静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

プリニウスの章(2)

2017-04-19 20:57:53 | 日記

  プリニウスの章(2)

           ソーンダイク『魔術と実験科学の歴史』の抄訳

 

                  

占星術のテキストより古い呪文のテキスト

 だがしかし、現在における一般的な傾向は、占星術はセム系のカルディア人によって始められ、その後に発達したものとして関連付けて考えている。Lenormant は考える、書類や魔術においてトラニア人やシュメル人(アッカド人)はバビロニア文明に貢献した。しかし天文学と占星術はセム人の改良によると。Jastrow は、アッシリアの宗教とバビロニアの宗教の間にはほんの僅かの違いしかない、そして両方に星の理論は大きな部分を占める。しかしかれは、より古い占いのテキストはこの星の理論にあまり影響されていないことを認めている。L.W.King <イギリスのアッシリア学者>は言う。「魔術と占いはテキストの中で大きく膨らみ復活した。そしてこの場合、占星術的要素が根底にあることは示唆されていない」(1)

 (1)略

 

占星術以外の占い

 魔術文学が、三つの主要な部分に別れたのは、何時、何故だったのだろうか。星を神の如く見做し、予言には王のために特別に作られた占星術のテキストがある(1)。それからまた、将来を予言する他の方法、とりわけ肝臓による予言と関係のある文字板がある。しかし、夢占い、卜占、油と水の混合による占いはまた実際に行われていた(2)Fossey は、アッシリア人の間では、魔術は予言と実効的(手術の?)魔法と密接な関係があり、予言は「欠くことのできない魔術の補助である」と記している。予言師の見立てによる、魔術の多くの業績には、未来あるいは始まりについての知識の発展が含まれていた。あるいは、魔術の儀式に好都合な日や時間が選ばれた(3)

 (1)~(3)略

 

魔法や悪霊(悪魔)に対する呪文

 三番目に、呪文のコレクションがある。といっても、それは占い師によって用いられたものではない。それらは多分不正なもので、だから公的には用いられなかった。- ある呪文で、すぐ後で引用する魔術は悪魔と呼ばれ、それは「不純なもの」を使用するといわれた- しかしむしろそれは、悪魔の神秘性に対する防御的な処置だったろう。しかしこの片方の魔術は大きな領域へ独自に反映した。だから病気は普通悪魔のせいだと考えられていたので、それは祈祷によって追い払わねばならず、薬は単に魔術の一部に過ぎなかった。悪魔の精神はまた自然における騒動に責任がある、祈祷は自然の秩序を完全に転覆することから護ると考えられていた(2)。いろいろな祈祷は文字盤のシリーズの中でアレンジされてきた。Maklu あるいは燃焼、Ti'i あるいは頭痛、Asakki marsuti あるいは発熱、Labartu あるいは魔女、Nis kati あるいはraising of the hand に。とりわけ多くの儀式や医学の書物には魔術の実際が含まれている(3)。また賛美歌や宗教的叙事詩は、その魔術的使用を見ても、人々はすぐに祈祷のなかに分類したりはしないだろう。Fellnell は「神学的解釈の実践や魔術の起源ははっきりしない」(4)と示唆している。良い魂は魔術の使用によって現れ、悪魔払いは悪魔に対抗するのだ(5)。最後の手段として、人間の魔術が悪魔を阻止することに失敗するのと同様に良き魂が失敗したとき、エア神<メソポタミヤ神話での創造神> の援助が要請されるだろう。そして「魔術の秘密に取り憑かれた者は、その方法によって彼等は征服され撃退されるだろう」(6)

 (1)~(6)略

 

呪文の例

 呪文は、魔術の中に入り込んだ言葉の力としてよりも、それ自身他の要素を表わしている。そこで事例を挙げてみよう。

 汝偉大な神よ現れよ、私の不平を聞きたまえ

 私に正義を与えよ、私の今の状況を知りたまえ

 私は、私の魔術師の像を作るだろう

 私は貴方の前で謙虚になり、貴方に私の大義を捧げよう

 なぜなら彼等は悪を為したから汚いものを彼等は扱った

 彼女は死ぬだろう! 私は生きる!

 彼女の呪文、彼女の魔術、彼女の魔法は破滅する

 引き抜かれたbinu の木の小枝は私を清めるだろう。

 それは私を解放するだろう、私の口からの悪い臭気は風に散るだろう

 大地を覆うmashtakalハーブは私を清くしてくれる

 貴方の前で kankalハーブのように私を照らせ

 laude ハーブのように輝き純粋であれ

 女魔術師の魔力は悪である。

 彼女の言葉は彼女の口に戻ってくる、その舌は切られる

 彼女の魔術は夜の神が懲らしめる

 三人の夜の見張り人が彼女の悪の魔力を打ち破る

 彼女の口は蝋だ、彼女の舌は、蜜

 彼女が語った私の不幸の原因である言葉は蝋のように溶けるだろう

 彼女の魔術は蜂蜜のように傷つけられるだろう                               

 だから彼女の魔術の結び目は二つに切り裂かれ、彼女の業は滅びるだろう(1)

 (1)JastrowReligion of Babylon and Assyria, pp.283-4.

 

 魔術の材料と装置

 この呪文によって明らかなことは、魔術のイメージが作られ、そして結び目が使われたこと、そして木とハーブの道具も用いられた。魔術のイメージは小枝、蝋、脂その他の物から作られ、いろいろな方法で用いられた。このように、説明書は王の敵の獣脂の偶像を作る傾向にあり、その顔は個性を奪い演説と精神力を現わすために紐で縛られた(1)。偶像はまた病気の悪魔がそのなかに魔術的に乗り移ることができるように作られた(2)。そしてときどき偶像は殺害され埋められた(4)。祈祷の折りに魔術の結び目は女魔術師によってのみ用いられた。しかしFosseyは結び目はまた悪魔に対する反対呪文として使われたという(4)。祈祷の折りに、ハーブの名は翻訳されないままなので、アッシリアやバビロニアの薬剤術であるとは言えなかった。というのは、われわれの辞書には彼等の植物学的・鉱物学専門用語に欠けているから(5)。だがしかし、学者たちは通常明らかにそれを翻訳することができたし、怪奇な物は最もよく利用された。ワイン、油、塩、なつめやし、にんにく、唾液のようなものも用いられた。魔術の細い杖が使われたことは明らかである(6)。宝石、動物の部分はハーブと並んでよく用いられた。あらゆる種類の媚薬が調合された。あらゆる儀式や行事にそのような沐浴と燻蒸気が行なわれた。バビロニアのノアの箱舟の説明の中で、そのいろいろな部分において、魔術についての暗示を見ることができる。マストや船室の天井はヒマラヤ杉で出来ていて、魔法を打ち消すのである(7)

 (1)~(7)略

 

ギリシア文明も魔術から自由ではなかった

古代ギリシア・ローマの栄光を過度に浴びた中世の終りのイタリアルネッサンスあるいは人間主義運動と呼ばれるものがもたらした一つの結論は、古代ギリシアが他の時代や人間に較べて魔術から著しく自由であったという特異な概念である。素朴なローマ人へのそのような説明は言い過ぎである。そもそも全体としてローマ人の宗教は魔術よりは微弱で、公私の日常生活は迷信的戒律(習慣・儀式)と恐怖に取り囲まれていた。しかし彼等はまた、ギリシア文明の影響のもと、より輝かしい活動舞台をもった。だが中世になると東洋の影響のもと、東洋の帝国とともに逆戻りをした。ちなみに次の意見を付言する。過去の東洋はより迷信的で、文明の発展段階の西洋人よりも驚異的なものを好んだ。そこで東洋にはすべての迷信的神秘とロマンチックナ話が必要であり、それは口の達者な(行き当たりばったりの)作りごとであった。それを私は追求しようとは思わないが、われわれの後の研究(調査)がそれを実証した。だが、ギリシアには魔術の問題はないとする傾向について戻ろう。後代の改竄もしくは完全な偽の論文であり、テキスト批判にはくり返し否定されてきた文言を持つといわれているように、それらは令名高い古代著者にとってあまりにも迷信的に見えた。古代の占星術、祈祷の専門家である現在の学者でさえも、この怪しげな一般化に執着している。そして断言する「清いギリシアの民族は、常に魔術の神秘な見せ物から立ち戻ってくる」()。しかし私は16年ほど前から「医療の幻想化は『暗い時代』と同様『ギリシアの明るい光』に負っている」と私は言ってきた(2)

 (1)(2)略

 

神話・文学・歴史における魔術

 ヘレニズムの宗教、文学、歴史における魔術出現の明らかな証拠を尋ねることは難しくない。一つは、ギリシア神話の多くの驚異的な変身の思想その他の数えきれない不合理性を考えること。魔女キルケ、メデア、オデュセイの妖術、イリアッドにおけるアポロンの司祭魔術師、彼は望めば疫病を止めることができた。ヘシオドスの幸運の日・不運の日や、他の農業の魔術(1)。このようにしてスパルタ人は教育方法の設立者と呼ばれ、多くのギリシア哲学者から賞賛された。その多くは原始的部族の生活における儀式やタブーの持続であった。またわれわれはヘロドトスと彼の幼稚な大喜びを思い出す。あいまいな神託やジェーラ<イタリア南岸の町>からの脱退者、片手のテリネスによってもたらされた話、「それはある奇跡を生むと思われた大地の下の力の神秘な見えるシンボル」であった(2)。クセノフォンの犠牲、占い、くしゃみ、夢についての固苦しい記録をも一度見てみよう。ニキアスはスパルタを怖れたように天体の食を恐れた。また、エウリピデスやプラトンのような進んだ著者でさえ、事実上呪文、媚薬、祈祷について述べている。古代ギリシアの喜劇において魔術は、アリストファネスのGictesアレクシスのMandragorizomene,アナクドリデスのPharmacomantis、アナクシラスのCirce、メナンドロスのThettaleに再現されている(3)。われわれがこのような証拠の意味を率直に評価するとき、ギリシアは他の国民や時代よりも魔術に傾斜していなかったとは言えないことを示した。従って我々は、古代ギリシアの文明に魔術が存在したという根拠のために、テオクリトスやギリシアのロマンス、魔術のパピルスを待つ必要はない(4)

 (1)~(4)略

 

学問の進歩とオカルト科学の同時性

 もし占星術や他の神秘主義科学がギリシア時代までに発展した形態で現れなかったら、それ以前の時代はそんなに発展せず、その研究は遅れただろう。そして、オスタネスがペルシア戦争の頃ギリシア世界へ導入したと言われる魔術は、彼等の粗野(下品)で古くさいGoetiaの儀式(習慣)の改良以上に改革されたものではない(1)。 

 (1)略

 

 魔術の起源がギリシアの宗教や劇に刺激を与えた

 ギリシア文化の出発時点から存在したこの魔術の要素は、いま人類学者によって研究が進められている。古典の宗教だけでなく初期の宗教も。Miss Jane E.Harrison  Themis, study of the social origins of Greek religion<テミスはギリシア神話上の女神>で、多くの神話や祝祭を魔術に基づいて説明し、それだけでなくオリンピアの競技とギリシア劇についても論じた(1)。最後の問題は、F.M.Cornford rigin of Attic Comedy でさらに展開された。そこではアリストファネスの喜劇のなかで変装していることを見破っている(2)。またMr.A.B.Cook は、ゼウスに魔術師を見る。ゼウスは愛人を追いかけるために変身する。そして「天空の天候王の真の原型は地上のもの」であるとして魔術師あるいは降雨師と争う。ホメロスの詩の中にある、ホメロス以前のゼウスの「ぴったりのあだ名」は「単に魔術師を暗示するだけ」であり、ゼウス・リュカノスの崇拝(祭礼)は狼人間の信頼(信仰)と結びついている(3)。最近の発表でレンデルハリス<聖書学者>(4)は、ギリシアの神の起源にキツツキとヤドリギを結びつけ、アポロンの祭儀をネズミとヘビの薬効と関係づけた。そして一方、初期のギリシア宗教と動物や薬草といった魔術の道具の文化の重要性を強調した。これらの著者は多分彼等の主張を大げさに表わしたのだろう。しかし少なくとも彼らの仕事は、古代にたいする知的心酔という古い姿勢に対する反動として役立った。彼等の見解はMr. Farnell のそれに相殺されるだろう。彼はこう述べている。「だから、初期のバビロニアの魔術の知識は始まりだと考え得る。我々はこの分野で、ギリシア人やその周辺の人々、われわれが扱う早い時代の人々の明確な考えを何等述べることは出来ない」。そしてまた「しかしバビロニアの魔術が自身で声高に偉大な宗教的文学と高度な寺院儀式を宣言するのだから、ギリシアの魔術はわずかに古いギリシアの文学を挙げるだけであり、聖歌に地位を占めることもなく、高度の儀式に隠れているのを発見するのがやっとである。再言すると、バビロニアの魔術は基本的に悪魔的である。しかし我々には、ホメロス以前のギリシアが悪魔に支配されたという証拠がない、また悪魔学と悪魔払いは彼の意識と実行のなかにおいて主要な要素ではない。だが MrFarnell は次のように認める。「初期のギリシアは、後期のギリシアと同じく神の魔術という名の効能は全く微妙である」()。悪魔の存在を信ずる前 に名前の力を信ずるのは、古代の魔術の最も可能性のある証拠である。そこで、次のことが指摘できる。その著者はいかなる精神的あるいは悪魔的助言もなしに彼自身の言葉の作用を信頼する。

 (1)~(5)略

                                                                 

ギリシア哲学での魔術 

 さらに、ある意味でギリシアの魔術の擁護者は十分成功していない。彼等はアリストファネスの喜劇の後ろに魔術があると嘘をつく。いかに彼等が争おうと、それはかれらと同時代のものである(1)。彼等は、古典ギリシアの宗教の起源は魔術であると考える。そこで、ギリシア哲学は決して魔術から自由ではないという風に議論する。ツェラー<ドイツの哲学者> は言う「エンペドクレス自身が魔術の力を持つと信じていたと、自分の著書で証明していた」。かれ自身「宣言した。老齢と病気を癒す力をもっているし、風をおこしたり静めたり、雨を呼び出したり干しあげたり、死者を生き返らせたりできる」と(2)。もしホメロス以前のゼウスのあだ名に、ある魔術の匂いがするなら、プラトンの『テマイオス』は同様に神秘科学と占星術を暗示する。そしてもしわれわれが天候を左右する魔術師をフィディアスのオリュンピアのゼウスに見るならば、『ティマエオス』の奇行(気まぐれ)を、詩的イマジネーションの飛翔として釈明したり、『動物誌』のテキストを削って不完全にすることによってアリストテレスを現代の科学者に仕立てあげることを試みたりすることは出来ない。

 (1)(2)略

 

魔術と占星術に対するプラトンの意見

 『法律』のなかで、魔術に対するプラトンの意見とされるものには用心が必要である。彼は、医師、予言者、占者だけが毒(あるいは呪文)の性質を理解していると主張する。それらは自然に作用する。それは祈祷、魔術の結び目、蝋の像のようなものである。それ以外の人たちはそのような物について確かな知識は持っていない。彼等が怖れないのは当然で、むしろそれを軽蔑する(忌み嫌う)。それにもかかわらず彼は、魔法に対する法律制定の必要はないと多くの人に確信させようとするのは無用だという。だがもし東方のマギから教義を借用しなかったら、彼自身の自然についての見解は浸透したように思える。少なくとも現代の科学よりは魔術と同類の概念であり、占星術に近い教義であった。彼は物質的なものを人間化し、物質的な性質と精神的な性質を混同した。彼はまた、魔術についての自然的あるいは理性的説明をすることを試みた(彼が好んだ著者については後で触れる)。たとえばこのように説明する。地面の上での肝臓占いでは、肝臓は一種の鏡で、それで精神を探め、それに魂のイメージが反映される。そしてそれは死で終る(2)。彼は要素(元素・原理)間の調和的な愛を健康の源であり生物、獣、人間の多様性の原因として、そして彼等の「気まぐれな愛」を疫病と病気の原因として語る。両方の違った愛を理解するには「天文学と呼ばれる天体の回転と一年の季節の関係」(3)あるいは、我々が言っている占星術、その基本的法則は星の行動における下位の星のコントロールであるがそれを理解しなければならない。プラトンは星について語る。「神と永遠の動物は永遠である」(4)と。このような表現は中世において繰り返し聞かれた。彼は「低位の神」を天体と強く同一視する。そこから、人間も、良い生を送ったなら、死後それぞれが自分の定められた星に幸福な場所を占めるだろう(5)。この論理は出生と星占いと同一視せず、それは星の重要性を高め人間生活への制御を示唆する。またプラトンは国家』の最後で、七つの惑星のハーモニーや音楽と八つの恒星について語っている。そして「はずみ車の軸棒がすべてを回転させている。一度人間の魂がこの生に入ると、今後その運命は星の軌道に従うことになる、と語っている。さらに彼は『ティマエオス』で言う。「すべての八つの惑星が互いに運行を成し遂げ、同時に彼等の役割を果たしたならば・・・完全な時間、完全な年を探す困難性はない」(6)。彼はmagnus annus の占星術の教義で、天体がそのもともとの位置に戻るなら、すべての細部にわたって歴史は戻り始めるだろうと言っているように見える。

 (1)『法律』、 (2)『ティマエオス』、 (3)『饗宴』、 (4)~(6)『ティマエオス』

 

星と精神におけるアリストテレス

 アリストテレスにとって星は「超人的知性、具体化した神である。彼等はより純粋な形で現れる。より神に似ている。そしてそこから目的ある理性的影響が、地球の低位の生命に影響を与えているように見える。そういう考えが医薬の占星術になったと思われる」(1)。さらに「惑星圏の下位の神の彼の理論は・・・後の悪霊学のために提供された」(2)

 (注1)Windelband, History of Phikosophy.

 (注2)同上

 

『動物誌』における民間伝承

 それはさておき、人相学の断片とピュタゴラスの迷信あるいは神秘主義から影響を受けたアリストテレスの『動物誌』には、動物の生命における星の影響、動物の薬物使用、彼等の友情と敵意、そしてそれ以外の民間伝承や偽科学を多く含んでいる(1)。しかしその一番古い写本でも一二世紀か一三世紀のものだけで、しかも一〇巻を欠いている。テキストの編集がまた七巻と九巻、八巻の終りの部分に欠陥がある。そしてまた他の文節でもいろいろ問題がある。しかし、これらの箇所の削除は、ギリシア科学や哲学一般に較べてアリストテレスの面子を救っている。優れた七巻はヒッポクラテスから、九巻はテオフラストスから多量に引用されている(2)

 (1)(2)略

  

古代の東洋とギリシア文学における伝承の形態の違い

 ギリシアの魔術のほかに、エジプト、バビロニア、アッシリアの魔術との比較を心に止めておかなければならない。我々は古代オリエント文明における魔術の広い分野を説明した。それは初期の場合を除いて、仲介的な干渉や変更なしに直接もたらされ

た。しかし古代文学や哲学はアレキサンドリアの図書館(1)によって編集されて我々に伝えられたり、キリスト教徒やビザンチン人によって修正されたり抜き書きされたり、中世の修道士やイタリアのヒューマニストによってコピーされ翻訳されたりした。そして問題は単に誰かが加筆したか?だけでなく、書き直したか? 取り除いたか?ということである。存在する祈祷文書の中に、好ましい文を挿入し、その部分はその代わりに、異教徒か偶像崇拝的な迷信であるとして除くという後世の改竄が行なわれた。

 (1)略                                                               

   

 ギリシア遺跡に直接伝わったより魔術的性質

  古代ギリシアに・・・<印刷不明>書類に戻ろうと思う。グノーシス主義者の宝石と呼ばれるパピルスに書かれた鉛盤がある。それらは、間接的に伝えられた文学的遺稿のものと較べて、どんな割合で魔術が含まれているのだろうか?もし、魔術の書類が主として後世のものでエジプトで発見されたものであるなら、それは我々の持っている古代文学のどんな古い他の手写よりも古いものだろうし、そしてその主な書庫は

エジプトのアレクサンドリアだろう。鉛盤(2)に書かれた魔術の呪いは前四世紀から後六世紀にわたる。そして一四はアテネから、一六はクニドスから、それに対しアレキサンドリアからは一つ、カルタゴからは一一である。しかしながら、いくつかは極度に無学な人、その他は上位の人物あるいは教養のある人物によって書かれている。だが何と多量のギリシア語による占星術の写本が、ヨーロッパの図書館でCatalogus Codicum Graccorum Astrologorum(3) によって、発見されたことだろう!そしてしばしば考古学者は魔術的装具(4)もしくは芸術作品の中の魔術の表現を発見する。

 (1)~(4)

 

 ギリシアにおける科学の進歩

 これらの論争で、ギリシア文化は魔術から自由ではなく、古代ギリシアの哲学や科学でさえも迷信の形跡を残していることが論議された。しかし私は、ギリシアに遺って現存している文学は我々にとってかなり重要なものであることは認める。それは組織的で理性的展望のうえでも、また自然観察に基づいて分類されている収集物にしもそうである。有史前の人々、エジプト人、バビロニア人の文明に関する近年における知識は急速に進歩している。哲学および科学における優位性は大きく揺らいでいる。そしてその後の業績が発見されたが、それは医薬の分野でヒポクラテスにより、生物学ではアリストテレスとテオフラステスにより、数学と物理学の部門ではエウクリデスとアルキメデスによるものである。間違いなく前記のような人々や著書はギリシア人の先輩であり、また多分ギリシア人はある低度古代オリエントの文明に負っている。しかし、前述のように、かれらは偉大で独創的な力量を発揮したと言えよう。過去の表面下に何が隠されていようと、それがどんな科学上の研究や知識のサインやヒントであろうと我々はそれを見つけ出し、行間を読むことができる。他の古代文明の科学の表面の下にその堅固な経験的・数学的科学が紛れもなく存在するからである。

 (1)略

 

アルキメデスとアリストテレス

 Heath <イギリスのギリシア数学史家>はいう。「アリストテレスの著作の主題は途方もなく大きい」「彼自身の新しい発見を完全に表現している。彼の主題の広さはほとんど百科全書的である。幾何(平面と立体)、算数、メカニック、静水学、天文学が含まれているが、彼には著書の編集者・筆記者はいない・・・彼の主題は常にある新しい事物、知識の総和へのある明確な追加があり、また彼の完全な独創性は、彼の作品の知性を読む人誰にでも失望させることはない。いかなる明瞭な証拠なしでも、それを反映した序文のなかに見つけることができる。・・・彼の主題の幾つかではアレキメデスは先行者ではない。たとえば彼は機械的論議のなかで、静水学において彼は全科学を発明した。(数学的デモンストレーションが考えられている限り)アリストテレスの『動物誌』は生物学の歴史家にとってもっと高く評価されている(2)。そしてしばしば「個人的観察の偉大な成果」と証言されている。「偉大な正確さ」と「精密な調査」、脈管係の解釈(3) やヒヨコの発生(4)の観察などについて。「多分すべての中で最も素晴らしいのは、魚について書いた書の一部、その多様性、構造、泳ぎ、餌などである。そこにはやっと最近になって再発見したのである。魚の構造は後になってようやく研究され習性は後にようやく知られるようになった」(5)。しかしギリシア哲学とギリシア科学の読者は一定の考え方はすでに受け入れていたに違いない。

 (1)~(6)略

 

ギリシア時代の科学的成果の過大視

 この短い序文を終えるにあたって我々独自の見解を述べよう。私は現在の傾向、特にドイツの学者の間に流行っている傾向は除外しよう。アリストテレスとギリシア時代へ集中するために、現在に至る迄の、ほとんど自然科学のすべての発展について述べよう。エジプト人とバビロニア人の貢献は一方では最小限に止める。同時に一方ではローマ帝国の著者- それはギリシア時代のそれよりもずっと豊富にあるからだが、それは偉大な著作者の拙劣な模倣であり現存しないと見做されてきた。たとえばポシドニオス、彼についてはドイツの著者の論文の傾向はすべてこのような論理であったし、その後もそうである。しかしそれに反し、科学的知識の漸進的で骨の折れる獲得の原理は、一つの時代、僅かの世紀がこのようにすべて発見するだろうということである。我々は、初期エジプト人の科学から中期の、そして新王国の崩壊までの黄金時代についての同じような意見について論争した。そしてエジプト人であれバビロニア人であれ、ギリシア以前に彼等は科学における大きな進歩を成し遂げていたのである。しかし、そのようには言われないで、彼等は何らの進歩も為していないという人もいる。Karpinski教授<ソ連の地質学者>教授は最近書いている。「現代の研究者の発見によると、バビロニア、エジプト、インドの科学と科学精神の発展における彼等の役割については、古代の証言が否定している。その結論は、エジプト、後期バビロニア、インド、アラブの科学がギリシアに栄光を与えたことはないとされている。どうしてバビロニア人がほんの少し後のギリシアやインドの黄金時代にギリシア天文学の発達をもたらすことができたのだろうか?これは、もし彼等が天文学の発展の段階に到達していたなら、正確に高く評価することが可能であり、それは吸収されただろう。・・・ギリシア天文学が直接インドの天文学的理論の影響を受けたことを承認するなら、密接な関係のあるこの科学はギリシアと同じレベルの何かを達成していたことを含意する。厳しい質問はなしにして、我々は仮定しよう。我々がギリシアのものと考えている時代に発達したバビロンとエジプト、インドの科学の基礎的部分は土着の科学であると」(1)。私はすでに述べたように、初期ローマ帝国の偉大な科学者は単にコピーではなく、ギリシアの先輩に明らかに劣っていると認めてもいない。アリスタルコスは太陽中心説(1)を持っていただろう。しかしプトレマイオスは有能な科学者に違いないが、彼 の間違った仮説は、古代人が採用した測量師の見解をより精確な測定と計算として支持した。そしてもしヘロフィロスが実際に血液の循環を立証したのならば、たいそう鋭い知性の持ち主であるガレノスは、かれの発見を傍に放り出しはしなかったであろう。そしてもし、プトレマイオスがヒッポクラテスをコピーしたなら、我々はヒッポクラテスは誰からコピーしたのだろうか?しかし権威者から権威者への絶え間のない伝達、そしてさらに個人的観察による経験や新しい問題の漸次的蓄積、そして一三世紀に引き続く思想と著書の我々の研究は、より精密な報告を提供するだろう。

 (1)略

                             (続く)      

                                                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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