いせ九条の会

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「夜と霧」/山崎孝

2006-12-23 | ご投稿
池田香代子さんの講演会で手に入れた書物「夜と霧」(池田香代子訳)を今読んでいますが、その書物に書かれていたことを紹介します。

「夜と霧」の著者 ヴィクトール・E・フランクルさんは、大学で精神医学を学び、第二次大戦中にナチスにより強制収用所に入れられ、戦後まもなくその体験を記しました。「夜と霧」は、学者らしく冷静に収容所で繰り広げられた人間の姿を分析しています。

そして人間を《私たちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とは何者なのか、人間とは、なにかを常に決定する存在だ。人間はガス室を発明した存在だ。しかし、同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるものだ》

「精神の自由」というところでは《長らく収容所に入れられている人間の典型的な特徴を心理学の観点から記述し、精神病理学の立場で解明しようとするこの試みは、人間の魂は結局、環境によって否応なく規定される、たとえば強制収容所の心理学なら、収容所生活が特異な社会環境として人間の行動を強制的な型にはめる、との印象を与えるかも知れない。

しかし、これには異議がありうる。反問もありうる。では、人間の自由はどこにあるのか、と。人間は、生物学的、心理学的、社会学的と、なんであれ様々な制約や条件の産物でしかないというのはほんとうか。すなわち、人間は体質や性質や社会的状況のおりなす偶然の産物以外のなにものでもないのか、と。そして、とりわけ、人間の精神が収容所という特異な社会環境に反応するとき、ほんとうにこの強いられたあり方の影響をまぬがれることができないのか、このような影響には屈するしかないのか、収容所を支配していた生存「状況では、ほかにどうしようもなかったのか」と。

こうした疑問に対しては、経験を踏まえ、また理論に照らして答える用意がある。経験からすると、収容所生活そのものが、人間には「ほかにありようがあった」ことを示している。その例ならいくらでもある。感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられた。一見どうにもならない極限状態のなかでも、やはりそういったことはあったのだ。

強制収容所にいたことのあるものなら、点呼場や居住棟の間で、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人々について、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえ一握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。》(引用以上)

ヴィクトール・E・フランクルさんの述べた、極限状態で身体の自由は奪われても《最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった》人、《たったひとつ、与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない》人は、強制収容所に入った場合ではなく、日本は軍国主義教育が施され、徴兵制により軍隊と言う強制組織に入った時代においても《周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった》、身体的拘束を受けても《「最後に残された精神の自由」を保ちえた人たち》は、いました。伊勢の生んだ竹内浩三もその一人ではないでしょうか。

池田香代子さんは「夜と霧」の「あとがき」(2002年9月30日記)で次のように述べています。《…夜と霧はいまだ過去のものではない。相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が、私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。夜と霧が私たちの身辺に立ち込めることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。その一助になることを心から願い、先人への尊敬をこめて、本書を世に送る。》

小泉前首相は、霧の中で行われていたような自民党の官僚と派閥談合政治を、一見、目に見える劇場型政治(スペタクル 権力によるメディアの巧みな利用)に変えて国民の多くの心を絡めとりました。政治の姿の一部を露出させることによって、そこに国民の目を引きつけて、政治の全体の姿、本質的な性格を隠しました。正体を見えにくくする点においては、霧の中に包むことと同じです。劇場型政治に絡め取られることなく、精神の自由を保った人たちが真の小泉政治の抵抗勢力でした。安倍首相は「美しい国」という、晴れたときの富士山の姿のような国造りを唱えていますが、富士山は太平洋側から見れば美しいと思いますが、山梨県側見るとさほど美しい姿といえません。