いせ九条の会

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為政者に課せられ逃れられない義務/山崎孝

2008-12-16 | ご投稿
【彼らの罪】(2008年12月15日付朝日新聞夕刊「窓」より)

山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」。江戸時代、貧しい庶民たちの医原を担った小石川養生所の医長、新出去定と若い医師との魂の交流を描いた作品だ。黒沢明が監督した映画でも有名だ。

 その中にこんな一節がある。幕府によって養生所の経費が3分の1削られることになった。理由は将軍家に姫君が生まれ、それを祝うため、費用が必要になった。その、とばっちりが養生所の予算に向けられたのだ。

 あまりに理不尽な話に怒った新出は、こう考える。「将軍家に慶事があったのなら、罪人を放ち(貧者に)金穀を施与するのが当然ではないか」。しかし、現実はまるで逆だ。貧者の命を奪うに等しい。この不条理はどこから生じるのか。

 こうした判断を下す支配者、権力者たちに、どうしてそんな権利があるのか。

 だが、こうも考える。

 「かれらの罪は真の能力がないのに権力の座についたことと、知らなければならないことを知らないところにある」「かれらはもっとも貧困であり、もっとも愚かな者より愚かで無知なのだ、かれらこそ憐れむべき人間どもなのだ」

 西洋にもノーブレス・オブリージという言葉がある。高い地位にある者には、おのずと課せられる道徳的、精神的な義務があるということだ。

いまの日本はどうか。新出が憤った為政者たちと、選挙で選ばれた政治家たちと違いがあるのか。新出の公憤は、時代を超えて生き続けている。(駒野剛)

【コメント】駒野剛さんは「高い地位にある者には、おのずと課せられる道徳的、精神的な義務」を求めています。お気持に同感します。

私は為政者に課せられて逃れることが出来ない義務に、憲法99条に定められた、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、「憲法を尊重し擁護する義務」があります。

為政者が高潔な道徳観を持つことは大切なことですが、この道徳観が弱くても、憲法が保障した戦争放棄と平和的生存権、憲法25条に規定された政策を実行する義務が課せられていることを認識する必要があります。

私たちは、社会を良くするには憲法を守らなければならないことを良く認識した政治家たちを選ぶ権利と、選らばならない義務を負っていると思います。