したので、すべてのO-7クラスも第二次大戦中から戦後にかけてO-8に改造された。O-8は、GNの関節型以外の貨物用蒸気機関車でただ1クラス、ローラーベアリングを装備していた。
 ミカドが成功した以上、スピードが遅く、複雑なマレーは、扱い難いものとして脱落すると、考えられるかもしれない。しかし、そうではなかった。GNがずっと名誉としてきたのは、少し問題があるという理由だけでその機関車を簡単にはあきらめないということである。GN自社工場は、その機関車の能力を完全に発揮させるところまで、改造や近代化を行うエキスパートとなっていた。1912年に最初に登場した2-8-8-0複式マレーN-1クラスは、他のどんな機関車より醜いといわれ、ユニオンパシフィックのBull Moose2-8-8-0より醜いといわれていた。その理由のひとつは、持ち上げられたベルペア火室であった。2-8-8-0は、大きな火室を台枠の間に収めるスペースがなく、また従輪もなかったため、巨大な火室は台枠の上、63インチ動輪の上に置くしかなかった。この結果、N-1全25両はGNの機関車の中で最も背が高い機関車となった。この機関車は、煙突及びキャブのトップが16フィートと非常に高かったので、機関士は後ろを見ると、4軸の小さいテンダーの上を越えて列車全体を見渡すことができたといわれている。N-1は、LクラスやMクラスにはなかった更なる発展の可能性を秘めていた。大きな動輪と巨大なボイラー・火室をもって、この機関車は強力な93,000ポンドの牽引力を持っていた。1920年代中盤に、GN工場はこの複式マレーを単式化し、牽引力も100,000ポンドに増大させた。これらの改造されたマレーは、N-2クラスとなった。1940年代初期に、このクラスはすべて、新しい台枠、ローラーベアリング等の近代的機器をもって改造されN-3クラスとなった。1920年代に装備されたバンダービルトテンダーも、更なる近代化だった。この結果、この機関車は、最もハンサムで強力な2-8-8-0となった。この機関車は重量列車を確実なスピードで牽引でき、多くの旅客用機関車より早かった。この機関車はIron Rangeで大量の鉄鉱石輸送を行った。戦時中はしばしば、20から22両の「兵員輸送車」のトップに立った。