京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その562)足利文化の後に、一気に花開いた「桃山文化」

2013-08-31 20:24:47 | インポート

時代というものは不思議な物です、戦争が終われば、時期がおとすれ、素晴らしい文化が花開きます。そして、それが終われば、また戦争の繰り返しです。とは、いっぷく、「桃山文化」について。

 「織田信長」「豊臣秀吉」は「安土桃山文化」といわれ、その時代の文化を「桃山文化」といいました。

 「桃山文化」は豪華・壮大な文化を生みだしました。

 雄大な「城」には重層の高い「天守閣」が造られ、建築は「書院造」、「欄間」には透かしの彫りの彫刻、ふすまや屏風には「狩野永徳」「狩野山楽」らの障壁画で華やかに彩られ(いどどられ)ました。

銀閣、東求堂の「書院造」

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書院造の内部

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「狩野永徳」作、「唐獅図」

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「狩野永徳」さく「花鳥屏風画」

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「狩野山楽」自画像

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「狩野山楽」作「龍虎屏風画」 

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以上のように、中国の文化とは、一切関係ない、日本独自の文化が生まれました。

華々しい、桃山文化です。

これもわずかに終り、また、戦乱の世の中に突入します。


どのような困難でも手抜きをしない世界で一番の、日本人の職人・技術者魂

2013-05-05 11:02:14 | インポート

以下の、内容は日本人がなした偉業が、我々日本人があまり知られていない、日本人のこと。私の尊敬する「竹田恒泰」氏の著書を拝読し、あまりにも感動・涙し、若干の変更はしましたが、ほとんど変更しなく記載さして頂きました。有難うございます。 

日本人の卓越した職人・技術者魂はすごいものです。世界一の日本人魂を。 

日本人は手抜きをせずに、完成度の高い仕事を成し遂げることを美徳としてきました。ウズベスタンにその気質が、旧ソ連の日本人抑留者の強制労働者であっても遺憾なく発揮されました。 

ウズベスタンは中央アジアに位置す、旧ソビエト連邦の共和国で、北はカザフスタン、南はトルクメニスタンと国境を接しています。世界では海と接していない「内陸国」が43ヶ国有りますが、そのなかで、国境接にする全ての国が内陸国である国、すなわち、国境を少なくとも二回越えないと海に辿りつかない国を「二重内陸国」といい、世界中で、リヒテンシタインとウズベキスタンの二ヶ国しか有りません。四方を海に囲まれているわが、日本国と正反対の地理的環境にあり、ウズベキスタンはおよそ世界の国々と隔絶された場所に位置し、「辺境の地」です。 

首都のタシッュッケントは中央アジア最大のオペラ・バレイ劇場でナヴォイ劇場があります。ナヴォイ劇場は、およそ二年間の工事で経て昭和22年に完成されました。約1500人を収容できる煉瓦造り三階建ての劇場で、この建設工事を担当したのは、当時シベリアに抑留され強制労働されていた日本人でした。 

大東亜戦争末期に、外地にいた約65000人の日本人がソ連に強制労働に連行されと事「シベリア抑留」は誰でも、良く知られていることです。、しかし、日本人が中央アジアまで連行されていた事はあまり知られていません。 

ウズベキスタンに連行された約25000人の抑留者達は、過酷な労働を強いられ、道路・工場・運河・炭鉱・発電所・学校などの社会基盤の建設に強制的にあたされました。厳しい気候条件、充分な食事を与えられない厳しい収容所生活、そして就労された危険な仕事などでの結果、病気や事故などで813人の日本人抑留者がウズベキスタンの地で亡くなりました。 

ナヴォイ劇場の建設には約500人の抑留者が充てられて、そのうち約60人が事故などで、命をおとしました。(十人に一人以上です)この数字から、どれだけ過酷な環境であったかと想像に絶せません。 

しかし、日本人の抑留者たちは、そのような理不尽かつ非人道的な状況のなかであっても、建設工事には、一切手抜きすることは有りませんでした。シベリアの連行された日本人には、旧満州鉄道や建設会社の技術者、そして関東軍の工兵たち、いわば最先端の技術者が多く含まれていました。彼らは、戦争に敗れても日本人としての誇りえを捨てることなく、丁寧かつ緻密な仕事をして、見事な劇場を完成しました。入口の天井付近などは細かな彫刻や模様があしらわれて、それらも手先が器用な細かい作業を得意とする、日本人の技術者が作ったものです。 

そのような日本人の丁寧で熱心に働く姿を目のあたりにして、地元の市民達は、尊敬と畏敬の念抱き、見るに見かねて食料を差しいれた者もいたということです。そして、その様子はいまだに語り草になっています。日本人の態度は正々堂々として、待遇改善を訴えているばかりのドイツ人捕虜たちとは全く異なっていました。 

しかし、1966年4月のタシュケントを震源とした大地震が発生して、市内では震度八を記録し、建物の三分の二が倒壊しました。ところが、、当時築18年を迎えてたナヴォイ劇場はまったくの無傷で、見渡す限りの瓦礫の山の中で、凛と輝いていたと言われいます。これを見たタシュケントの市民は、完成度の高い仕事を成し遂げた日本人抑留者たちのことをあらためて称えました。中央アジアのなかでもウズベキスタンの親日の度合が抜きんでているのは、抑留者たちのおかげです。

地元の大学生は、母親から「日本人のような真面目な人間になりなさい」と教えられているようです。日本人を夢みて日本語を学び、日本とウズベキスタンの友好の懸け橋になる若者が多くいます。

ソビエト連連邦の崩壊の1996年、独立したウズベキスタンのカリモフ大統領は、ナヴォイ劇場に日本人抑留者の功績を称えプレートを掲げました。そこには「1945年から46年にかけて極東から強制移住させられた数百人の日本人がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」とウズベク語・日本後語・」英語で書かれました。

 平成18年にウズベキスタンを訪問した当時の「小泉純一郎総理」が、タシュケント市内の日本人死亡者慰霊碑と日本人抑留者記念碑を訪れて献花し、ナヴォイ劇場を訪問し、先人達の遺産に目を細めました。

 祖国生還の夢叶わず辺境の地に斃れたる方々に哀悼の意を表しました。

 抑留者たちは日本とウズベキスタンの友好の絆を今に遺してくれました。

 劣悪な環境で、黙々と抑留者が作った、精密な道路・工場・橋などは、その多くが現在でも使われています。なんと、日本人は素晴らしい、世界一職人・技術者魂とのことでしょう。

何が言いたいかと言うと、この素晴らしい日本人の物づくりが、前記の「某SONY」にはもはや無いのかと、誇りも捨てて金もうけに走り、前記は「赤字決算」です。この精神を忘れた「某SONY」は没落に向かう事間違いないです。(全く、創業者の意図から離れた会社の末路は哀れなものです)


京の話題(平安京その568)春の特別、妙心寺、塔頭寺院・大法院

2013-04-24 06:12:50 | インポート

「臨済宗・妙心寺・大本山」は前記にて詳細に記載しました。参照願います。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120129

「大法院」は信州松代藩主であった、「真田幸村」の兄「真田信之」の菩提寺です。特別拝観の春の陽気(今年は少し寒いです)にさそわれて、参拝しました。

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「真田信之」の遺命で、孫娘「長姫」が「淡道宗廉」(たんどうそうれん・大転法輪禅師)を開祖として、寛文2年(1662年)に創建されました。

拝観料にはお茶席券も付いています。

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山門を入ると、すぐ左には有名な「佐久間象山」のお墓があります.

「佐久間象山」は江戸時代後期の松代藩士で兵学者・朱子学者・思想家です。

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方丈への紅葉も、この季節に色付いています。

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とりあえず、お茶とお菓子を頂きながら、お庭を観賞です。

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「大法院」の見所は、客殿を囲むようにして広がる庭です。この庭は「露地庭園」といわr、「露地」とは茶室に付随する庭のことです。仏教でいうところの「清浄世界」を表しているもので、幽玄の趣を醸し出す演出となっています。「露地庭園」は茶道と深く関わっていますが、お茶を楽しむだけのものではないようです。

この庭園を通じて、わびさびの世界や禅の心に触れます。

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禅のお寺で有りながら、又すこし変わった、気分にさしてくれるおてらです。

右京区花園大藪町20


京の話題(平安京その450)奇祭で有名な・法界寺(日野誕生院)-1

2013-01-14 23:02:06 | インポート

「法界寺」、一般的には「日野薬師」と呼ばれる、「真言宗・醍醐派」の特別本山です。しかし、毎年不思議な「奇祭」が有ります。

ビックリしおますやろ、毎年1月14日に「法界寺」にてこの奇祭が行われます。この「裸踊り」子供さんバージョンと大人バージョンです。極寒の時に。

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子供さんバージョンです。

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皆さん、元気が良いです。

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と、大人バージュンが有ります。

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東京では、ものすごい雪です。この「法界寺」(日野誕生院)では、毎年、1月14日に」ご本尊の「薬師如来」の法要とこの「裸踊り」が行われます。旧暦では2月の真っ最中の寒い時です。

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細かい事は抜きにして、この「奇祭」は次記に動画で紹介します。この時は、「粕汁」のお接待です。皆さんこの寒い時に、感無量。(私、どこでも、お寺の接待受けています、こまめに)

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厚かましいですから、お代わりはしませんでした。この行事は、「消防士」が付き添い、万が一の(心臓麻痺」「心筋梗塞」などに対応して、ADEなどもちゃんと準備していおるとの事です。

明日は、このお寺御事や、記事の動画を含め興味のある記載です。こうご期待を。

伏見区日野西大道頂19


京の話題(平安京その173)晴明神社の失態・晴明神社の今

2012-03-22 20:33:25 | インポート

最後の、「鹿王院」の一番記載したい前に、ちっと茶番を。

今日は、千本釈迦堂(大報恩寺)の一年に一度の釈迦堂、千本の釈迦念仏にお参りしてきました。(年に一度の大法要と涅槃図の公開です)

この模様は、後日に掲載します。

その前に、時間が有ったので晴明神社を見てきました。確か、一月三十一日http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120131

に掲載したところ、すごい反響がありました。その時の、晴明神社の看板は以下です。

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以前は、寂しげな神社が映画や漫画一躍有名になりました。晴明さんも一発芸で当てたのかな?(もっとも、陰陽師ですから

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この看板に、法律上、信仰上と記載されています。どこが、法律ですか?憲法(第20条・宗教の自由)の意味が全く分かっていないか?

そして、今日の看板は、こんなように変わっていました。

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以前の看板とものすごく違います、全く違う内容です。(笑)

その後、近辺のお寺を散策し、ご住職のご意見を拝聴しました。お寺や神社はそこだけでは繁栄しない、周りの土産もの屋などと共存共栄で賑やかになり又参拝者等が増えてくる、これが、門前町の本来の姿と、言われました。賛否両論が有ると思いますが、人それぞれ、考え方が違うのですね。

色々な所へ行き、ご住職や神主様の話を聞くと、今までなかった、視野の角度が増えてきます。

面白いですよ、四十年近くサラリーマンしていた人間が、突如目覚めて、この世界に眼を見張ると何か急に視野が開きます。