静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

クレオパトラの真珠(1) 無二の真珠

2009-12-13 16:42:41 | 日記
 クレオパトラがアントニウスの目の前で、真珠を酢に溶かして飲み干したというエピソードは、プリニウスの『博物誌』によって広く知られています。伝聞によるこの話、したがって多分にあいまいさが残るのですが、その話をなぜ彼は伝えたのでしょうか。なにか目的があったのでしょうか。

 このエピソードは、水棲動物、甲殻類の説明に付随してでてきます。古代の人たちが、海底深くに生きる真珠貝や真珠の生誕について、想像力を働かせる以外なかったのもやむをえないことでしょう。プリニウスの記述によれば、真珠はカキとあまり違わない貝が、空からの露を受けて懐胎してできるのです。その露の性質に応じた真珠が生まれます。雷鳴があるとその貝が驚いて急に閉じるので、中空の虚ろな真珠が出来るが、これは真珠の流産なのです。適当な季節に食物を十分摂っていると生まれる真珠も大きいのです。裏側が平らで片側がない真珠はタンバリン真珠と呼ばれます。

 真珠はこのような神秘的な生誕説に包まれ、また命がけの危険な海中での採集、そして遠いインドやアラビアの果てからの危険な海路・陸路の輸送、それらが真珠の価値を否が応でも高めることになりました。おまけに真珠は模造品が作れません。プリニウスは宝石の模造については語っていますが、真珠の模造については無言です。不可能だったのでしょう。一世紀のギリシアの哲学者アポロニオスが、紅海沿岸の住民が貝に真珠を作らせる方法を知っていたことを示唆するような文を残していますが、どこまで信憑性があるか分かりません(『西洋事物起源』による)。

 真珠の魅力は古代も現代も同じです。輝き、大きさ、丸さ、滑らかさ、重さにあると考えられていました。ラテン語ではマルガリタ、ギリシアでも同じです。女性の名に用いられます。英語でも古くはマーガライトといい、今のパールもラテン語から来たようです。パールに似た名のつく魚がいろいろあるようです。
 このように一般にはマルガリタなのですが、次のようにも言われています。真珠には同じものが二つとないのでユニオと呼ぶのだと。そう呼ぶのはローマだけだそうです。ユニオは単一とか一個という意味があります。同じ真珠は二つとない無二のものであり、そのような稀な性質をもっている、だからそう呼ぶのだといいます。しかしおそらく、特に大きく高価な真珠についていうのでしょう。たとえばクレオパトラの真珠のような。

 この高価な真珠も、ローマの平和が確立し、海上交通も陸上交通も安全になった一世紀の後半のころには大量の真珠が流入し、貧乏人でも欲しがるほど一般化していたらしいのです。そんなに上等のものではないにしても、二つも三つも耳につけて、その触れ合う音を自慢したりしました。カスタネットのようだからクロタリアと呼びました。ローマでは、カスタネットのことをクロタルムというそうです。また、真珠を上着のいたるところにつけるだけでは満足せず、それを踏みつけなければ承知できない、事実「この無二(ユニオ)の宝石を踏んで歩いている」、つまり靴の紐にまでつけて歩いていると非難しています。
 こんな世界が人類史上にあったのですね。

 彼は、真珠は完全にぜいたく品であり、自己満足以外に何の役にも立たない、虚栄のためのものでしかないというのです。しかもそれは危険を冒して深い海から採ってくるものです。ローマは、そんな贅沢品に莫大な金を支払っているのです。「真珠は主としてインド洋が送ってくれる」とプリニウスは表現していますが、真珠だけではありません、コショウ、各種香料なども送られてきます。今日、インドで大量のローマ時代の金貨が発見されていることはよく知られています。彼はローマの富がインドに奪われると警告を発しました。
 その金はどこからもたらされるのでしょうか。もう戦勝の賠償金などは期待できません。主としてローマ帝国内の金鉱山で採掘されています。その膨大な発掘作業によって自然が破壊される・・・彼はそのように考えたに相違ありません。
 

 


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