少し、間をおきましたが、次第に「江戸」では「江戸」独自の文化が、発展しました。しかし、これも、「京」の文化からの基礎には間違いありません。
江戸初期の学問では、「朱子学」を中心に上下の秩序を重んじる「儒学」が盛んになりました。建築では豪華な装飾彫刻を施した、「日光東照宮」が、徳川家の権威の象徴として、当時の造形技術のすべてを注いで造られました。
一方「桂宮書院」には簡素な「数奇屋造」が施されました。絵画では「京都」の町衆出身の画家「俵屋宗達」が「装飾画」に新様式を生み出しました。
「俵屋宗達」画「「風神雷神図」
また、朝鮮侵略(文禄・慶長の役)の際に諸大名が日本に連れて帰った朝鮮人陶工によって「有田焼」「萩焼」などの磁器の生産が始まり。、有田の陶工「酒井田柿右衛門」がうわぐすりを付けて焼いた上から色絵を付ける「上絵付」の技法を研究し、赤絵具を基調とする「赤絵」の技法を完成させました。
「柿右衛門」様式花鳥図(東京国立博物館)
神社建築には「権現造」が普及し、本殿と拝殿とを石の間でエの字形に繋ぎました。それもこれも全て「京」からの文化です。
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