桜の咲き具合はいかがなものと、円山公園へ行ったところ、まだ、つぼみ。
今年は少しおそいみたいです。何気なく、八坂神社南の鳥居を出ると、小さなお寺が有ります。もう、何十万回も通っている道に(少しオーバーかな)陰に隠れてひっそりとお寺が有るのを気が付きました。
「東景寺」といい山号は「秋葉山」。曹洞宗(禅寺)に属しています。このあたりで禅寺、特に曹洞宗が有るのには、目から鱗。
京都の代表的な曹洞宗のお寺といえば、「詩仙堂」や、前記の「興聖寺」(宇治市) http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120223思い浮かびます。(京都市内にも同名のお寺が有りますが宗派が違います)
ご本尊は「秋葉三尺坊大権現」を安置しています。1300年前に出現され、その神通力によって観音大士の化身いわれました。その祖を遠州秋葉寺(しゅうようじ)として天明年間(1781~1789年)より洛東上村崎村に有りましたが万延元年(1860年)にこの地に移されました。
幕末の混乱で荒廃していましたが、寺町頭天寧寺十五世梵城秦仙(ぼんじょうたいせん)大和尚を再興開山に迎え復興しました。
火難・盗難除けの御利益が有るとされています。
境内正面の左右には、紅白の椿が美しく咲いています。
曹洞宗と言えば、大本山が「永平寺」で有名です。もう五年位前に訪れた珍しい永平寺の風景を紹介します。(まだ、データが残っていました、貴重な写真です)
坊さんの大集会?こうも沢山揃われると何とも不思議な雰囲気です。得度式と思います。(お寺でも、宝塚みたいなこと記念に集合写真撮るのですね)
東山区祇園町南側500
かなり前になりますが、上御霊神社を紹介しました。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111011
社伝によると、初めは桓武天皇の第三子であり、謀反の首謀者とされて川原寺に幽閉の後、食を絶ち毒を飲んだ伊予親王とその母藤原吉子の霊を鎮めるため承和6年(839年)に仁明天皇が創建されたと言われています。
また、崇道天皇と追贈された早良親王(さわら)橘逸勢(はやなり)・吉備真備(まびき)・文屋宮田麻呂・藤原浩嗣(ほろつぐ)・菅原道真(火雷神)の御霊八神を祀っています。
上御霊神社と供に皇居の産土神として宗敬をえて、相殿に祀られる霊元天皇は二度行幸されました。
もともとは出雲路に有りましたが、豊臣秀吉の命で現在の地に移りました。
上京区新烏丸丸太町下ル信富町324
京都五山(禅寺)の寺格として、以下になっています。
南禅寺:別格http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111111
天龍寺:第一位http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120324
相国寺:第二位(本記事)
建仁寺:第三位http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120118
東福寺:第四位http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120208
万福寺:第五位(未掲載)
足利義満の意向により、相国寺を第一位、天龍寺を第二位となりましたが、足利義満没後にもとに戻されました。ここから、思うに、北山文化の象徴である義満は、よほど相国寺に力を入れていたかとつくづく思います。
このお寺の「法堂」(はっとう)禅寺は本堂とはいいません。
あの「坂の上の雲」でおなじみの「正岡子規」弟子で高浜虚子の句に。
行年の松杉高し相国寺
と有るように、まつの大木が高々とそびえて梢をゆらしている、その松の木もほどよい間隔でのばしているため、伽藍の見通しも良く、大寺のもつ威圧感このお寺には感じられません。
「法堂」横の庫裏です。
そして「法堂」の雲龍図を鑑賞します。(豊臣秀吉に再興されたものです)
この龍図は、鳴き龍で、妙心寺龍図あるのは吊り天井ですが、この龍図は足場を組んで約20mの天井に書いたと言うです事。そこではまた特別に龍は素晴らしく鳴きます。所定の位置に立って願いして、手を叩くとなんとピーンと気持ちの良い音がかえります。(私はピーンと、心地よく返ってきました)願いを込めて叩くと、返ってくると言われています。
本当は、撮影禁止ですが、法堂外からもう一枚。
遅ればせながら、法堂のご本尊。「釈迦如来像」です、これは「法堂」の外から撮影したもので苦労しました。
これは、鳴き龍は、実際皆さん体験して下さい。(私も、所定の位置で手を叩くと、ピーンと返ってきました)
その他、禅寺のお庭も拝見してきました。やはり、禅寺の庭は少し趣が違います。
ここ、禅寺ではあまり訪れないと思いますが、京都五山第二位です。一度は訪れては。
上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701
首途八幡宮と書いて地元の方でない方はまず読めません。「かどではちまんぐう」、とよびます。首途と書いて「かどで」と読みます・
その名の通り、首途は門出のこと。旅立ちの事です。この神社は「源義経」が奥州・平泉(世界文化遺産)の藤原秀衡のもとへ旅立つことによります。
社伝では、この地は平安京内裏の北東あたるため古くから皇城鎮護の社があり、池や築山をめぐらした流麗な境内を誇りました。やはり、それらの社殿は兵火によりことごとく焼失してしまいました。
長くはない参道を行くと珍しい二つの鳥居が有るます。
右の石段を登り、
参拝を済ませると、自然に左の石段から下るといルートになっています。
祭神は「応神天皇」「比売大神」「神功皇后」ということです。
上京区知恵光院今出川上ル桜井町102-1