いせ九条の会

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大阪高裁 沖縄「集団自決」に対する日本軍の深い関与を認める/山崎孝

2008-11-01 | ご投稿
【元戦隊長の控訴棄却 「集団自決」訴訟 一審判決を支持/大阪高裁 傍聴券求め281人】(2008年10月31日の沖縄タイムスHPより)

 沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、座間味島と渡嘉敷島に駐屯していた旧日本軍の元戦隊長やその遺族が、戦隊長が自決を命じたとする著作の記述は誤りとして、作家の大江健三郎氏と岩波書店に「沖縄ノート」などの出版の差し止めや慰謝料などを求めている訴訟の控訴審判決が三十一日午後、大阪高裁であった。小田耕治裁判長は元戦隊長側の控訴を棄却した。

 今年三月の一審・大阪地裁判決は、「集団自決」の軍命令が援護法の適用を受けるための捏造だったとする元戦隊長側の主張を退けたほか、部下が住民に手榴弾を配っていた事実を知らなかったという梅澤氏の主張の信用性を否定。体験者証言を評価し、米軍への秘密の漏えいを恐れた日本軍が、捕虜にならずに自決するよう住民に手榴弾を手渡していた事実を指摘した。

 その上で、「集団自決」に対する日本軍の深い関与を認め、両戦隊長による関与も十分に推認できると認定。

 各書籍に記載された通りの命令については「認定に躊躇を禁じ得ない」としたが、記載には事実を真実と信じるだけの十分な資料と根拠があるとの判断を示していた。

 控訴審では、原告と被告の双方が主張を補強する住民らの「新証言」を証拠として提出しており、大阪高裁がどのような判断を示しているかも注目となる。

 訴えていたのは、座間味島の戦隊長だった梅澤裕氏(91)と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟の秀一氏(75)。「沖縄ノート」と故家永三郎氏の「太平洋戦争」で、両元戦隊長の名誉が傷つけられているほか、弟の秀一氏が兄の故赤松氏を敬い慕う「敬愛追慕の情」の侵害を主張していた。

 開廷前に行われた傍聴抽選には、記者席を除く六十五の傍聴席を求めて二百八十一人が列をつくった。

【大江健三郎氏の高裁判決についてのコメント】 (朝日新聞のHPより)

 ベルリン自由大学での講義のためにベルリンに滞在しており、判決を直接聞くことができませんでした。いま、私たちの主張が認められたことを喜びます。私が38年前にこの『沖縄ノート』を書いたのは、日本の近代化の歴史において、沖縄の人々が荷わされた多様な犠牲を認識し、その責任をあきらかに自覚するために、でした。沖縄戦で渡嘉敷島・座間味島で七百人の島民が、軍の関与によって(私はそれを、次つぎに示された新しい証言をつうじて限りなく強制に近い関与と考えています)集団死をとげたことは、沖縄の人々の犠牲の典型です。それを本土の私らはよく記憶しているか、それを自分をふくめ同時代の日本人に問いかける仕方で、私はこの本を書きました。

 私のこの裁判に向けての基本態度は、いまも読み続けられている『沖縄ノート』を守る、という一作家のねがいです。原告側は、裁判の政治的目的を明言しています。それは「国に殉ずる死」「美しい尊厳死」と、この悲惨な犠牲を言いくるめ、ナショナルな氣運を復興させることです。

 私はそれと戦うことを、もう残り少ない人生の時、また作家としての仕事の、中心におく所存です。

【追記】岩波書店発行の「図書」11月号によりますと、各界の著名人に「私のすすめる岩波新書」というアンケートを取った結果「沖縄ノート」は、10位になったということです。大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」は6位となっています。「沖縄ノート」も「ヒロシマ・ノート」も、歴史に学び日本と世界の平和な未来を構築するために、欠かせない書物だと思います。

大江健三郎氏は、朝日新聞10月21日掲載のコラム「定義集」で《「九条の会」の地方の集まりでお会いする人びとに、経験から来た「個人的倫理規範としての平和主義」を見ています。小さな会は7千に達しましたが政治的組織化はしません。私はこの新しい国民が、平和憲法を伝統ともしていることを考えます》と述べています。

私の倫理規範は、人の命を超える価値などはありえない。一般社会において人殺しは許されないのに、「テロとの戦い」と正義の戦争と定義すると一般人を殺すことが許されていくのはおかしい。かような戦争を支持する国になりたくないです。沖縄戦における住民の集団自決死は軍隊に責任はない、集団自決死は「美しい尊厳死」として考える人たちはこれと対極にあります。

NHKの11月1日夜のラジオニュースによりますと、防衛省の田母神俊雄・航空幕僚長は「懸賞論文」の中で、先の大戦について「多くのアジア諸国が肯定的に評価している。わが国が侵略国家だったなどというのは正にぬれぎぬだ」などと述べました。これについて、浜田防衛大臣は、10月31日夜、記者団に対し、「航空幕僚長という立場で、政府見解と明らかに異なる意見を公にするということは、たいへん不適切だ。要職にとどまることはふさわしくないと考え、職を解くことを本人に伝えた」と述べ、更迭することを明らかにしました。

先の大戦をめぐって、政府は「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする村山談話を発表しており、田母神航空幕僚長の論文は政府の方針と異なっています。(ニュースの情報は以上)

航空幕僚長の職にある者が「多くのアジア諸国が肯定的に評価している。わが国が侵略国家だったなどというのは正にぬれぎぬだ」と主張することで、懸念されるのは自衛隊の幹部や一般の自衛隊員が過去の日本の戦争をどのように考えているのかです。かつての日本は軍部を独走させた痛恨の歴史があります。国民の多くが史実を正しく認識している必要と、若い世代に史実に基づいた歴史教育をしっかり行う必要があります。過去に盲目であるものは、現在にも盲目であるという言葉があり、日本で起きていることを見ると正にその通りなのです。

大江健三郎氏と岩波書店に「沖縄ノート」などの出版の差し止めや慰謝料などを求めて起こした裁判を根拠にして、旧日本軍は沖縄の人たちの集団自決死に関与していなかったとする教科書検定意見がついて、教科書会社による記述変更が行なわれました。沖縄の人たちの強い抗議などで教科書の記述の再変更はありましたが、検定意見はそのままになっています。文部科学省は大阪地裁と高裁の判決をしっかりと受け止めて沖縄の集団自決死に関する検定意見を破棄すべきです。

朝日新聞の報道によりますと、田母神俊雄・航空幕僚長は論文の中で、自衛隊は領域の警備もできない。集団的自衛権も行使できない、武器の使用も制約が多い、攻撃的兵器の保有も禁止されている。がんじがらめで身動きができない。東京裁判のマインドコントロールから解放されない限り、我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない、という考えを述べています。これは安倍元首相の「戦後レジームからの脱却」と同じ考え方です。要するに改憲を行なえといっています。このような考えをしているから、イラクの空自活動は違憲とする判決を「そんなの関係ねぇ」と発言するのです。公務員は憲法を守らなければならない憲法規定はまったく念頭にはありません。田母神俊雄・航空幕僚長を国会で糾明すべきです。

田母神俊雄・航空幕僚長の言う集団的自衛権行使の可能にすることと「我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」こととはどう結びつくのでしょうか。自らの力で守る体制と領海外で他国軍を武力行使で支援することとは別な事柄で、それに日本は有数の軍備を備えています。特に海上自衛隊はアジアでは軍を抜いた軍事力を保有しています。「自衛隊は領域の警備もできない」ということはありえません。

日本が起こした日中・太平洋戦争を肯定する人たちは、東京裁判は戦勝国の一方的な押しつけであったとして「東京裁判のマインドコントロールから解放」という言葉をよく述べます。現行憲法も米国の押し付けと主張しています。しかし、改憲は米国の強い要求に従う側面を強く持ちます。改憲は極めて矛盾したことを行なおうとすることです。

ナショナリズムのが強い人たちは、歴史の事柄で中国や韓国から批判されると反発を露にします。しかし、イラク戦争で米国から、観客席から下りて来てチームに加われと言われても反発を露にしません。矛盾をしたナショナリズムを見せています。