嵯峨野地方を散策していましたが/、突如、伊勢参りに行きます。
この、京都でちゃんと伊勢参りが出来ます。この日向大明神(ひむかい)は、お、お伊勢さんの様に出来ています。京都にしては珍しく伊勢参宮に摸して、外宮と内宮にわかれ、境内下段を外宮と拝殿と下ノ本宮を配して瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀られています。
一段高い奥の社域を内宮として上ノ本宮に天照大神と宗像三女神を祀っています。
神明造の社殿は平安京では珍しい物でここは少し不便ですが、お勧めします。
又、天の岩戸くぐりも有り、「京のお伊勢さん」とも言われています。洞内に入ってみましょう。
室町時代に、伊勢講が近隣に、代わりを求めて、ここに伊勢神宮の模擬社を創建したと言われています。一度は御参詣を。
山科区日ノ岡一切経谷町29
なんと、京の町で「織田信長」を祭神としている神社が有ります。建勲神社と書「たけいさおじんしゃ」と読みます。
明治2年(1869年)明治天皇は織田信長の偉業に対して神社の宣下を行いました。東京に信長の神社が有りましたが、ここ「船岡山」に社地を与え、遷座して社殿を新築し、別格官幣社にしました。
船岡山は標高112mので京都盆地という大湖に浮かぶ船のように見えるため、平安京造営でもこの山が都造りの基準点となったようです。前記の真南に大殿門や朱雀大路が設計されました。
山頂の本殿まで約百段の石段が有り、本殿から南の京都を見渡せます。
本能寺の後、豊臣秀吉はこの船岡山に「天正寺」と言う名の寺を建てようとしましたが、それはとん挫しています。
この神社に織田信長最後に、謡った「敦盛」の石碑が有ります。信長の苛烈をきわめた人生を祀るにはおだやかなたたずまいです。
北区紫野北船岡町49