京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その516)六地蔵の一つ、小野篁の刻んだお地蔵様・地蔵寺-2

2013-03-31 00:05:48 | 京の話題

六地蔵の一つ「地蔵寺」にある「小野篁」(たかむら)の六体の「地蔵菩薩」は伏見の「大善寺」の里に祀られていましたが、保元2年(1157年)に、「平清盛」によって、都の安泰を祈るため、都に通じる六つの街道の入口にそれぞれ安置されたと伝えられています。

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「地蔵菩薩像」にしては珍しく、「光背」があり、六体の小さな「地蔵」が付いています。それぞれお顔が違うのが分かります。

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この「地蔵菩薩」は、木の最下部をもって作られたもので、世に「姉井菩薩」と呼ばれています。

この大きな「地蔵菩薩像」の左には、「三尊像」が安置されています。鎌倉時代初期のものと言う事ですが、重要文化財にはこのご住職には指定してほしくはないと。

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中央には「阿弥陀如来立像」、左右には、「弥勒菩薩像」「姿勢菩薩像」があります。お着物の裾までの綺麗になみが有るのが、珍しいです。

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本来は金箔でしたが、灯明・蝋燭・線香などのススでくろくなっています。

またその左には、金仏の「釈迦如来座像」が安置されています。

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「光背」は珍しく、花弁があしらわれています。「白毫」(びやくごう・眉間にある水晶などの飾り)の状態から鎌倉時代のものという事です。

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仏像ファンにはたまらないものです。(撮影はご住職のお許しをえてすべてOKです)

さほど大きな寺領ですが、広々とした美しい境内です。

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この辺りは、桂川の渡しに近く、「桂大納言・源経信」(平安時代の歌人・1016~1097年)や「伊勢女」等の歌人の住居が有ったと言われています。

西京区桂春日町9


京の話題(平安京その515)六地蔵の一つ、小野篁の刻んだお地蔵様・地蔵寺-1

2013-03-30 00:16:20 | 京の話題

京都には六つの「地蔵尊」が有ります。「桂地蔵」(地蔵寺)・「常盤地蔵」(源光寺)・「鞍馬口地蔵」(上善寺)・「山科地蔵」(徳林庵)・「伏見六地蔵」(大善寺)・「鳥羽地蔵」(淨禅寺)と各地にあります。毎年8月21日から23日までの「地蔵盆」には六体地蔵を巡って昼夜参拝者が続きます。

鞍馬口地蔵(上善寺)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120525

鳥羽地蔵(淨禅寺)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111208(私の大のお奨めのお寺です)是非ご覧ください。綺麗な「地蔵尊」を記載しています。

昔から京の町で子供を中心に「地蔵盆」が盛んに行われるのも、この「六地蔵新興」に起因しています。

桂地蔵(地蔵寺)

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地蔵寺は桂川の西、旧山陰街道沿いに有ります。「浄土宗」のお寺で山号は「久遠寺山」。

静かな、気持ちの良いお寺です。ご本尊「地蔵尊」は以前「淨禅寺」で説明した、参議「小野篁」(たかむら)が一度息を途絶えて、冥土へ行き、生身の「地蔵菩薩」に出会って蘇り、一本の大木から作った六体の「地蔵菩薩」の一つです。

鳥羽地蔵(淨禅寺)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111208の記載で、他の「地蔵尊」を紹介しています。親切で、ご本尊と「地蔵尊」を紹介して頂きました。

この「地蔵寺」の六体から作った「地蔵菩薩」が一番大きいと、お寺のご住職が丁寧に説明して頂きました。有難うございます。

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この「地蔵菩薩」を作った、平安時代初期の参議「小野篁」は、昼間は朝廷に仕え、夜になると「閻魔大王」に仕えるという逸話のある人物で、有名な「ゑんま寺」の「閻魔大王」の大木像を作ったとも言われています。

「ゑんま堂」の「閻魔大王像」です。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20110916

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優しいお顔の「お地蔵様」と恐ろしいお顔の「閻魔大王像」を作ったのが同じ人とは、「小野篁」の逸話は、京では多く有ります。

西京区桂春日町9


京の話題(平安京その514)西本願寺の別院-2本堂内のご本尊

2013-03-29 00:12:06 | 京の話題

前記にて、いかに私が「西本願寺」(本願寺派)がおおらかなお寺と記載しました。

昔の、寺社仏閣は皆、「性善説」でした。しかし、このすさんだ世の中で、仏像泥棒や賽銭泥棒など罰あたりな人間が出てきました。お寺さんも当然自衛します。しかし、心から、参拝参詣される方が、ほとんどです。

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このお寺は、平安時代、第50代「桓武天皇」(平安京遷都、延暦13年)の発願により、「最澄」(諡号・伝教大師)は京都西山の地に「久遠寺」を創建しました。紀元800年前後(延暦年間)のことと思われます。この「久遠寺」が西山別院の前身となりますが、やがて廃れ長らく荒れていた模様です。その寺基を、正和3年(1314年)、本願寺第三代宗主、事実上の本願寺創立者「覚如上人」(1270~1351年)が復興されました。以後「久遠寺」は浄土真宗「念仏の道場」となります。

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「覚如上人」ご往生の後はご廟所がつくられ、「久遠寺」は本願寺歴代宗主兼帯所として大切にされてきました。ところが室町期に入ると、「応仁の乱」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130130が勃発。戦国時代には織田信長との抗争が起きるなど、本願寺に対する法難が相次ぎ、「久遠寺」は騒乱の最中再び荒廃していきました。漸く再興の兆しが見え始めたのは、乱世が終焉を迎え、本願寺の寺基が堀川花屋町に定まり、東西本願寺の分立騒動も落ち着いた頃。第十四代寂如上人先導のもと「久遠寺」の寺地は、徐々に整っていきます。
宝暦6年(1756年)、第17代法如上人の時、本願寺旧本堂(阿弥陀堂)が、新たな本堂造営に伴い、西山の寺地に移築されました。これを機会に、諸堂が次々と建立され、やがて一時は本願寺筆頭別院に列せられるほど、当寺院は興隆しました。

堂内のご本尊です。(合掌)

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大正時代、現中央仏教学院の元となる学林が設けられました。その流れを汲み、現在では「浄土真宗」本願寺派僧侶を育成する「得度習礼・教師教修研修道場」と、宗教的情操教育を主眼とする「西山幼稚園」が境内に併設されています。
覚如上人最大のご功績は、本願寺教団を創設されたことにあります。

「覚如上人」は「親鸞聖人」の曾孫に当られ、幼少より容姿端麗、学才に秀でていたといわれます。また、父「覚恵上人」、本願寺第二代「如信上人」、そして「歎異抄」の作者と伝えられる河田の唯円房など、親鸞聖人面授の方々より、他力念仏の深い教化を受けました。
一方その頃、「親鸞聖人」のみ教えは全国に弘まりつつありましたが、同時にみ教えを自己流に解釈し誤った言動をするものも増えていったようです。年若い「覚如上人」はそのような事情を肌で感じ、「親鸞聖人」のみ教えを正しく伝える必要性を実感されたのではないでしょうか。やがて、その思いは本願寺教団の創設へと向かわれます。
「覚如上人」は一体どのようなご事跡を遺されたのか、これより辿ってみます。

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この桜真っ盛りの「親鸞聖人」のもとで、子供たちが、鬼ごっこをして遊んでいました。

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なお、真宗十派とは、蛇足ながら。

本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)、高田派(専修寺)、仏光寺派(仏光寺)、興正派( 興正寺)、木辺派(錦織寺)、出雲路派(毫摂寺)、誠照寺派(誠照寺)、三門徒派(専照寺)、山元派(證誠寺)の十派に拡がります。

※一部、「本願寺西山別院」様の資料を参考させて頂きました。唐突に、参拝し、本堂にご案内頂いて有難うございました。たまたま、訪れて、ポケットカメラで申し訳有りません。

西京区川島北裏町29


京の話題(平安京その513)やはり私は西本願寺が好きです、桂に有る・西本願寺別院-1

2013-03-28 06:40:18 | 京の話題

私ごとで申し訳ありませんが、京都駅の北から少し西に歩いた所に「西本願寺」(本願寺派)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120818と、京都駅のすぐ北に「東本願寺」(大谷派)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120821が有ります。皆さまは、京都駅のすぐ北の「東本願寺」(お東さま)に訪れると思いますが、少し歩いて、「西本願寺」をお奨めします。

このお寺様は「本願寺西山別院」で「浄土真宗本願寺派」で、開祖は「親鸞聖人」、ご本尊は「阿弥陀如来」(南無阿弥陀仏)です。

静かな、ほんのりとしたお寺です。

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なにやと言うと、「西本願寺」は本堂内も撮影OKです。「豊臣秀吉」のおおらかさが残っているのかな、と思います。「東本願寺」は堂内は撮影はNGです。「徳川家康」の意向かな?

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この西京区の地に「西本願寺」の別院「西本願寺別院」(浄土宗本願寺派)が有ります。静かでいいお寺です。桜の季節に、本堂の広場で子供たちが遊んでいます。(お母さん達は、シートをひいてお弁当)

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しかし、誰一人も本堂に上がり、ご本尊にお参りする方はおられませんでした。社務所の親切な方に御断りして、本堂に上がり参拝しました。感動です。別院と言っても、「西本願寺」の堂内と全く同じです。暫くのあいだ、ご本尊の前で見とれていました。

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ご本堂内の撮影もしました、次記に記載します。(合掌)

西京区川島北裏町29

(たわごと) 年金の事

大変です、もうすぐ4月1日です、この日から、公的年金の受給資格が年度ごとに、61歳から65歳に引き上げられます。と、いう事は、昭和28年生まれでは61歳から、段階的に引き上げられます。企業年金に加入している方はいいとして、これを聞く、若者の年金離れは大変な物です。細かい事は「日本年金機構」(0570-05-1165)へ聞いて下さい。(これがホンマの、エープリルーフールですか)

話は変わりますが、昨日のサッカー、アウェイといえど汚い行為です。ヨルダンだけでは無いようです。まるで、鉄砲の弾を撃つような汚いサポーター。日本のサポーターは決して行いません。


京の話題(平安京その512)安産と幼児の神様・御所八幡宮

2013-03-27 07:09:30 | 京の話題

賑やかな通り、御池通りに面して、静かに鎮座する、「御所八幡宮」です。

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ご祭神は、第15代「応神天皇」・「神功皇后」「比売神」(ひめ)の三柱が祀られています。

もとは御池堺町の「御所八幡町」に有りましたが、太平洋戦争中、御池通の強制疎開によって現在の地に移されました。

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この八幡社が「御所」八幡宮と呼ばれるのは、室町幕府初代将軍「足利尊氏」が自らの邸宅内の守護神として勧請したことに由来します。

「足利尊氏」の法名によって「等持寺八幡」ともいいます。また現在の地名から「高倉八幡」ともいい庶民に親しまれています。

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特に、安産と幼児の守り神として有名で、前記「三宅八幡宮http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111104」と並んで「虫八幡」と呼ばれ、庶民の信仰を集めています。

中京区高倉通御池南東側