京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その24)崇徳天皇の怨念がこもる、白峯神社

2011-10-04 08:28:47 | 京の話題

Dsc07589

当時はは白河法皇の院政でした。保安4年(1123年)崇徳天皇は五歳で皇位につき、白河上皇が崩御すると、鳥羽上皇は崇徳天皇を疎んじました。

永治元年(1141年)崇徳天皇は近衛天皇に無理やり攘夷させられて、後、紆余曲折が有り、鳥羽法皇らとの対立が有り、「保元の乱」に発展しました。後に敗れた崇徳上皇は、讃岐の国へ配流となりました。

Dsc07595

崇徳上皇は、後白河法皇に色々嘆願しましたが、ことごとく突き返され、あまりの悔しさに、舌を咬み切ってその血で「日本の大魔王となって復讐する」と書き、死んでしまいました。

その後、京都では反乱や飢餓が相次ぎ、朝廷内にも色々な不幸が続きました。これを、崇徳上皇の祟りと恐れて保元の乱の古戦場に崇徳上皇廟を建て祀りました。(なんか、京都の寺院はこんないわれが多いのやな)しかしその霊を慰めるために京都に移したのは、明治初期です。このおぞましい経緯は、この神社でもあまり触れていません。

百人一首で有名な、崇徳上皇の歌

 瀬を早み  岩にせかるる滝川の

             われても末に  あはむとぞ思ふ

落語にも「崇徳院」というネタが有りますが、この背景を知って噺している方は少ないでしょう。

今の「白峯神宮」は蹴鞠(けまり)の宗家「飛鳥井家」の邸が有った場所が境内に有る為、球技などにご利益が有るとされ、とくにサッカー関係者の参拝が多いです。

Dsc07598_2

昨今、球技のボールの奉納が後を絶ちません。

Dsc07608

境内には蹴鞠をする(昔のサッカー場みたいなもの)広場が有ります。

Dsc07592

球技のお守りも授与されています。

Dsc07613_2

Dsc07614

Dsc07612_2

どこまでスポーツのお守りを授けるね!!!!

こうして、今はあのおぞましい、崇徳上皇の事も後の語り草になり、老若男女、球技に打ち込むスポーツ人の参拝者でにぎわっています。