京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その5)

2011-09-15 20:31:01 | 京の話題

前記にて紹介しました「東寺」と「西寺」を挟んで平安京の玄関口ともいえる「羅城門」が有ります。そこから真っすぐに北に延びた大通りを「「朱雀大路」です。なんと、巾が85m位有りました。(すごい大通りです)終点は、「朱雀門」ですが本当は、北の端は船岡山の正面という事らしです。今の「千本通」とほぼダブります。

では、何故この通りを「千本通」という名前になったのでしょう?どうやら、平安時代のこの通りは、夜ごと死骸が運ばれて行く気持ちの悪い道でした。その証拠に船岡山の西には「蓮台野」が有り、埋葬のところでした。ですから、この通りに千本もの卒塔婆が立てられたということです。

その一つが船岡山の南西に「閻魔前町」と言う地名が有ります。また、船岡山の西のあたりを「紫野」と言います。いかにも京都らしい綺麗な名前ですが、本当は、「紫」とは死人の血の色の意味です。よって、紫野は「血の色の野原」と言う事になります。死骸を運び血に染まった野です。ですから千本通は死骸から流れる血で染まった通りとなります。(すいません、この通りの方々)一見綺麗な地名でもこのようなエピソードが有ると思うと京都の地名は益々面白いものです。

うんちくはほどほどにして「東寺」の境内をもう少し紹介します。

国宝「大師堂」です。弘法大師の住房で、弘法大師の念持仏や国宝の不動明王像(秘仏)が安置されており不動堂ともよばれています。康暦元年(1379年)焼失しましたが、さすが民営ですから、ちゃんと翌年には再建されました。また明暦元年(1390年)北側に国宝「大師像」を拝する為の礼堂と廊を加え現在に至っています。つまり、「東寺」の象徴である弘法大師信仰の中心の御堂です。

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入母屋造りの礼堂・切妻の中門・緩やかな勾配の総檜皮茸の屋根がその優雅さを魅せられます。

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「大師堂」の入口です。

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皆さまでお弘法大師様のお心を偲びましょう。

身は高野 心は東寺に おさめをく                                         

              大師の誓い 新たなるけり

落語で「大師の馬」と言う艶噺を一度演じたことが有りますが、つくづく弘法大師は色々なところで偉業を行っていると思います。(こんなネタしたら罰が当たるかも)今回は真面目な事ばかりで、ギャグ無。まだまだ見どころは有ります。

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
千本通りのいわれ、聞いて初めて分かりました、納... (ピーチク寄席のファン)
2011-09-15 22:16:14
千本通りのいわれ、聞いて初めて分かりました、納得です。
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Unknown (御無沙汰マン)
2018-08-30 07:01:06
久しぶりに、この千本通りを散策しました。
やっぱり、京都の町は観光客でいっぱい、また涼しくなったらゆっくりと散策します。
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