静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

国民が憲法を守らないのは自殺行為?(続・憲法は国民が守る)

2015-06-08 18:24:50 | 日記

 

(序)

「国民が憲法を作ったのだから、自ら護ることは余りにも明々白々であり・・・」と憲法制定議会で政府答弁があったことは前回の「憲法は国民が守る」で述べた(1971年1月号の『法学時報セミナー』参照)。その1年前の『別冊法律時報』(1970年1月号)に99条の解説がある(小林孝輔氏による)。これは憲法学界での通説である。その一部を紹介する。

 (一)  憲法学の通説であった

 「公務員の憲法尊重擁護義務を規定するが、『国民』については義務づけがない。なぜか。通常つぎのごとく説かれる。すなわち、国民はこの憲法の制定者である(前文第一節)。したがって、国民がかれら自身のために制定した憲法を尊重しないのは、「自殺行為」とも言うべく(和田秀夫・憲法体系1375-6ページ、注解1496頁)尊重擁護するのは、むしろ当然のことであるがゆえに、義務づけの明文がない(同上、宮沢・コンメタール821頁)」

 「まさにそのとおりであろうが、より本質的にいうなら、はじめにふれたように、近代民主主義憲法の本質は、国家権力の制限にある。国家権力の主体は公務員である。だから、この公務員の権力行使を拘束するのが、憲法である。そこで、憲法明文は、その尊重義務を公務員に課すことによって、国民のため、権力の過多、限界の逸脱を防ごうとするのである。この点よりみれば、権力の客体である国民に対し義務づけがないのは、当然といわなくてはならない」

 (ニ)最高の憲法解釈者は日本国民

 小林氏の説明を見てもわかるように、はじめの頃は、尊重擁護義務は国民にもあり、が世間常識であり、憲法学での通説でもあった。だが憲法解釈の変更は、社会事情の変動や国民意識の変化などによってありうる。憲法制定時には、ポツダム宣言、アメリカの対日政策、日本の諸階層の要求など、多様な価値観が存在し、それらが一定の妥協をしながら成立した。そのような多様な価値観を抱えながら成立した憲法が、多様な解釈を生み出すのも必然だったかもしれない。ゆえに、学説・立法・判例・行政実例などによって多様な解釈が生まれ、今もなお論議は続く。それらの論争は、その背景に国民各層の利害を反映している。憲法解釈というものはそういうものだろう。アメリカの世界戦略・対日政策と日本政府の改憲願望とには密接な関係があることは誰でも知っている。

このように多様な憲法解釈が存在しうるが、それを正しく、別の表現を使えば科学的に解釈することができるのは誰か。大學の先生か、法律の専門家か、マスコミのエリートか、あるいは政府や内閣総理大臣か。15年6月4日、衆院予算委員会で自民党などの推薦で参考人招致された憲法学者三人がみんな憲法違反との見解を述べた。これに対して政権側は直ちに反発した、「学者如きが」とか「学者の選定を誤った」とか「学者は字面しか考えない」とか「もう決まっていることだ」とか。つまり、憲法解釈の権限は内閣が握っていると信じて疑わないのである。

先に述べたように、たしかに、たんに条文の文字上の機械的な解釈だけで済ませていいわけではない。制定当時の国際的国内的諸事情・社会的問題点・主権者たる国民の意識や感情・・・それらを反映した制定当事者の見解・憲政国会での討論と決定の仕方、そして70年近くもこの憲法を尊重し擁護してきた多くの国民の意思・意見などが憲法解釈の基準とならねばならない。そして、最終の決定者は主権者たる国民自身の意思でなければならない。

 (三)「義務なし」のいろいろ

 新聞記事に載った「国民に義務なし」論の主張を下に掲げてみる。もちろん筆者の目に付いたごく僅かのもの。簡潔にまとめた。発言者の氏名や肩書きなどは一切省略(覚えのためイニシアルだけ記入)、掲載年月は参考のため入れた。

ア、「天皇・・・その他の公務員は・・・守らなければならないと書いています。このなかに国民は入っていないということが大事です。(国民は)これらの人たちが憲法を守っているかチェックすればいいわけです」(E、07/05)

イ、「『憲法を守るべきは誰か』と問うと、必ず『国民』『私たち』という答えが返ってきます。尊重擁護義務を負っているのは『天皇j・・・公務員』だと紹介すると驚くわけです」(M、13/03)

ウ、「憲法は国民が国家を縛るもの、法律は国家が国民を縛るもの」「天皇・・・公務員には憲法を尊重擁護する義務があるが、国民には課されていない」(A・T,13/4)

エ、「もとより憲法とは国民からの国家への命令であり、逆に国家からの国民への命令が法律である」(A・T、13/04)

オ、「(自民党の)改憲案には、『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』とあり、国家を国民の上に置こうとしている」(N、13/08)

カ、「憲法の尊重擁護義務は天皇や・・・公務員のみ課せられている。自民党は、国民一般にも課すべきだと主張した(A・S,13/05)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

キ、「『国民は憲法を守らないといけません。これは、○か×か』・・・正解は『×』。『憲法は国家が守らなければならないルール。国民からの注文なのです』」(O、14/05)

ク、「・・・本格的な入門書に仕上がった。(その書には)『憲法は誰を対象にしているの?』『その国の国民』『ではないのです』『えっ?』。憲法とは国家権力が守るべき法律とは反対向きだということが説明されている」(A・T、14/07)。

そのほかに、前回の「憲法は国民が守る」で3例挙げておいた、それは省略。

 (四)安倍さんは国民の公僕

 安倍内閣が提案している安全保障関連法案に反対する国民の声、運動が、より高くより深く拡がりつつある。人々は、自分たちに憲法尊重擁護義務はないと思いながら反対しているわけではいだろう。

だがしかし、そのうち「国家権力(政府)は、尊重擁護するのは憲法違反だと言い出すかもしれない。憲法に書いてないことをやろうとするのだからと。一方で、自民党の改憲案では、国民は憲法を尊重しなければならないとあるそうだが、これは、主権者であり憲法制定者である国民を虚仮(こけ=バカにする)にするものでしかない。そのうち、憲法改正して「兵役の義務」を設け、応じないものを憲法違反として懲罰することになることを狙っているのかもしれない。

前に私はこのブログで二回ほど、すでに日本はファシズムの段階に進みつつあるのでは?という危惧を表明しておいた。憲法を守り、軍国主義とファシズムの台頭を防ぐ力は「国民」にしかないと思うのだが、その国民の結集力を削ぐようなキャンペーンは止めてもらいたい。戦前、多くの国民が騙されたと思った・・・騙されるのも罪だともいわれる。盲従という言葉もあった。だが日本国民もいくらかは利口になったはずだ。9・11以来、米国はネオ・ファシズムへの道を歩んでいるように思える。宗主国がそうなら、従属国がそれに追従してゆこうとするのも理の当然か? しかし国民は前よりは賢くなっている。

明治憲法下での天皇の官吏は、戦後公僕となった。国民の「僕」である。天皇は象徴だが、内閣総理大臣は公僕である。安倍晋三氏も国民の公僕である。政府が国民に命令するのではなく、国民が政府に、安倍晋三に命令するのである。晋一氏が国民に命令などできない、これが新憲法の精神だった。戦争で心身ともに傷ついた国民の精神だった。 

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(本日のメモ 1)―オバマ、核不拡散条約を葬る―

 核不拡散条約(NPT)再検討会議(2015.4/27-5/22、ニユーヨーク、参加国約190)で、核軍縮・核不拡散・原子力の平和利用の三分野で全会一致の合意文書採択を目指したが米・英・加不同意で不採択。「核なき世界」でノーベル平和賞受賞のオバマ大統領が採択反対を指示したので決裂したといわれる。イスラエルを守るためだという。やっぱりノーベル平和賞は茶番である。ジョージア(旧グルジア)のサアカシビリ元大統領がウクライナのポロシェンコ大統領によって、ウクライナ南部のオデッサ州知事に就任したとか。おまけに、このサカシビリ元大統領をノーベル平和賞に推薦する動きもあるとか。お臍が茶を沸かすとはこのことか。

(本日のメモ 2)オバマさんからたんとご褒美

 15年6月5日の朝刊、朝日と毎日が同時に瓜二つの論陣を張った(社説。)米議会で審議中の貿易促進権限(TPA)法案に関してである。朝日;「オバマ政権や民主・共和両党の議会リーダーは指導力を発揮し、反対・慎重派議員を説得してほしい」、毎日;「オバマ大統領は指導力を発揮し速やかな成立に努めてほしい・・・政権と共和党幹部は今月中の法案を目指すが、残された時間は少ない・・・成立を野党に頼らず、足元を固めるべきではないか。与党の説得に全力をあげてほしい」。

両方とも「説得してほしい」「説得に全力をあげてほしい」と大声援。きっとオバマ大統領から山ほどご褒美がもらえるよ。


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