いせ九条の会

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民族の個性を輝かすアイヌの人たち/山崎孝

2008-11-24 | ご投稿
朝日新聞11月に連載している「ニッポン人・脈・記」の「ここにアイヌ」に登場した酒井美直さんは、アイヌに対する差別により「アイヌとは良くないこと」と思っていました。しかし、少数民族であるカナダ先住民の若者が自信を持って伝統の民族舞踊を踊る姿に目を開かされます。混血の青年に、美意識や価値観は社会の多数者に支配されていると言われ、差別はあるが、それは民族の優劣で生まれるのではないと認識しました。そしてアイヌ民族としての誇りを持てるようになり、自らもアイヌの民族舞踊を踊るようになりました。

その他にも「ここにアイヌ」には、アイヌに対する偏見や差別を、祖先から伝わるアイヌの民族文化を自覚し、それをバネにして乗り越えていく人たちが登場します。

この人たちに、大正時代知里幸恵が「アイヌ神謡集」序文に、今は激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている私たちだが、いつかは進みゆく世と歩を並べる日も来ると期待したように、今日の日本でアイヌの個性を輝かして生きる姿を見ることが出来ます。

知里幸恵のいう「進みゆく世」とは、憲法第14条に謳われた「すべて国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」の理念と解釈することが出来ます。それぞれの個性を輝かすことが尊重されなければならないと思います。

差別が起こるのは、異なるものに不寛容で同一性を求める集団主義によるものと考えます。これが国家規模で起きると排他的な民族主義となります。

知里幸恵と同じく大正時代に青春を生きた金子みすゞは、鈴と、小鳥と、それから私、みんな違って、みんないいと、違いに優劣はなく、お互いの違いを認め合う詩を作っています。

「わたしと小鳥とすずと」わたしが両手をひろげても/お空はちっともとべないが/とべる小鳥はわたしのように/地面(じべた)をはやく走れない

わたしがからだをゆすっても/きれいな音はでないけど/あの鳴るすずはわたしのように/たくさんのうたを知らないよ

すずと、小鳥と、それからわたし/みんなちがって、みんないい

知里幸恵がアイヌのユーカラを日本語に訳した「アイヌ神謡集」に、人間が鹿を捕った時に皮や頭をそのまま捨てていく、魚をとるとき腐った木で叩く、これに怒った鹿の神、魚の神は鹿や魚を山や川に出さなくなった。アイヌの国の守護神の梟が人間を諭したため、人間は魚をとるときは美しい道具でとり、鹿の皮や頭をきれいに飾り祭ったという神謡があります。

この神謡は地球環境を破壊し、様々なしっぺ返しを受けている現在の人間へ戒めとなるのではないでしょうか。