泉区生活支援ネットワーク

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<見えないハンディと共に>不寛容社会を生きる(上)HSP/感覚過敏 共感が励みに(河北新報)

2019年03月29日 | 医療的ケア・重症心身障害・難病支援
「河北新報」平成31年3月27日(水)付け記事より引用)
<心が悲鳴上げる>
 東京で会社勤めを始めると、元々鋭い五感が先鋭化し、自らを痛めつけた。オフィスで同僚を怒鳴る上司の声、鳴り響く電話の呼び出し音、目を刺すようなパソコン画面の光…。「壊れてしまう」。心が悲鳴を上げた。

 仙台市出身の神田愛さん(25)=仮名、埼玉県=は東京の大学を卒業後、2016年4月に就職した会社を7カ月で去るしかなかった。

 退職し、自宅でHSPに関する本を読んだ時、妙に納得した。「まるで私の説明書だ」。自分の状況とそっくりだった。

 刺激に過剰に反応してしまう。ささいな物音が気になる。食べ物のにおいや人の気配が交じる雰囲気からいつも逃げ出したかった。「なぜこんなに敏感なのか。もっと鈍感でいたい」。そう思ったことは何度もあった。

 常に生きづらさを抱いてきた。育ったのは青葉区北西部の住宅地。小さい頃から車酔いが激しく、近所への買い物すらつらかった。自室で勉強しても家族の話し声や足音が気になった。

 学校では隣の生徒との近さに息苦しさを感じた。勇気を出して友人に相談したが、不思議そうな顔をされた。会社では体調不良を申し出ると「こんなことも耐えられないのか」と叱責(しっせき)された。この感覚を理解してもらうのは、簡単ではなかった。

<「喜びも人一倍」>
 大学時代に始めたブログが、心を静めるツールになった。悩んだ過去の体験を書き連ねると、見知らぬ人から共感するコメントが寄せられた。「文章を書いている時は自分らしくいられる」と思えた。

 同じ苦しみは人と人とをつないだ。打ち明けた思いは共感を呼び、心の救いになった。これまでHSPの18人を取材し、エピソードや特徴などを紹介した。更新を待ち望むメッセージは自信につながった。

 昨年企画した座談会で、HSPの人は神田さんをこう表現した。「生き方を示してくれた。光を届ける星みたいな存在」。思いがけない言葉が忘れられない。

 「HSPは人一倍敏感なのでつらさも大きいが、相手の思いにより共感でき、自分の好きなことをした時は喜びを人一倍感じられる」と神田さん。一度しかない人生を自分なりに精いっぱい生きようと決めた。

 見た目では分からない障害、難病などを抱えた人がいる。周囲に認知されず、当事者たちは小さな生きづらさを心にためていく。無理解が生んだ不寛容な社会を受け入れつつ、症状や気質を理解し、自分らしい生き方を模索する人を追った。(報道部・熊谷優海香)

[HSP]ハイリー・センシティブ・パーソンの略。とても敏感な人の意味。生まれつき刺激に敏感で、大きな音や強い光を過度に受け取って戸惑いや驚きを感じ、周囲の雰囲気や相手の感情の影響も受けやすい。提唱した米国のエレイン・N・アーロン博士(心理学)によると、約5人に1人の割合でHSPの人がいるという。
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