いせ九条の会

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永六輔さんのこと/山崎孝

2006-12-26 | ご投稿
永六輔さんが歌詞を書いた歌に「見上げてごらん夜の星を」があります。歌詞の一部を紹介します。(1963年作)

見上げてごらん夜の星を/小さな星の 小さな光が/ささやかな幸せをうたっている/見上げてごらん夜の星を/ボクらのように名もない星が/ささやかな幸せを祈っている

日本の現在の社会をマスメディアは「勝ち組」とか「負け組み」とかに、日本人の人生を別けたがっているようです。しかし、多くの庶民が願うのは、自分なりのささやかな幸せではないかと思います。しかし、現在の自民党の政治、力ある者には更に手を貸し、力の弱い者に更に負担を増やす、労働市場を荒廃させ、若者に人生の夢を与えることが出来ない政治では、このささやかな幸せさえ手に入れるのは、とても困難な状況にあります。

「現実的な戦地」と言われるイラクに派遣された航空自衛隊員の中には、新婚家庭の隊員、定年間近の隊員さえいました。イラクに派遣されている自衛隊員の無事を祈り、このような政策を政府は止めて欲しいと思います。

永六輔さんは、芸人は破滅的で反抗的でなければと思っています。60年安保では、ラジオの台本が締め切り日までに仕上がっていないのに、仕事を放り出してデモに参加して、台本担当者に安保のデモと仕事とどちらが大事だと問われて、デモだと答えて番組をおろされたり、国鉄がスポンサーの「遠くへ行きたい」を出演していながら、国鉄民営化に反対したりしています。

永六輔さんは、作詞を止めた時があります。その理由を、ヒット曲が結構で多く出て印税が入ってくる。そうすると自分が自分でいられなくなるという不安が募ってきた。決定的だったのは、シンガーソングライターが登場してきて、反体制のフォークソングが生まれた。ジョーン・バエズが「私はアメリカの軍事費のための税金は払わない」と言ったことが腹にズシンときたことなどを挙げています。

永六輔さんが1974年に書いた「生きているということは」の歌詞を紹介します。

生きているということは/誰かに借りをつくること/生きていくということは/その借りを返していくこと/誰かに借りたら誰かに返そう/誰かにそうして貰ったように/誰かにそうしてあげよう

生きていくということは/誰かと手をつなぐこと/つないだ手のぬくもりを/忘れないでいること

めぐり逢い愛しあいやがて別れの日/その時に悔やまないように/今日を明日を生きよう

人は一人で生きていけない/誰も一人では歩いてゆけない(以下略)

(参考図書 永六輔と矢崎泰久の対談集「上を向いて歌おう」―昭和歌謡の自分史 飛鳥新社刊行)