いせ九条の会

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「古寺巡礼」を少し読んで/山崎孝

2008-12-01 | ご投稿
私は日曜日に「いせ九条の会」の「平和憲法九条を守る賛同署名」に参加して、二人の好青年に出会いました。

一人は署名に快く応じて下さりました。しかし「いせ九条の会」の存在を知りませんでした。そこで私たちは2004年6月に東京で「九条の会」の発足したこと、「いせ九条の会」が2004年の暮れに初めての講演会を開いて以降、月例会、宣伝活動や講演会や学習会を開いていることを話しました。そして次の催し物の案内をお送りすることになりました。

もう一人の青年も快く署名に応じてくださいました。この青年は古書店を営んでいました。いま流行の全国展開をする古書店とは違い、哲学書や文学集や珍しい民俗学者の宮本常一の本が10冊もあり、なかなかの品揃えをしていました。

私は和辻哲郎の1979年改訂し1980年1月発行の第6冊である「古寺巡礼」を購入しました。家に帰ってきてから「改訂版」の序を読みました。

序には大正8年に初版を出して重版を重ね、昭和13年か14年に「紙型」が磨耗して印刷が出来なくなり、これを機に和辻哲郎氏は改訂版を出そうと思った。改訂原稿にてまどっている間に数年が経ち、その間に社会の情勢は「古寺巡礼」の刊行を不穏当とするような状況になってしまった。そして絶版となり、78年の歳月を経て再版となった。

しかし当時、近く出征する身で生還は難しい。ついては一期の思い出に奈良を訪れるから、ぜひ「古寺巡礼」を手に入れたい、とかなりの方から申し入れを受けたと書かれています。

随分昔のNHKの朝の連続ドラマ「都の風」にも、出征する人が奈良の都をおとずれるシーンがよくありました。

「古寺巡礼」の記述の一例を紹介すると「百済観音は朝鮮を経て日本に渡来した様式の著しい一例である。源は六朝時代のシナであって、さらにさかのぼれば西域よりガンダーラに達する」と書かれています。この記述は当時の国粋主義者が容認出来ない記述となっています。

「憲法に生かす思想の言葉」という著書の中で、辻井喬氏は、軍閥、財閥、国粋主義者が日本を支配していた時代は、伝統文化は歪められていた。その一例として「万葉集」よく出てくる「大君」というのは、その当時は部族の長であったが、そこから引用してきて、万葉の時代から天皇は偉い人だったとされてしまったという趣旨のことを述べています。

現在も、歴史を歪めて歴史に学ばず、そして憲法理念を活かそうとする日本の未来おも歪めようとする勢力が蠢いています。