いせ九条の会

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私人とは森鴎外の遺言のようなことである/山崎孝

2006-08-06 | ご投稿
毎日新聞 8月4日電子版より【安倍長官:靖国参拝、自らは発言せず…私人としては自由と】

 安倍晋三官房長官は4日午前の閣議後の記者会見で、今年4月15日の靖国神社参拝について「参拝したか、しないか申し上げるつもりはない」と述べると同時に、首相や閣僚の私人としての参拝は「自由」との見解を改めて示した。一方、参拝の際に安倍氏は「内閣官房長官安倍晋三」と記帳し、本殿に上がって参拝していたことが新たに分かった。「ポスト小泉」の最有力候補である安倍氏の参拝は9月の自民党総裁選で靖国神社をめぐる論議に影響するうえ、中国、韓国の反発を呼ぶことは避けられない情勢だ。

安倍氏は会見で「すでに外交、政治問題化している以上、それをさらに拡大すべきではない。行くか行かないか、行ったか行かなかったか申し上げるつもりはない。この先どうするかも同じだ」と述べ、今回も含め、首相に就任しても参拝の有無を明言する考えのないことを改めて強調した。

一方で、過去の政府見解を紹介する形で「首相や閣僚が私人の立場で参拝することは自由だ。記帳の際に肩書を付しても、私人の立場を離れたと考えることはできない。玉ぐし料も公費で支出するなどの事情がないかぎり、私人の立場での行動とみるべきだ」と説明。本殿での参拝も「問題ない」と強調した。(以下略)

7月5日の朝日新聞には次のように報道されています。

(前略)安倍氏は4日、京都市内で記者甜に「外交問題になっている以上、行く行かないを声高に申し上げるつもりはない」と明言を避けた。安倍氏に近い森派中堅は「余計な波風を立てるのはよくないと思ったんだろう。中韓に目にもの見せてやろうと思ったら堂々と行けばいい」。隠密参拝は、中韓への「配慮」とみる。

 ただ、4カ月近くもたち、しかも15日の終戦記念日を前に、なぜ参拝が発覚したのか。

 それすらも計算ずくのようだ。安倍氏に近い関係者は、こう解説する。

「福田康夫元官房長官が立候補をやめ、安倍氏の支持率も安定している。保守層から優柔不断」と言われないように近々公表するつもりだった」(以上)

安倍氏は「首相や閣僚の私人としての参拝は『自由』」と述べています。ならば私人を明確にして「内閣官房長官安倍晋三」と記帳しなければ良いのです。

森鴎外は遺書に、余は少年の時より老死に至るまで一切の秘密なく交際したる友は賀古鶴所君なり こヽに死に臨んで賀古君の一筆をわずらわす 死は一切を打ち切る重大事件なり 奈何なる官憲威力と雖 此に反抗するを得ずと信す 余は石見の人森林太郎として死せんと欲す 宮内省陸軍省皆縁故あれども生死分かるヽの瞬間にあらゆる外形的取扱ひを辞す 森林太郎として死せんとす 墓は森林太郎の外一字もほる可からず 書は中村不折に委託し宮内省陸軍省の栄典は絶対に取りやめを請う 手続きはそれぞれあるべし これ唯一の友人に云ひ残すものにして何人の容喙も許さず 大正十一年七月六日 森林太郎 言(註 森鴎外は島根県に生まれ軍医の最高位軍医総監になる)

局面が違いますが、私人の立場を明確にするならば、森鴎外のような鮮明さ、潔さの態度が必要です。

与党の公明党も安倍氏の今回の靖国参拝を私的参拝と捉えず批判しています。自民党の一部の政治家も同様で、仲間内にも通用しません。

安倍氏はA級戦犯について、「戦争の終わったあとにつくられた概念によって裁かれた人たちのことだ」と述べて戦犯でないとする。首相の靖国神社参拝も「ごく自然なこと」という認識を示しています。政権党の重要な職務の人の靖国参拝が「ごく自然なこと」と思うのであれば、「参拝したか、しないか申し上げるつもりはない」などと言う必要はありません。姑息とも言える態度です。

安倍氏のA級戦犯を否定する考えは、1972年9月の日中国交回復の「共同声明」の「日本側は過去において日本国が戦争を通じて中国国民に多大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という日本政府の認識と大きく矛盾する歴史観です。この共同声明という国と国の根幹の約束を分離した、安倍氏の『政経分離論』なるものは通用しません。