甲子園で予定されていた関西学生野球連盟春季リーグ戦第3節の2日目は15日(土)の日程が雨天中止となり、16日(日)に順延されました。これは結構大きな問題があって、甲子園球場は阪神の持ち物である為に借用期間に限りがあるのです。今春のリーグで借りられる期間は14日(金)~16日(日)までの3日間でした。
従って、決着をつけられなかった対戦は後日、南港中央野球場に会場を移して行われることになります。通常の対戦カードならそれでも何ら問題ないのですが、伝統の関関戦が「鳴り物禁止」の南港中央で実施されるのは、何とも悲しい話です。大阪府内の各球場は屋外の場合に鳴り物が禁止されます。唯一、ドームの京セラドームのみが認められており、高校野球にも例外はありません。これらに関しては、かつて大阪球場、日生球場、藤井寺球場など、プロ野球の公式戦を開催していた屋外球場が球団の身売りなどで使用機会を失い、次々に消滅していったことも大きな影を落としているのだと思います。
大学生の頃、時間に余裕があったこともあり、西宮球場を含めた阪神地区の各球場で主にパ・リーグの公式戦を観戦していたのが、今では歴史の1頁になってしまった寂しさがあります。大阪府内の高校硬式野球部には理不尽とも思えるルールがあって、ユニフォームは白以外が認められていません。岡山で言えば、岡山東商の「白桃色」や岡山南の「ライトブルー」なども大阪だと認められないということになります。東海大仰星が選抜に出場した際、甲子園で初めて縦縞を着られたということが大きなニュースになったのも、そういう事情によります。
大阪のアマチュア野球界に残る理不尽な規制が学生野球にも少なからず影響していて、関西学生野球連盟のリーグ戦が兵庫県、京都府、滋賀県で多くの試合を消化する理由にもなっています。吹田市の関大、東大阪市の近大は府内でできる会場が南港だけというのもあって大阪以外の試合会場での多くの試合に向かわないといけません。ところが、交通アクセスを考えたら、吹田から南港に向かうには結構乗り換えが多くて時間がかかる為、西京極や大津、西宮、神戸に行く方が便利で速いというのも事実です。そして、この最も融通が利いて、利用しやすい大阪市南港中央野球場があまり利用されないという残念な現実になっています。
何だか、話がおかしな方向に向かってきたので戻します。
閑 話 休 題
第3節、第2日は「近大-京大」2回戦と、関関戦の1回戦が行われました。
▽2回戦(1勝1敗)
近 大 010 011 000│3
同 大 010 000 001│2
(近)北見・寺沢・西本-吉岡・中丸
(同)髙木・清野・財原・阪上・清川・橋本-辻井
⚾近大が接戦を逃げ切って1勝1敗のタイに戻しました。同大は粘りましたが、打線が4安打では中々追い付けませんでした。
両校の3回戦は22日(土)に南港中央野球場にて行われます。
▽1回戦(関大1勝)
関 学 000 100 000│1
関 大 000 110 00X│2
(学)溝口・執行・中西・坂本-石井
(関)金丸・田中湧・河野-有馬
⚾関大が3投手の継投で関学打線を1失点に抑え先勝しました。エース・金丸で初戦を落とすことになるとかなり厳しくなりますから、まずは辛勝であっても勝てて良かったと思います。打線は4番・有馬に打点がつくなど、なかなかホームの遠い試合を中軸の活躍で勝ち切ることができました。
両校の2回戦も22日(土)に南港中央野球場にて行われます。
第3節はこれで一区切りになります。第4節は4月21日(金)に「立命-京大」の2回戦、4月22日(土)に「同大-近大」の3回戦と「関大-関学」の2回戦を大阪市南港中央野球場にて行います。更に試合が重なる場合の予定は今のところ組まれていません。
issanさんに、山口氏の存在をご存知ですか、などと聞くだけ野暮なことは聞きませんが、現役時代、生で見た経験はありますか?
今で言えば…佐々木朗希投手を少し小柄にした感じ、なのでしょうか?
全盛期のスピードボールは、当時の一流ところが口を揃えて異次元だった、と言うレベルだったらしいですね。
78年の日本シリーズに山口氏が故障せず投げていたら、阪急ブレーブスの4連覇は固かった、と言う関係者もいるらしく。太く短く投手生命を燃焼したあとは、阪急ーオリックスにコーチからのスカウト、そして星野仙一氏に請われて阪神に移ってからも、藤川球児をコーチとして引き上げるなど卓越した手腕を発揮したとか。この本は2014年ですが、現在は母校の関大で指導に当たられてるのでしたっけ?
この世界の成功者、特に投手、しかも関西人としては?珍しく?温厚篤実で人望も厚く、だからこそ常に評価が高いとか。
松下電器に入社の際にはです松下幸之助氏より直接激励の言葉をもらうという、すごい体験もしてるらしいですね。
最も強く印象に残っているのは松下電器時代です。当時でも世界一だったキューバ代表を相手にストレート一本で三振の山を築いて、キューバ選手をして「浮き上がるストレートは見えない。見えないボールは打てない」と言わしめた圧巻のピッチングです。
身長は172cmと発表していましたが、正確には170cmなかったと思います。低身長の為に早稲田のセレクションで落とされたことから、「関東の大学には絶対に負けん」と誓い、大学三冠にも輝きました。
身長の低さをカバーする為に、ステップを小さくして真上から投げ下ろすフォームでした。その投げ方が投手寿命を短くしたのかも知れません。プロでは常に故障との戦いを強いられたので、本当の全盛期は短かったのですが、間違いなく一時代を築いた方です。
関大の早瀬監督は私と同い年ですから、同じ時代に山口さんの現役を知っていると思いますし、大先輩なので緊張するでしょうが、今の大学生にとってはアドバイザーというより、優しいおじいちゃんコーチといったところでしょうか? 神宮大会の時、スタンドの最前列で静かに選手の動きを見つめていた姿が印象的でした。故障で苦しんだ肥後や高野を復活させたのも、自らの故障体験を踏まえた指導の賜物だと思っています。