いせ九条の会

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「竹内浩三生誕85周年記念シンポジューム」に参加して/山崎孝

2006-12-17 | ご投稿
12月16日、伊勢市で「いせキネマ倶楽部」主催の「竹内浩三生誕85周年記念シンポジューム」があり、私は聴きに行きました。竹内浩三は映画製作に携わりたいと思っていたとのかかわりで、また、「いせキネマ倶楽部」は伊勢地域の文化情報を系統的に発信したいとの考えで、竹内浩三を今回はテーマに選んだとのことです。

その催しの中に「竹内浩三が語りかける未来」というテーマで、パネルディスカッションがありました。パネラーは、稲泉連さん(「ぼくもいくさに往くのだけれど竹内浩三の詩と死」の著者)、高岡庸冶さん(「ふるさとの風や 松阪市戦没兵士の手紙集」の編集に従事)、藤田明さん(三重時代の小津安二郎の研究者)、森節子さん(竹内浩三の作品を広める活動をする「五月会」会長)、コーディネータは中村賢一さん(三重の観光文化情報を伝える雑誌「伊勢人」の編集発行人)でした。

パネラーの方たちは、竹内浩三と自分との出会いや竹内浩三のいろいろな側面を話されましたが、現在の政治動向との関連において、竹内浩三の発したメッセージの意義を語りませんでした。抽象的で今日の自由と平和にとって危険な政治動向のから照らして竹内浩三の発したメッセージを人々に伝えるには弱いと感じました。私は盛りたくさんの食材を使った料理を作り、食べさせてもらったが、今ひとつ料理を引き締めるコショウの味が利いていないと思いがありました。

私はパネルディスカッションの最後に、質問コーナーがありましたので次のような趣旨の質問をしました。

シンポジュームのテーマは「竹内浩三が語りかける未来」ですが、未来を語るには、現在の政治動向との関係において、竹内浩三の発したメッセージの意義に触れないと、未来には意義は伝わらず、未来に語りかけることは出来ないのではないか。12月15日の国会は、個人の心の自由に国家が介入する法律が成立し、戦争に協力するイラクでの自衛隊の活動が本来任務とされ、この方向には改憲して海外で武力行使をしたいと政府は考えている。竹内浩三は軍国主義に染まらず、天皇や国のために死ぬことを哀れと捉え、兵士が遠い他国で愛するものに思いを残してひょんと死ぬことをうたった。竹内浩三は抑圧されながらも、国家に絡め取られない自由な心を密かに日記や詩で表現した。この竹内浩三のメッセージと関連させて、現在の政治動向をどのように考えていますか。

この質問に高岡庸冶さんは、松坂市で兵士たちの残した手紙を募集して編集をしたときは、二度と兵士が戦地から手紙を送るような状況が起こらないように願って本を作った、と述べました。

森節子さんは、竹内浩三を「反戦詩人」という側面のみ捉えられることを避けるために、あえて政治との関連には触れなかった、と述べました。

私は「反戦主義」の思想は、国家が一つの考え方を個人に押し付ける状況を防ぐこと。国家がいろいろな名目で個人の心の自由に干渉することを防ぐこと。国家が大義名分をかざして人の命を要求する事態を防ぐことだと思います。竹内浩三は個人の尊厳と自由を抑圧する社会状況の中で苦しみ、軍隊に放り込まれ、それらの体験から湧き起こった人間としての心の自由を望み、そしてそのことを日記や詩で書きとめたと思います。反戦は政治的な課題と同時に人間本来の自然な生活を営もうとする欲求だと思います。

森節子さんは竹内浩三が語りかける未来は、竹内浩三の詩「五月のように」を朗読して、その中の

……ああ 神さん/人を信じよう/人を愛しよう/そしていいことをうんとしよう

青空のように/五月のように/みんなが/みんなで/愉快に生きよう、を強調しました。私も同感です。

竹内浩三の真骨頂は次の詩にあらわれていると思います。

ぼくのねがいは/戦争へいくこと/ぼくのねがいは/戦争をかくこと/戦争をえがくこと/ぼくが見てぼくの手で/戦争をかきたい/そのためなら、銃身の重みが、ケイ骨をくだくまで歩みもしょうし、死ぬことさえいといはせぬ。/一片の紙とエンピツをあたえよ。/ぼくはぼくの手で、/戦争を、ぼくの戦争をかきたい。