京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

今日の話題(平安京その364)お寺か幼稚園か分からない?・正林寺

2012-09-30 06:28:35 | 京の話題

このお「正林寺」の寺の山門はみごとな物です。

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山門を抜けると駐車場?奥に入ると幼稚園。どこが本堂で方丈?やはりお寺を支えるのには難しいものです。

本堂と書かれた方向へ、幼稚園児等をみながら奥へとお邪魔しました。

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この「正林寺」は浄土宗に属し正式には「清涼山光明真言院正林じ」と称します。

もとは「平重盛」の「小松邸」があり、のちに「藤原兼実}(かねざね)の別荘小松殿がつくられたところです。

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「兼実」は「法然」に帰依し宇堂を建てましたが、「応仁の乱」で焼失して、そのまま荒れ果てていました。

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享保18年(1733年)に僧恵空(えくう)が、享保5年(1730年)の西陣焼けで「北野天満宮」http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120319にあった「正林寺」をこの地に移し復興しました。

東山区渋谷通東大路東入ル3丁目上馬町553


今日の話題(平安京その363済)密かに豊臣秀吉を祀った・新日吉神社

2012-09-29 00:05:24 | 京の話題

この「神日吉神社」(いまひえじんしゃ)へ参詣される方はあまりおられないかも?

豊圀廟http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120508の参道におおきな石柱が有りそれを後にして、どんどん坂道を登ると鳥居が有ります。

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そこを抜けると目にも鮮やかな、朱塗りの門が有り「これが新日吉神社」です。

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この東山の山麓に大きな社領をもつ神社が有るのを、恥ずかしながら知りませんでした。

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この神社は「後白河上皇」が自ら院御所とした広大な法住寺殿を造営し、その鎮守社として叡山東麓の「日吉神社」を勧請した事に始まります。

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御祭神は「大山昨神」(おおやまくいのかみ)・「大巳貴神」(おおなむちのかみ)・「後白河院」です。皇室の尊崇をえておおいに栄えましたが、「応仁の乱」で荒廃しました。

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江戸初期のに妙法院の「堯然門跡」(ぎょうねん)が「智積院」の北に再建され、さらに明治31年の「豊国廟参道改修のさいにこの地に移転しました。

珍しいのは境内に「樹下社」(じゅかしゃ)がありこの神社の神官が、徳川家全盛であっても、密かに「豊臣秀吉」(日吉丸)を祀ったと言われています。この猿(狛猿)もそのなごりと思われます。

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この御幣を持った一対の猿は愛嬌が有ります。

東山区妙法院前側町451-1

(たわごと) 世界三大宗教における日本人の「仏教」の多様な宗派

現在の世界三大宗教は大きく分けて「キリスト教」「イスラム教「仏教」に分けられます。しかし、万事を創造神である「ヤハウェ」「アラー」の意思で説明する「キリスト教」と「イスラム教」の教義がきわめて明確であるのに対して、「仏教」の教義はつかみずらいです。

「仏教」について言えば、「釈尊」(釈迦)がひらいた仏教は、アジアの様々な民族に広がり、そこの独自の宗教と混ざり合ってきわめて多様な宗教を作りだしました。特に、日本の仏教は縄文時代から受け継いできた「神々」を祀る信仰である「神道」が理解できなければ、日本の仏教を理解できる事が出来ません。

本ブログは、お寺と神社を交えて記載しています。日本人は各土地に昔から根付いていた、産土神(うぶすながみ)と海外から伝来した仏教をうまく合体してごく自然に信仰して来ました。その為、日本では一部の例を除いて宗教的な内戦等は起こりませんでした。その為、日本では、海外では例にない仏教大国となりました。

日本の各宗派の仏教をいくら学んでも、仏教の本質にふれられる事は不可能です。「仏教」の本質をつかむには、最初の「釈尊」(釈迦)の本質的な思想から理解する必要が有ります。ある宗教家の話の受け売りですが。この続きは、またの項に。

釈尊(釈迦)の生い立ちは前記http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120830を参照願います。続編はまた記載します。

ヤハウェ:旧約聖書中の唯一の神でヘブライ語

アラ―(アッラーフ):アラビア語でアブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の唯一の神


京の話題(平安京その362)御親切な住職・淨福寺

2012-09-28 13:18:34 | 京の話題

このお寺は、ちょっと寄り道の散策の予定が、ご親切な住職に隅々まで案内頂き、すっかり長居をしてしまいました。

このお寺は、山号「恵照山」と号し、浄土宗に属します。またかつての所在地から「村雲寺」とも言います。その他、四脚の門は朱塗りで「赤門寺」とも、なんとも名前の多いお寺です。

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境内は広々として、本堂にむかう幅も広くちょっと法隆寺の夢殿に向かう感じがします。

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創建は最初「天台宗」で延暦年間(782~802年)賢憬大僧開都と伝えっれ、当時25大寺の一つに数えられていました。

たびたび火災にみまわれ健治2年(1276年)後宇多天皇の命により一条村雲にさいけんされ、室町期の末大永5年(1525年)に後柏原天皇により念仏三味堂の勅号を賜って浄土宗を兼ねるようになりました。後に智恩院に属しました。

この地に移ったのは、享保元年(1615年)です。

本堂は本尊阿弥陀如来像が安置されています。

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寺宝には、二十五菩薩如来図(鎌倉時代・重文)、土佐光信筆十王像(室町時代・重文)が有りますが、保管の都合上宝物館に安置していると言う事です。

しかし、ご住職の案内で見どころは多く有ります。

本堂裏には、

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狩野派から分かれた画家が描いた、釈迦図。又本堂には「山田分厚」画(明治初期)の雲龍天井図。この龍は鳴き龍です。

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「啼き龍」で部屋の中央あたりで、手を叩くと、音が響いてかえって来ます。

ここにもこんな素晴らしい、龍図が有るとは思いませんでした。

屏風や衝立も歴史を感じます。

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お庭も素晴らしい眺めです。

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このお寺の本堂は入母屋造の礼堂と寄棟造を合わせた複合建築で、今ではこのお寺だけの建造物でひじょうに珍しい建て方と言うことです。

現在瓦のふきかえ中で、私も瓦に名前を書き、一枚寄進してきました。落慶は二年後と言う事です。

ご親切に案内頂いた、ご住職、貴重な時間、有難うございました。(合掌)


京の話題(平安京その361)古い歴史を持つ延喜式内・鍬山神社

2012-09-28 00:08:18 | 京の話題

なんと言ってもこの神社の古い歴史は有名です。

天岡山の麓に鎮座する「延喜式」式内社です。(延喜式帳は以前に何度も説明しました)

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創祀は和銅2年(709年)といわれ、丹波を開拓した出雲の神を祀ります。

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丹(に)の湖(うみ)であったこの地を、鍬や鋤で浮田峡(うけたのはざま)を開拓し、水を山城の国へ流し、肥沃な土地を作ったというもので、その時に使った「鍬」が山のようになったので、その神徳をたたえてこの社名がついたとされています。

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この神社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つとなっている「丹波猿楽」があり、平安京はもとより、摂津・河内など各地に出向いて活躍していましたが、天正4年(1576年)「明智光秀」の丹波進攻の混乱により廃絶されたと言われています。

しかし、江戸時代には歴代藩主の保護のもと、祭礼が復活しました。

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現在の、本殿と境内社八幡宮本殿は、文化11年(1814年)に建造された、一間社流造・柿葺(こけらぶき)の建物です。

亀岡市上矢田町上垣内22-2

(たごごと)

昨日の「野田総理」の国連の演説、久しぶりに見直しました。相手国の名ざしはひかえて、ジワリジワリととの大人の演説。東南アジアはすべて日本の味方です。敵の敵は味方、中国と韓国は手を汲みます。それでも日本が中国から経済的に手を引くと向こうのダメージは70%、日本も30%位はダメージを受けますが、これからは、そのたの東南アジアのくにやインドなどにテコ入れすれば、未来は明るいです。

中国は二桁のGNPを予定していましたが、これで7%以下にダウン。ますます、自国への不満の若者が増え、国家転覆は間違いなし。第一、選挙も無い国はおかしいです。今の時代。


京の話題(平安京その360)足利尊氏が源氏再興の為に旗揚げした・篠八幡宮

2012-09-26 00:43:32 | 京の話題

この神社の創建は不明です。

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縁起によれば延久3年(1071年)河内の「誉田八幡」の神霊をト部兼延」が奉行となり、都の守護のために勧請したのが始まりとされています。

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また「平安京」の乾(いぬい・北西)にいちすることから、「乾厄神」とよばれ、勧請の翌年「源頼義」が参籠して霊夢をみたとも伝えられています。

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元弘3年(1333年)「足利尊氏」が源氏の再興と鎌倉幕府倒幕のために「六波羅探題攻め」の挙兵をした「旗揚げの地」としても有名です。

亀岡市篠町篠上中筋46

(たわごと)

中国が(交際法を無視して)ウクライナから第三国を通じて購買した、超旧式な昔の「ワリャク」正式名は「ヴァリャーグ」あれはバッタモンの空母です。

正式には「重航空巡洋艦」。一番の問題は機関です引き渡し時は、出力、蒸気タービン4基で8万馬力(満載排水量が67500t)少し大型のアメリカのエンタープライズは満載排水量が93000tで出力は28万馬力。そのため、ディーゼルエンジンに改造しているようです。その他、格納庫やレーダーも問題あり、実戦配備にはほど遠い。(中国はなり物入りで実戦配備をしているみたいですが)

離発着にもまだまだ問題があり、多分、中国新幹線なみに事故は多発間違いなし。所詮、」持ちなれないものを持つと維持費倒れ。そのうち旧式艦になり、退艦は時間の問題。なにしろ、ソビエト連邦で重航空母艦として、25年前に進水した中古品ですから。