宗教戦争といえば普通は、欧州における16世紀にかけて宗教改革運動に伴っておきた一連の戦争をいいます。カソリックとプロテスタント両派の宗教対立と政治対立が結びついた戦争で、国際規模の戦争にはってんします。シュマルカルデン戦争、ユグノー戦争、八十年戦争、三十年戦争など多くの、国際戦争がありました。
欧州最後の宗教戦争と呼ばれた三十年戦争はドイツを舞台に行われた国際戦争で、周辺諸国が介入して大規模な国際戦争になりました。その名の通り長期間にわたり行われた戦争です。発端は宗教戦争でしたが、結果は列強の領土争奪戦としての性格になり、この戦争の結果、ドイツ各国の領土主権が認められ、神聖ローマ帝国は実質的に崩壊しました。
三十年戦争は人類史のなかでも最も破滅的な戦争の一つでした。ドイツの全土が戦場となり、ドイツの人口の三分の一にあたる約600万人が命を落とし、むらの六分の五が破壊されました。これによりドイツの農業の基盤が破壊され、経済は完全な麻酔状態となって著しく停滞しました。統一国家の建設も各国よりおおいに遅れ、19世紀後半までもちこされることになるなど、どいつの発展は200年間は後退したといわれています。
以上の戦争で兵士として戦ったのは大半が傭兵でした。ドイツ人達は戦争によって村が荒らされ、休戦中も傭兵によって略奪と殺戮が繰り返されました。ドイツの冬は寒いです。家を焼かれた農民が、寒さで次々と死んでいきました。
有名な、ジャック・カロの描いた三十年戦争における農村での虐殺(被絞首刑者生る樹)の版画絵
当時は「ドイツ」という主権国家が有ったわけでなく、神聖ろーま帝国の一地域でした。戦争犠牲者については諸説ありますが人口の90%が犠牲になった地域も有ると言われています。
三十年戦争のように、人口の何割もの戦争犠牲者を出す事などは、日本では一度も有りませんで市歌。日本史上最悪の大東亜戦争ですら、戦争犠牲者は4%未満であったと言われています。
三十年戦争の最も悲惨なことは、非戦闘員を最初から虐殺する戦略でした。日本の戦争では、当時実用化されいた大砲は「城」を攻めるときのみに使用されるものでしたが、三十年戦争は最初から都市を攻撃するために使用されました。
以上の事がら、太平洋戦争の末期に、アメリカ軍が日本国土の無差別爆撃や、あのおぞましい、広島・長崎の原爆攻撃はいかに非人道的なものと分かります。