京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その47)弘法大師が勧請した、平岡八幡宮

2011-10-31 05:41:26 | 京の話題

弘法大師が、高雄の神護寺鎮護のために、宇佐八幡を勧請したのがはじまりです。

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祭神は応仁天皇で、当時の産土神で、梅が畑八幡宮とも呼ばれていました。

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現、本殿は、格天井を飾る花絵図の見事さは有名です。是非とも散策をお勧めします。

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何とも、のんびりした宮内でしょう、街中の所とは少し雰囲気が違います。このようなところで心鎮めてください。

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現本殿は、格天井を飾る花絵図の見事さは有名です。毎年春期、十月十五日の例大祭から冬の時期に公開されています。是非、機会が有れば散策することをお勧めします。(この土俵は先代「若乃花」が土俵位入りしたという事です)

右京区梅ヶ畑宮ノ口町23


京の話題(平安京その46)清和神社

2011-10-30 00:05:55 | 京の話題

清和天皇(水尾帝)を祀る水尾の産土神(うぶすながみ)です。

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境内には摂社四所神社が有ります。

これは清和天皇の母染殿皇后(藤原明子)が信仰する大原野神社を祀ったものです。

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今は交通の便はここあまり良くないですが、かつては山城と丹波を結ぶ主要路の途中で有りました。よって、清和天皇もお終の住処と選びました。

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水尾は柚子の産地で、観光用に柚子風呂を焚くことで知られています。昔は各村々には産土神(うぶすながみ)が有りました。滅びゆく社寺も有り、又、町民の力で発展する様々なものが有りました。

右京区嵯峨水尾宮ノ脇町


京に話題(平安京45)京都で伊勢参り。日向大明神

2011-10-29 00:31:10 | 京の話題

嵯峨野地方を散策していましたが/、突如、伊勢参りに行きます。

この、京都でちゃんと伊勢参りが出来ます。この日向大明神(ひむかい)は、お、お伊勢さんの様に出来ています。京都にしては珍しく伊勢参宮に摸して、外宮と内宮にわかれ、境内下段を外宮と拝殿と下ノ本宮を配して瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀られています。

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一段高い奥の社域を内宮として上ノ本宮に天照大神と宗像三女神を祀っています。

神明造の社殿は平安京では珍しい物でここは少し不便ですが、お勧めします。

又、天の岩戸くぐりも有り、「京のお伊勢さん」とも言われています。洞内に入ってみましょう。

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室町時代に、伊勢講が近隣に、代わりを求めて、ここに伊勢神宮の模擬社を創建したと言われています。一度は御参詣を。

山科区日ノ岡一切経谷町29


京の話題(平安京その44)口を開いた千観内供養像、内愛宕念仏寺

2011-10-28 07:12:36 | 京の話題

愛宕念仏寺と書いて、おたぎねんぶつじ、と読みます。

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旧寺は平安朝の初め、六波羅蜜寺と同時期に建てられた寺で「東寺」に属していましたが、寺が流失して、天台宗の「千観」があらためて七堂伽藍を再建しました。

比叡山の末寺となり、等覚山愛宕院と号しました。

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この千観内供とは生涯念仏をとなえることをやめず、念仏上人といわれ、そのため当寺も愛宕念仏寺と称するようになったと言う事です。

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旧寺は戦火で衰微して、鎌倉中期の本堂や江戸期の仁王門がのこり、ここに移したため、境内の山腹には表情の豊かなユーモラスな千二百羅漢の石仏が多く有り、楽しく散策できます。

右京区嵯峨鳥居本深谷町2-1


京の話題(平安京その43)織田信長を祭神、建勲神社

2011-10-27 11:13:26 | 京の話題

なんと、京の町で「織田信長」を祭神としている神社が有ります。建勲神社と書「たけいさおじんしゃ」と読みます。

明治2年(1869年)明治天皇は織田信長の偉業に対して神社の宣下を行いました。東京に信長の神社が有りましたが、ここ「船岡山」に社地を与え、遷座して社殿を新築し、別格官幣社にしました。

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船岡山は標高112mので京都盆地という大湖に浮かぶ船のように見えるため、平安京造営でもこの山が都造りの基準点となったようです。前記の真南に大殿門や朱雀大路が設計されました。

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山頂の本殿まで約百段の石段が有り、本殿から南の京都を見渡せます。

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本能寺の後、豊臣秀吉はこの船岡山に「天正寺」と言う名の寺を建てようとしましたが、それはとん挫しています。

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この神社に織田信長最後に、謡った「敦盛」の石碑が有ります。信長の苛烈をきわめた人生を祀るにはおだやかなたたずまいです。

北区紫野北船岡町49