いせ九条の会

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田母神俊雄航空幕僚長の論文の続き/山崎孝

2008-11-02 | ご投稿
田母神俊雄航空幕僚長の論文は「日本は侵略国家であったのか」との題名で、ホテルチェーンのアパグループの懸賞論文に応募したものです。最優秀賞を受賞し、懸賞金三百万円となっています。

 論文は、旧日本軍の中国侵略を「駐留条約に基づいたもの」として正当化。「満州」侵略の口実にしようと日本陸軍が一九二八年におこした張作霖爆殺事件は「コミンテルンの仕業という説がきわめて有力」と主張。「日本は日中戦争に引きずり込まれた被害者である」と一方的に主張しています。加えて、中国や朝鮮半島への侵略戦争は「アメリカによって慎重に仕掛けられた罠(わな)」であるとして当時の米政府も敵視しています。

 現在の自衛隊については「集団的自衛権も行使できない」と指摘。集団的自衛権の行使を「違憲」とする政府の憲法解釈に疑問を呈しています。(しんぶん赤旗の情報)

【コメント】田母神俊雄航空幕僚長の論文は、中国や朝鮮半島への戦争は「アメリカによって慎重に仕掛けられた罠」と述べたように、私たちの社会にときたま見かける、事実を無視して自分の非を認めず、自分の行なった行為を他人のせいにする人物と同じ態度で書かれています。このように社会には絶対に容認されない考え方をする人物を航空自衛隊のトップに選んだ責任は問われなければならないと思います。

田母神俊雄航空幕僚長の中国との「駐留条約に基づいたもの」という主張は、1901年に北京の外交団が義和団に包囲されるなどといった事態の再発を防ぐために、北京と海岸との間の要点を占領する権利を英国や米国などともに日本が清朝政府から「義和団議定書」を獲得したことを指すのでしょう。しかし、日本に割り当てられた兵数は1570名でした。日本は翌年には天津全市への駐兵権を得ています。しかし、1936年には兵数は約3倍に増強されており、天津より北京に近い豊台まで駐兵区域を拡大しています。兵力の増強には中国側は抗議をしています。そして1937年に蘆溝橋事件が起き、それを契機に兵力を更に拡大し占領地域を大きく拡大していきます。日本の行動は中国人の怒りを買い抗日統一戦線が結成されます。そして中国の人たちから抵抗を受けて中国戦線は泥沼化して、その脱却の方策として蒋介石を支援する米国に短期決戦で有利な条件の下で戦争を終結させる意図をもって、真珠湾攻撃を行ないますが、米国の国力と機動力に負けて日本は戦争に敗北しました。他人のせいではなく自らの行動に責任があったのです。
現在の米国のイラク戦争やアフガニスタン戦争もその国の民衆の抵抗を受けて、当初のもくろみから大きく外れています。歴史を見れば他国へ軍隊を派遣して戦争をしても最終的には目的を達した例は見当たりません。軍事組織を持っていても専守防衛に止めることが大切だと思います。