次第に日が暮れるのも早くなり、朝晩冷えを感じるようになりました。
こちらの住宅地でも、どの通りを歩いても何処からともなく
金木犀のほのかな甘い香りが漂って来る時期ですが・・・
この誰にでも親しまれる庭木!9月迄に咲き終えた所も、あるでしょうね。
我が家の金木犀は、藤棚の前・ヤマボウシのそばにいます。塀沿い(間口)にも
何本かの若木を植え込んでいますが、数年前から開花するようになりました。
近くに植えた2本の金木犀が、いつの間にか満開”こんもり山のような
金木犀にするつもりが、長年でかなり差が付きました。
季節の移り変わりを感じさせてくれる懐かしい香り!
子供の頃は、庭に銀木犀の小さな白い花でしたが・・・
香りは金木犀ほど強くなく、控えめな香りがする程度でした。
いつものことながら毎日の生活に追われていると香りだけで
密集して咲く「小さなオレンジの花」さえ振り返って眺められぬまま
終わってしまう年もありました。揃って咲き誇る金木犀の花。
金木犀の香る時期から、紅葉へと近づいて行くのも見逃せませんね♪
小さな蕾が見えていた貧弱なコスモスも、少しですが咲きました。
日々咲き進む様子が可愛くて~出かける前(不規則)などに、同じような花を撮りました。
どの花も、種まきしたコが咲いてくれると嬉しいですね。
今週(一日研修)は、建てられた当時としては珍しい~東洋一(白い外観)の小学校と称されていた「旧豊郷小学校舎群」を
十数人で見学してきました。以前老朽化で歴史的建造物の解体か保存か?で、全国的に話題になった豊郷小学校・・・
結果!貴重な旧建物は残されました。旧校舎群は広大過ぎて画像は撮っていませんが、まだ正面から右へも続いています。
旧校舎の反対側には、立派な新校舎が建てられていました。恵まれた環境で学ぶ子供達は、幸せですね♪
昭和12年に郷土の出身(本校)/伊藤忠商事(丸紅)専務の古川氏(下/正面・右像)が巨額の私財を投じ、建築家ウィリアム
メレル・ヴォーリズの設計によって建てられました。建設・設備の全費用は、当時60万円(財産の3分の2寄贈)
現在の価値に換算すると数十億円にもなるそうです。その年代に、凄いお方だったようですが・・・
吉川氏の。。時代、ゆっくりでもいいから前に進むことや何事も諦めないで最後迄やりとげる努力
などの大切さ・勇気・励まして下さった先生とのエピソードが、あってこその尽力から~ヴォーリズ氏(共感)が
古川氏の想いを形に残そうと決め、ウサギとカメの装飾が設置されたとお聴きしましたが・・・?
1階から3階迄の階段の手すりにブロンズのオブジェ(ウサギとカメ)、3階の音楽室に向かう途中
勝利したカメを撮るのも忘れ、各教室や廊下に興味深々でした。レトロな雰囲気いっぱい”の講堂なども
印象的でした。アニメ「けいおん」のことは余りわかりませんが、架空の女子高がこちらの旧豊郷小に
似ていることもあり、「けいおん」の舞台にもなったことから~全国からファンが訪れて(聖地巡礼)いるそうです。
JR東海道本線・安土駅の改札口を出た所に(私達は車)建っているのは、織田信長の銅像・・・
琵琶湖の東・安土山に、織田信長の命によって築かれた地下1階・地上6階建ての絢爛豪華な城・・・
大正4年から3年の歳月をかけて完成(大正7年)した安土城・・・京に近い安土城(築城)は、琵琶湖の水運も利用出来ると
考えられたようですが、越前・加賀の一向一揆に備える為/上杉謙信への警戒の為でもあったようですが・・・
安土城は天守ではなく天主だったようですが、その山頂の天主に信長!家族は、本丸付近で生活し
家臣は山腹・城下の屋敷に居住していたとされていますが・・・
そして築城から3年後、大正10年(1582年)の「本能寺の変」によって倒れた織田信長・・・その後焼失した安土城~
本能寺の変で焼失したのは、全焼ではなく’本丸など一部が消滅した~明智光秀(本能寺の変)を利用したのは、豊臣秀吉?
その後秀吉を警戒して光秀の娘婿?信長の次男?が城を焼失させた説ほか、様々な別説もあるようです。
何らかの原因(落雷?・放火?)で炎上・焼失し、廃城となった安土城~またその後、徳川家康や様々な人物も
登場する歴史話に興味深々でした。多くの謎に包まれた幻の安土城跡、機会があれば一度訪ねて下さいね。
「天下布武」「安土城」の竹細工~癒しの灯りが、とても素敵でした。
ジグザグ石段の続く石垣に囲まれた道/残っている天主閣の礎石”安土城跡にも、行きたかったのですが
今回はほかにも立ち寄った場所があり、時間の都合で「安土城資料館」で終了となりました。
こちらの住宅地でも、どの通りを歩いても何処からともなく
金木犀のほのかな甘い香りが漂って来る時期ですが・・・
この誰にでも親しまれる庭木!9月迄に咲き終えた所も、あるでしょうね。
我が家の金木犀は、藤棚の前・ヤマボウシのそばにいます。塀沿い(間口)にも
何本かの若木を植え込んでいますが、数年前から開花するようになりました。
近くに植えた2本の金木犀が、いつの間にか満開”こんもり山のような
金木犀にするつもりが、長年でかなり差が付きました。
季節の移り変わりを感じさせてくれる懐かしい香り!
子供の頃は、庭に銀木犀の小さな白い花でしたが・・・
香りは金木犀ほど強くなく、控えめな香りがする程度でした。
いつものことながら毎日の生活に追われていると香りだけで
密集して咲く「小さなオレンジの花」さえ振り返って眺められぬまま
終わってしまう年もありました。揃って咲き誇る金木犀の花。
金木犀の香る時期から、紅葉へと近づいて行くのも見逃せませんね♪
小さな蕾が見えていた貧弱なコスモスも、少しですが咲きました。
日々咲き進む様子が可愛くて~出かける前(不規則)などに、同じような花を撮りました。
どの花も、種まきしたコが咲いてくれると嬉しいですね。
今週(一日研修)は、建てられた当時としては珍しい~東洋一(白い外観)の小学校と称されていた「旧豊郷小学校舎群」を
十数人で見学してきました。以前老朽化で歴史的建造物の解体か保存か?で、全国的に話題になった豊郷小学校・・・
結果!貴重な旧建物は残されました。旧校舎群は広大過ぎて画像は撮っていませんが、まだ正面から右へも続いています。
旧校舎の反対側には、立派な新校舎が建てられていました。恵まれた環境で学ぶ子供達は、幸せですね♪
昭和12年に郷土の出身(本校)/伊藤忠商事(丸紅)専務の古川氏(下/正面・右像)が巨額の私財を投じ、建築家ウィリアム
メレル・ヴォーリズの設計によって建てられました。建設・設備の全費用は、当時60万円(財産の3分の2寄贈)
現在の価値に換算すると数十億円にもなるそうです。その年代に、凄いお方だったようですが・・・
吉川氏の。。時代、ゆっくりでもいいから前に進むことや何事も諦めないで最後迄やりとげる努力
などの大切さ・勇気・励まして下さった先生とのエピソードが、あってこその尽力から~ヴォーリズ氏(共感)が
古川氏の想いを形に残そうと決め、ウサギとカメの装飾が設置されたとお聴きしましたが・・・?
1階から3階迄の階段の手すりにブロンズのオブジェ(ウサギとカメ)、3階の音楽室に向かう途中
勝利したカメを撮るのも忘れ、各教室や廊下に興味深々でした。レトロな雰囲気いっぱい”の講堂なども
印象的でした。アニメ「けいおん」のことは余りわかりませんが、架空の女子高がこちらの旧豊郷小に
似ていることもあり、「けいおん」の舞台にもなったことから~全国からファンが訪れて(聖地巡礼)いるそうです。
JR東海道本線・安土駅の改札口を出た所に(私達は車)建っているのは、織田信長の銅像・・・
琵琶湖の東・安土山に、織田信長の命によって築かれた地下1階・地上6階建ての絢爛豪華な城・・・
大正4年から3年の歳月をかけて完成(大正7年)した安土城・・・京に近い安土城(築城)は、琵琶湖の水運も利用出来ると
考えられたようですが、越前・加賀の一向一揆に備える為/上杉謙信への警戒の為でもあったようですが・・・
安土城は天守ではなく天主だったようですが、その山頂の天主に信長!家族は、本丸付近で生活し
家臣は山腹・城下の屋敷に居住していたとされていますが・・・
そして築城から3年後、大正10年(1582年)の「本能寺の変」によって倒れた織田信長・・・その後焼失した安土城~
本能寺の変で焼失したのは、全焼ではなく’本丸など一部が消滅した~明智光秀(本能寺の変)を利用したのは、豊臣秀吉?
その後秀吉を警戒して光秀の娘婿?信長の次男?が城を焼失させた説ほか、様々な別説もあるようです。
何らかの原因(落雷?・放火?)で炎上・焼失し、廃城となった安土城~またその後、徳川家康や様々な人物も
登場する歴史話に興味深々でした。多くの謎に包まれた幻の安土城跡、機会があれば一度訪ねて下さいね。
「天下布武」「安土城」の竹細工~癒しの灯りが、とても素敵でした。
ジグザグ石段の続く石垣に囲まれた道/残っている天主閣の礎石”安土城跡にも、行きたかったのですが
今回はほかにも立ち寄った場所があり、時間の都合で「安土城資料館」で終了となりました。
山梨英和の学生寮として使われていました。
送って頂いた、西洋オダマキですが、二回目の種蒔きは失敗せず、
出てきましたが、葉を虫に喰われています。
小さな苗は、消えちゃいそうです。^_^;
来年は、西洋オダマキの花が見られると嬉しいです。
三鉢植えましたが、地植えの方が、よいでしょうか?
日本各地に残されているヴォーリズの建築・・・
可能な限り、末長く活用されることを願いたいですね。
西洋オダマキ、無事に育っているようですね。
虫に喰われていても、根は丈夫です。
来春には、また綺麗な葉が出ますよ。
小さな苗も、これからはしっかりしてくると思います。
鉢で普通に育つので、地植えでなくてもいいです。
冬は寒く(雪)て葉が枯れ’消えても、春にまた復活します。
鉢を軒下に移動する必要もなく、そのままの環境で育てて下さいね。
お返事が遅くなってしまい、ごめんなさいね。