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おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

vs 埼玉上尾メディックス 前週の2勝の勢いを継続できないチームの若さとメンタルの弱さ

2023年02月04日 17時16分51秒 | バレーボール

入院中だった先週末は、ジップアリーナ岡山で岡山シーガルズは首位を走るJTマーヴェラスと戦いました。

順位を争うKUROBEアクアフェアリーズと笠岡で対戦し、まさかの連敗という「笠岡の罠」に完全にはまってしまったシーガルズとすれば、首位のJTとの対戦はかなり荷が重いと思われました。

その2試合の結果です。

競り合いになりましたが、粘り切って連勝しました。ここに来て、首位のJTに連勝したことは非常に大きかったのですが、KUROBE戦の連敗が響いています。ただ、この2試合はシーガルズの目指すバレーが少しだけ出せたと思いますので、このまま勢いを増して3連勝、4連勝を目指したいところでした。

本日のアウェーゲーム、岡山シーガルズのベンチ入りメンバーは以下の通りです。

メンバーは段々と固定されるようになってきました。調子が良い時期が長く続くようになることで、メンバーもある程度安定して来ると思います。攻撃のバリエーション不足は一朝一夕には解決しないでしょうが。

本日の試合結果です。

🏐第2セットを取っていたら逆の結果だったかも知れません。調子のよい時間帯が長続きしないことも今季の課題です。それにしても、ストレート負けは厳しいですね。第3セットはほぼ一方的にやられています。これは、精神的スタミナが切れたのでしょう。メンタルの弱さは近年深刻な問題です。

この試合のセットごとのスタートローテーションです。ここにチームの戦術が見えて来るものにのですが、今季は何となくぼやけているように感じます。気のせいなら良いのですが。

第1セットは宇賀神先発の「S-6」スタート。サイドは金田と中本、ミドルに長瀬と付、オポジットに遠藤という先発でした。第2セットからはセッターを宮下に変えて「S-1」からスタートしました。オポジットをタナッチャに変えています。第3セットは「S-1」は変わらず、再度の1枚を金田から高柳、ミドルも付かにら川島に変えています。が、上手くはまっていませんね。宮下の場合、サイドに偏ってミドルの攻撃が少なくなるので、相手に絞られることが多くなりました。中々勝てない要因の一つがセッターの能力不足なのははっきりしていますが、有効な打開策は見い出せていません。あとはブロックとサーブが相変わらずです。サーブレシーブは伝統的に下手くそで、改善の雰囲気は感じられません。

課題が山積のチームですが、手直ししながら毎週の試合に臨む余裕がありません。歯車が上手く噛み合った時だけ勝機があるというのでは、低迷を打破することはできないでしょう。まだまだ苦難は続きそうです。

とりあえず、明日も上尾と対戦します。まずは勝つこと。

勝利が事態を好転させる。それも一理あると思います。

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本音を述べると叩かれる社会。正義の在り方の危うさ・・性的少数者「見るのも嫌」首相秘書官、撤回し謝罪

2023年02月04日 07時16分36秒 | 思いつきのよしなしごと

「オフレコ」と言って取材に応じている以上、それが記事になることがルール違反ではないのでしょうか? 本音を聞きたいからオフレコを前提にするのであるなら、「聞かなかったことにする」寛容さもメディアには必要な資質です。

それを今の腐り切ったメディアに望むのは無理難題に過ぎるのでしょうか?


性的少数者「見るのも嫌」 首相秘書官、撤回し謝罪

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/politics/kyodo_nor-2023020301001847

※以下、引用です。

岸田文雄首相の秘書官である荒井勝喜氏は3日夜、LGBTなど性的少数者や同性婚の在り方などを巡り「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」と記者団に述べた。性的少数者に対する差別発言で、進退問題に発展する可能性がある。首相の任命責任が問われるのも必至だ。荒井氏は同日夜、「誤解を与えるような表現で大変申し訳ない。撤回する」と述べた。

荒井氏は経済産業省出身。首相の同性婚に関する国会答弁を巡り、3日夜、オフレコを前提にした記者団の非公式取材に官邸で応じた際の発言だった。荒井氏は「秘書官室は全員反対で、私の身の回りも反対だ」と強調。同性婚が導入された場合は「社会のありようが変わってしまう。国を捨てる人、この国にいたくないと言って反対する人は結構いる」とも語っていた。

荒井氏は非公式取材の後、再度オンレコで記者団の取材に応じた。発言に関し「首相に申し訳ない。首相がそういうことを考えているわけでもないのに私個人の意見で迷惑をかけた」と陳謝。「こういうポストにある人間が言うのは望ましくない」と釈明した。


公の発言としては如何なものかとは思いますが、それにしてもこういう本音を持っている人はまだまだ多いのではないでしょうか? 差別発言と目くじらを立てるのが良いか悪いかはね世の中の流れの中で白にも黒にもなる危うい正義という観念に左右されます。

「人はこうあるべき」という考えが正義であるなら、それに外れた場合はその存在自体が悪になります。「人はこうあるべき」が悪だという概念に代わったら、正義だったことは一転、悪へと移行してしまいます。

何が正義で何が悪なのかが危うくなってしまった今の日本では、生き辛さを感じてしまうのも仕方ありません。『勧善懲悪』こそが生きる指針であったはずの日本は、思考の変遷によって不安定極まりない状況に甘んじています。世の中を固定観念で固めてしまうことは、生きていくのに容易い社会となります。その固定観念が揺らいでしまうと途端に生き辛さを感じるのです。個人の考え方が多種多様で、それがグローバリストに都合の良い世の中であるなら、一般人には住みにくい世界となってしまいます。世界のグローバル化は諸刃の剣というより、悪に偏った考え方と言って良いかと感じます。

考え方が多種多様であるならば、差別と取られることにも一定の正義がある筈です。それを断罪して、自分たちの正義の中にこそ真実があるというのなら、その正義はとても危なっかしい存在だと言えます。善悪の不明瞭な現代であれば、殻に閉じこもって生きることを選ぶ人が増えて来るでしょう。

人は優劣をつけることで生きていける生き物です。自らよりも劣っている人がいると思えることで生命を維持しています。そこに差別という概念が生れます。「差別」と「区別」は明確に違う! issanが高校生だった頃、「差別」と「区別」はよく議論されました。それは普通科だけでなく、商業科と家政科を持つ総合高校だったことで、起こる「普通科の優越性」に対するレジスタンスの現れだったかも知れません。

人の上に人を作らなくても、人の下に人を作りたがる。それが人です。理想論は建前としては成り立っても、そこに隠された本音が日の目を見ることはありませんでした。決して今より公平な世の中でなかったはずの昭和の方が、今より生きやすかったのは間違いありません。「勧善懲悪」が生きる指針であった世の中はそれを信じて生きることができました。

今が生き辛いと感じるのは正義が絶対の存在でなくなったことから来ているのでしょう。厳しさに負けない信念を持って生きるのか、流れに任せて楽に生きるのか? それも自分の選んだ道なら、本音を飲み込んで建前で生きるのも一つの道なのでしょう。

この議論は未来永劫続いて行くでしょう。

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