いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

靖国神社「遊就舘」歴史記述を一部変更/山崎孝

2006-12-27 | ご投稿
(12月27日付け朝日新聞記事より) 
靖国神社(南部利昭宮司)は26日、境内の戦争博物館「遊就館」の展示パネルの歴史記述の修正作業を始めた。予定していた日米開戦をめぐる記述の変更に加え、新たに満州事変や日中戦争など中国についての展示も切り替える。年末まで臨時休館し、1月1日から新展示を公開する。

 館内にある「日露戦争から満州事変」「満州の歴史」「支那事変」 「ヒトラー」「スターリン」「ルーズベルト」「日米交渉」の7パネルを変更する。

 41年12月8日の日米開戦については、「(ルーズベルト米大統領が)資源に乏しい日本を、禁輸で追いつめて開戦を強要」と米側の責任を強調した従来の表現を削除する。代わりに、米国の陸軍長官だったスチムソンの日記などを展示し、米側に「開戦の意図」があったことを示すという。

 外国人の来館者向けに天皇の「開戦の詔書」を新たに英文で展示し、当時の日本の立場への理解を求める。従来の日米開戦の記述については米国からも批判が出ていた。

 展示見直しを担当する永江太郎・元防衛庁防衛研究所主任研究官は「誤解を与えないよう、史料をもって語らせるようにした」という。

 中国記述の変更点については、神社広報課は「公開までは明らかにできない」。関係者は「遊就館の展示は、自虐史観に対抗する狙いがあったものの行き過ぎて他国に対して攻撃的な表現もあった。その点を和らげたい」と説明する。ただ、「侵略戦争」とは認めない方針だ。

 遊就館は戦没兵士をたたえる顕彰施設。戊辰戦争や日滞戦争、太平洋戦争など、近代以降の日本の戦争の歴史を解説している。来年の開館5周年に向け、今後も見直しを進める。(以上)

靖国神社「遊就舘」の歴史記述の変更は、自民党の姿勢である米国に対しては、米国を刺激しないようにナショナリズムを抑制する。しかし、中国に対しては基本的にはナショナリズムで対抗していく、という基本路線に歩み寄ったと言えます。

1931年の満州事変からの戦争は、日本の中国への占領支配が拡大して行き、この政策がやがて米国の利害と対立して日米開戦に至っています。日中戦争を史実に基づいて記述しない限り、正確な歴史の記述とは言えません。

靖国神社の思想は戦死者を賛美するものです。戦死者は戦争政策の犠牲者であり、この立場で戦死者を追悼することが、戦争の歴史に学んだ戦死者の尊い犠牲とすることであり、日本と世界の平和にとっても大切な心だと思います。

参考 2006年12月26日の朝日新聞「声」欄に掲載されていた大阪市の女性の文章

【息子の彼女に「許してくれ」】 息子の彼女が家に遊びに来た。中国人だが、日本語は話せる。家族一同が出迎えた時、87歳になる爺さんが黄ばんだ写真を片手にかけ寄っていき、驚く彼女に語りかけた。

これはワシの友人で、戦時中に南京で一般人を処刑する役に選ばれましてん。問答無用で、やりをつかまされ、銃口がこいつに向けられた。殺さなければ自分の命が危ない。

 気も狂わんばかりに雄たけびを上げ、気がついたら血まみれの人が倒れていて、上官から「これでお前も日本男児や」と言われたそうだ。彼はそれから心の病で日本へ帰ってきて、ほどなく死にましたわ。

 ワシは3年たって赤紙が来た。「殺したない」という彼の言葉が頭の中をかけ回った。でも戦争に行かんと家族は非国民、ワシは銃殺。行かな仕方なかった。

お嬢さん、どうか許しておくれ。

彼女は写真に手を合わせてくれた。感無量であった。爺さんは「これで、友への手紙ができた」。

 私は娘として母として、申し訳ない気持ちを彼女に目で合図するのが精いっぱいであった。