いせ九条の会

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三紙の「社説」を紹介/山崎孝

2006-08-19 | ご投稿
残酷な地上戦が起きた沖縄、今も米国の覇権主義の軍事拠点の一つとなり、米軍基地の被害に苦しむ沖縄の人たちです。沖縄タイムズ 2006年8月18日の「社説」を紹介します。

【[「靖国」世論調査]今こそきちんと論議を】

今月十五日の小泉純一郎首相の靖国神社参拝について51・5%の国民が肯定し、「参拝すべきではなかった」とする41・8%を上回った。共同通信社が実施した全国緊急電話世論調査の結果である。

A級戦犯の分祀を求めたのは60・4%。次期首相への注文では「参拝すべきではない」(44・9%)が「参拝すべきだ」を5・3ポイント上回った。

一方で、九月の自民党総裁選で靖国問題を「争点とすべき」としたのは25・5%と少なく、「争点とすべきではない」が67・5%もあった。

この数字は国民の間にある靖国問題の複雑さ、奥深さをあらためて示したといっていいのではないか。

もっとも、ここに至る責任が国民の側にもあることを見過ごしてはなるまい。なぜなら、A級戦犯の合祀後もしっかりとした論議がなされたとは言えず、そこに残された問題を意識的に避けてきたように思えるからだ。

それはまた韓国併合や満州事変、盧溝橋事件から日中戦争、太平洋戦争に至る歴史にきちんと対峙してこなかったこととも無縁ではない。戦争責任の問題にも正対しなかったのは間違いなく、その責任が国民一人一人に問われていることを肝に銘ずる必要がある。

確かに56・6%の数字が示すように、他国の発言が参拝に影響してはならない。遺族については特にそうだ。

だが首相の場合はどうだろう。参拝が「心の問題」とはいえ、多くの違憲訴訟でも明らかなようにそこには憲法問題とともに政治的な意味もある。

その行動があらゆる方面に影響を及ぼしていることを考えれば、首相の参拝に疑問を持つのは当然だろう。

ただ国民には「なぜ、韓国や中国などがこれほど敏感に反応するのか」という反発ではなく、その核心部分に光を当て、きちんと検証する姿勢が求められていることを忘れてはなるまい。

「戦争中のこと、ましてや日中戦争のことは私たちは生まれてないし関係ない」という声も聞こえる。

だが私たちが自覚すべきなのは問題の根幹をなす歴史を真摯に学び、負の遺産であれ真実を歪めず自身の問題として受け止めることだろう。

歴史に向き合うとはそういうことであり、靖国問題は私たち自身が「日本の近代史」をどう血肉化しようとしているかを問うているといえよう。

住民の集団自決という悲しい歴史を持つ沖縄戦しかり。十五年戦争をどう検証し、問うかはアジア諸国との関係とも深くかかわる。だからこそ、国民の戦争責任を含め歴史認識について徹底した論議が求められるのである。(以上)

社説の「韓国併合や満州事変、盧溝橋事件から日中戦争、太平洋戦争に至る歴史にきちんと対峙してこなかったこととも無縁ではない。戦争責任の問題にも正対しなかったのは間違いなく、その責任が国民一人一人に問われていることを肝に銘ずる必要があると思うこと」、すなわち侵略戦争の歴史の負の側面を正視する人を「自虐史観」と主張する自由主義史観の学者の活動拠点とも言える扶桑社と資本関係のあり、「正論」を発行している新聞社である、産業経済新聞の8月16日の「社説」を紹介します。

【主張 8・15靖国参拝 国の姿勢示した小泉首相】

小泉純一郎首相は15日、靖国神社に参拝した。終戦記念日の首相参拝は、昭和60年の中曽根康弘元首相の公式参拝以来、21年ぶりである。

小泉首相はモーニング姿で「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し、昇殿参拝した。国民を代表しての堂々とした歴史的な参拝であった。小泉首相は5年前の自民党総裁選で、「いかなる批判があろうとも、8月15日に参拝する」と訴え、首相に就任した。当然のことだが、その約束を完全に果たした。

中国と韓国はこれまで、小泉首相の参拝日にかかわりなく、常に「反対」の大合唱を繰り返し、日本の一部マスコミや識者もそれに便乗してきた。中韓の内政干渉に対し、8月15日の首相靖国参拝は、国の戦没者慰霊のあり方と外交姿勢をきちんと示した。

靖国神社に祀られている246万余柱の霊のうち、213万余柱は先の第二次大戦の死者だ。その意味でも、大戦が終結した日の参拝は格別、意義深いものがある。

参拝後、小泉首相は「多くの人が15日だけはやめてくれと言うから、避けて参拝したが、いつ行っても混乱させようとする勢力がある。いつ行っても同じなら、きょうは適切な日ではないか」と話した。首相就任後、最初の参拝で、中国や韓国に配慮すべきだとする政府・与党内の一部の意見を入れ、8月13日に“前倒し”参拝したことへの反省の思いが込められている。

平成14年以降も、小泉首相は春秋の例大祭や元日などを選んで年1回の靖国参拝を続けてきた。8月15日を避けたとはいえ、いつ参拝しても、それぞれ意義があったことを、多くの国民に伝えたことは評価されてよい。

特に、春秋の例大祭は、安政の大獄で刑死した幕末の思想家、吉田松陰らすべての国事殉難者を慰霊の対象としており、終戦記念日の参拝とは違った意義をもつ。(以下略)

産経の社説は想像力が欠如しています。一例を上げれば、国事殉難者として名前を上げた吉田松陰は、外国を排他する尊皇攘夷・鎖国では、これからの日本は立ち行かないと考え、外の世界を見ようとして密航を企て処罰されています。この吉田松陰の外の世界との関連で日本を捉える視点と、小泉首相の隣国を無視する排他性を帯びた外交姿勢とを比較してみる想像力が働きません。

朝日新聞の8月16日の「社説」のタイトルは、靖国参拝「耳をふさぎ、目を閉ざし」です。内外の声に耳目を塞ぎ、自分の殻に閉じこもるという一国の指導者として一番ふさわしくない態度です。以下その「社説」を紹介します。

終戦記念日の朝早く、小泉首相が靖国神社に参拝した。

これまで5回の参拝はいずれも、自民兇総裁選で公約していた8月15日を避けた。その理由を首相は「再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反する」と説明してきた。

 それが今回は「15日を避けても、いつも批判、反発し、この問題を大きく取上げようとする勢力は変わらない。いつ行っても同じだ」と開き直った。ぶれないことが売り物の首相にしては大ぶれ、まさに支離滅裂である。

 15日は韓国にとって植民地支配から解放された記念日であり、中国にも歴史的な日である。そこに、彼らが「感情を傷つけないでほしい」と中止を望む靖国参拝をぶつけた。

 幸い、両国は抑制された抗議にとどめているが、外交的な挑発と受け止められかねない行動だ。

 戦後60年を迎えた1咋前のこの日、首相は戦争でアジアの人々に与えた被害に対し「痛切な反省と、心からのお詫びを表明する」という談話を出した。このメッセージとの落差はあまりに大きい。

 首相はきのう、参拝反対論にこう反論した。突き詰めれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」

 首相の目には、日本国内にある反対の広がりが見ないのだろうか。

 朝日新聞の7月の世論調査では、参拝反対が57%で、賛成の2倍に達した。新聞も大半の全国紙、地方紙が反対の立場だ。自民党内ですら、歴代首相ら重鎮の多くをはじめ、反対論や慎重論を唱える人は少なくない。連立パートナーの公明党は明確に反対している。

 首相は、こうした声をすべて中掴や韓国に媚びる勢力とでも言うつもりなのだろうか。「いつも批判する勢力」と切り捨てようというのか。

 首相は「A級戦犯のために行っているんじゃない」という。これが国内的にも国際的にも通用する理屈ではないことを首相はついに理解しようとしなかった。

 首相の参拝のあと、日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長はこう述べた。「戦争を主導した当時の指導者たちの賓任をあいまいにしてはならない」。外国に指摘されるまでもなく、日本自身の問題として看過できることではないのだ。

首相はまもなく表舞台を去る。5年余の小泉政権の締めくくりでこんな参拝が強行されたことを、私たちは残念に思う。あとひと月あまりの政権だから、外交や内政への影響も小さかろうと見ての行動だったとすれば、さらに情けない。

 6回に及んだ首相の靖国参拝は誤りだった。戦没者の追悼という大事な問題で国内に亀裂を生み、偏狭なナショナリズムを刺激し、外交を行き詰まらせた。

 この思い「負の遺産」をどう乗り越えるか。次の政権の課題であると同時に、国民みずからが戦争責任などをめぐる議論を深めていくことも必要だ。(以上)

8月19日の朝日社説は、戦争とメディア「競って責任を問うた夏」と題して、NHKや全国紙が戦争の責任を取上げたことを紹介しながら論評を加えています。以下はその抜粋です。

…NHKが放送した「日中戦争――なぜ戦争は拡大したのか」は、南京虐殺の真相にも迫った力作だった。兵士の証言や新資料を使って、甘い見通しで始め、軍の独走を防げなかった戦争の実態を描いた。ほかにも、「硫黄島玉砕戦」「満蒙開拓団はこうして送られた」などの優れた番組が目についた。

 力がこもった報道はそれだけではない。毎日新聞は連日、靖国問題を考える連載や特集を組んだ。A級戦犯合祀に昭和天皇が不快感を持っていたことを裏付ける元宮内庁長官のメモをスクープした日経新聞のことも忘れがたい。

 朝日新聞も、大型企画「歴史と向き合う」などで戦争責任や戦没者の追悼のあり方を問いなおす作業を続けている。

 読売新聞は検証の総括で、「軍の力がそれほど強くなかった満州事変の時点で、メディアが結託して批判していれば、その後の暴走を押しとどめる可能性はあった」と書いた。全く同感だ。

 メディアが権力を監視し批判する使命を放棄したらどうなるか。この重い教訓を忘れないようにしたい。(以上)

「メディアが権力を監視し批判する使命を放棄したらどうなるか。この重い教訓を忘れないようにしたい」ということを、憲法改定問題で考えて欲しいと思います。