衣山に鎮座する金刀比羅宮の夏越祭が行われました。

拝殿に先々代の宮司が記した由緒がありました。

金刀比羅宮の由緒
松山市衣山西ノ岡630番地
天承年間(約870年前)(1131-1132)讃岐より奉斎、
その後康元(約755年前)(1256-1257)伊勢両神宮を奉祀、
当時神殿を賜り境内地、社右地545ヘクタール(約5町5反)に及んだという。
現在も内宮田、外宮田と農地名が残っているのは伊勢神宮の内宮、外宮の名称に引用されたのであろう。
後に嚴島 石鎚の両神社を合祀
明治初期には金刀比羅大権現と称し信仰された。
大正2年、灯明により社殿宝物の一切を焼失し現社殿は大正10年(約80年前)(1981)に再建された。
尚、境内には稲荷神社 天満宮の末社がある。
平成14年 壬午元旦 宮司 波爾
(見えにくいところは憶測で記載しています)

拝殿の中に設置された茅の輪

こちらの神社は地域の方が出店などを出して盛り上げており

非常に活気のあるお祭りで、こちらまで元気をいただきました。

拝殿に先々代の宮司が記した由緒がありました。

金刀比羅宮の由緒
松山市衣山西ノ岡630番地
天承年間(約870年前)(1131-1132)讃岐より奉斎、
その後康元(約755年前)(1256-1257)伊勢両神宮を奉祀、
当時神殿を賜り境内地、社右地545ヘクタール(約5町5反)に及んだという。
現在も内宮田、外宮田と農地名が残っているのは伊勢神宮の内宮、外宮の名称に引用されたのであろう。
後に嚴島 石鎚の両神社を合祀
明治初期には金刀比羅大権現と称し信仰された。
大正2年、灯明により社殿宝物の一切を焼失し現社殿は大正10年(約80年前)(1981)に再建された。
尚、境内には稲荷神社 天満宮の末社がある。
平成14年 壬午元旦 宮司 波爾
(見えにくいところは憶測で記載しています)

拝殿の中に設置された茅の輪

こちらの神社は地域の方が出店などを出して盛り上げており

非常に活気のあるお祭りで、こちらまで元気をいただきました。

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