消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

小紋潤歌集『蜜の大地』刊行さる!

2016年09月30日 14時24分01秒 | 小紋潤さんのこと
過去記事
2016-08-05
09:25:00
     小紋潤歌集『蜜の大地』刊行、
      珠玉の420首を収録!


      
     手許にカメラがありませんで、ガラ携の粗雑な画像にて、まことに申し訳ありません。いずれ差し替えます。
          『蜜の大地』は、ながらみ書房(Tel 03-3234-2926)刊。四六判上製196頁、定価2500円+税


 熊本震災直前のこの4月、旧友小紋潤と長崎で35年ぶりに再会したことは、先に当クンちゃんブログでお伝えいたしました。

  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/32af27eee5663141425ae69b7ae6be65
  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/ee8131c841624f2943e0cedddbfca72f
  http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/7863973925893abb9564f65f6ad7e5c9?

 
 その折、近々、小紋の歌集が出ると聞き、心待ちにしていたところ、あちらこちらを経由して、このたび伊豆の山奥まで刊本が届きました。
 さっそく手に取ると、まさに小紋の人柄が反映された、とても凝ったつくりの装丁(高麗隆彦氏)となっていて、思わず顔がほころんだことでした。
 佐佐木幸綱先生の「そこに小紋潤その人がいる」との帯文が載る腰巻(画像左)をはずすと、ハチと蜂の巣をあしらったと見受けるカバー(右)があらわれ、「蜜の大地」にまことにふさわしい絵柄となっています。また、ページを開くと、見返しと本とびらを横断したスペースに見開きでやはり大きな挿絵が入っており(下の画像)、40年ばかり本づくりの周辺をうろついているクンちゃんもすっかり圧倒されてしまいました。

   

 かねてお邪魔させていただいている佐佐木幸綱先生のブログ「ほろ酔い日記」に何かアップされているのでは、とアクセスしてみると、見本あがりの段階で速報が載っていました。

    http://blog.goo.ne.jp/yukitsuna/e/06df41381e8f1391caa3e39785494a6f

 幸綱先生のブログには、「なかなか自分の歌集を出さない小紋潤に、なんとか歌集を出して欲しいということで」という記述がみられ、どうも初めての歌集のようです。そうだとすると、先にクンちゃんブログに書いてしまったエピソード、35年前に小紋の荻窪のねぐらで目覚めた二日酔いの朝、小紋から「2、3冊持っていけや」と勧められ、クンちゃんが固辞した場面でうずたかく積み上げられていた歌集とおぼしき本はいったいなんだったんだろうか、と腕を組んでいます。詩集か小説か、そういった類のものか? もらわんでよかったのか、もらっときゃよかったのか?!
 まあ、それはそれとして、ブログ主*註1がどなたなのか存じ上げませんが、「暦日夕焼け通信-短歌な日々」というブログにも関連記事がありました。
 
    http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8862.html


 というわけで、“中身を除いて”あらましをご紹介しました。

 で、肝心の掲載歌ですが、短歌の門外漢のそのまた外に位置するどしろうとにつき、これがなんともコメントできないのです。
 しかし、読み通してみて、心に残った10首を以下に掲げておきます。これは、「馬場昭徳選」とか「谷岡亜紀選」などという著名な歌人が選ぶものとはまったく異なるものですが、対象のすばらしさに免じてお赦しいただきたいと思います。


     一途なる思ひを持ちて郁子(むべ)の咲く五月の丘に一人遊びき(濫觴期)

    *叶はざりしことのみ多し万緑の彼方に若き白雲湧きぬ(万緑)

    *夢に見ればかく美しき故郷の秋澄む風もわが父母も(秋澄む風)

     くり返し繰り返される空の火のやうやく我に返る沈黙(花火)

    *仰ぎ見れば天上を群れ泳ぎゆく鰯雲ありて多摩は秋なり(銀杏)

     草の茂る小道を通り夕焼けの向かうにいつかゆかうと思ふ(ブリキの兵士)

    *いきどほるべきこの世の秋(とき)にあらざらんのちを思へば宴のごとし(父母の家)

     暑き日のうつろひのなか君をらぬ不思議を思ふ不思議に思ふ(不思議を思ふ)

    *夢の中に母はいませり麦秋の黄金の海に佇ちゐたりけり(ポプラ立つ丘)

     かくまでに澄みわたりたる冬空にいつか生れくる青雲あらん(青雲あらん)
      《掲載順。*印は「もし5首だったら」。歌中の(むべ)(とき)はオリジナルではルビになっています。》


 さて、さて、ひとつひっかかった歌がありました。

        人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケル*を思ふことあり(人生の半ば)
                        *「ブラック・パンサー党首」の註あり

 人生の半ば、がいつごろなのかわかりませんが、かなり年をくったと自覚し始めた段階と思います。
 そんなおっさんが、「カーマイケル」とは、いやはや小紋らしい、と思いましたね!

 1969年6月15日、クンちゃんたちフランス語クラスのおよそ10人の若者*註2は、小紋にそそのかされて日比谷公園内、野外音楽堂とその周辺で催された、なんであったか忘れてしまった集会に連れて行かれました。集会が終わると、大集団はデモ行進に移り、この気の毒な若者たちはいくつかの悌団のうちのひとつの群集の最先頭に位置することになりました、偶然。
 これを奇貨としたのかどうか、デモが銀座にさしかかると、ひとりの長髪の若者が隊列の前に躍り出て、長崎なまりで「広がれー」と大声でわめきつつ両手を左右に開いたり閉じたりして、4車線+駐車帯の広ーい道路いっぱいに隊列を広げろとキョーハクするのです。
 で、銀座通り一帯は、道路いっぱいの大フランスデモの巷と化してしまったのであります。
 この長髪の男がいったい誰なのか知る人は少なく、今もって定かではありませんが、当時の『アサヒグラフ』には大フランスデモの様子が見開きででかでかと載りましたから、ヒマな方は拡大鏡をお持ちになって国会図書館でご覧ください。

 最後の最後に、歌人の心は余人には皆目わからないという一首。

        多摩センターよりモノレールに乗り高幡不動にて降り、友を訪ねる(六月の水)

 うーん、これはむづかしい!次の歌(わが友は静養中でありたればパジヤマで出で来、顔色よろし)とのからみでどうしても必要なのだろうか?

        
 そこでクンちゃんも一発!

        伊豆の山から別荘地のバスに乗り熱海にて降り、診察を受ける(八月の病)


 巻末・大口玲子さんの解説はすぐに読みたい誘惑にかられるのですが、歌の全部を味わいつくしてから読みたいと、谷岡さんの覚書につづく1頁のみ読みました。楽しみはあとで、というわけで残しています。了


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*註1 リンクを張らせていただいたご挨拶をメールにて申し上げましたら、福岡の垣成美代子先生から丁重なる返信メールをいただき、恐縮いたしました。
*註2 クンちゃんら党派性のない学生は当時、ひとくくりに「ノンセクト・ラジカル」と呼ばれ、全共闘運動の一角におりました。党派(例えば中核派とか革マル派、ブント、解放派、民青=日本共産党などなど)も民青以外は全共闘に介入し、ノンセクト・ラジカルをなんとか自派に囲い込もうとしました。その目論見はまったく奏功せず、浅間山荘事件につづく連合赤軍のメンバー同士の大量粛清事件発覚を契機に運動総体が消滅に向かうと、ノンセクト・ラジカルはおおかた学園に戻るか、郷里に帰っていきました。このため、世間からは「連中はハシカにかかったようなもの」と評せられ、下を向いて歩かざるを得ないという心情を長く抱いた者も多かったようです。*註1、註2は2016年8月6日に追加記載



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