静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

s04  世界の臍(へそ) デルフィ

2016-01-29 21:34:50 | 日記

s04 世界の臍(へそ)デルフィ

 

  アテネから西北100キロあまり、パルナスス山の麓にアポロンの託宣所であるデルフィがあった。人々はアポロンの神殿の柱廊に、スパルタのキロンの三つの訓言を金文字で書いて神聖なものとした。それは「汝自身を知れ」「何物もあまり多くを望むな」「借金と訴訟の友は不幸である」の三つ(『博物誌』から)である。神殿や野外劇場、あるいは各ポリスからの献上品を収容倉庫などの遺跡(アテネの倉庫は再建されている)などが広い神域にある。

 

1、アポロン神殿の遺構

 デルフィは西欧人の心の故郷だそうだ。それが真実であるかどうかは知らない。だが、東洋からの旅人でさえ、なぜか心をうたれる。このアポロン神殿の内陣の下に、オンパロス(へそ)と呼ばれる丸みを帯びた高さ1メートル半ほどの彫刻を施した大理石が置かれていた(デルフィ博物館蔵)。古代のギリシア人は、この地点を世界の中心、つまり”世界の臍(へそ)”と考えた。もっとも、当時のギリシア人の地理的視野は限られたもので、彼らの「世界」は今日から見れば狭いものだったのだが。(デルフィ アポロン神殿跡  紀元前4世紀)

 

  2、オリーヴの海

 朝霧に包まれて向こうに見えるのはキルフィス山塊、さらに遥かにパルナッソスス山を望む。この山は、アポロントニンフを囲んで神々が集う山だという。その間にあるのがプレイトス峡谷、その峡谷を埋めつくすのはオリーヴの樹林、その樹林は海岸に向かって更に広がり、いわゆる「オリーヴの海」ともいわれるオリーヴの樹海に連なる。デルフィの富は各地から奉納される宝物にあり、とばかり思っていたが、ガイドの「オリーヴがデルフィの富の源泉であった」という説明を聞いて驚いた。事実、この神域には各地のポリス(‹都市国家)から献上された宝物庫の遺構が残っているのだが。(アテネの宝物庫は復元されている)。時は4月上旬、二千数百年前と同じように(多分)、黄色に咲き乱れるカラシナの花に、ミツバチが羽音も高く乱舞していた。(アポロン神殿跡からプレイトス峡谷を望む)

                                                                        

 3、汝自身を知れ

 神殿の背後にある展望台から目の当たりに列柱を見る。高さ12m という。柱廊にはホメロス像が飾られ、壁には「汝自身を知れ」「人間は万物の尺度なり」などの銘言が書かれていたと一般には言われているが、プリニウスは冒頭に述べたように、三つの訓言だと書いている。朝早く、靄(もや)がたちこめた。人の影もまだ少ない。ひとたび、このデルフィの遺跡を訪ねれば、東洋人といえども忘れることのできない、強い印象を心に刻するに違いない。(アポロン神殿の円柱)

 

 4、神々の棲む山

 ギリシアの山には森林が少ない。地を這うような低い植物か、岩山である。プラトンは、すでにその昔、アテネ周辺の山々の木々は乱伐によって禿山化していると嘆いた。後世の羊の放牧がそれに拍車をかけた。この神殿域の背後も岩山である。オリーヴは強い樹木だがさすがこの岩山には登っていくことができない。しかし、よく眺めていると、このような山こそ神々の住み家に相応しいと思えて来るから不思議だ。

 

 

 


s03 アテネのアクロポリス

2016-01-24 12:01:43 | 日記

      アテネのアクロポリス

 

 アテネのアクロポリスに立つパルテノン神殿とその周辺は異次元の世界を創り上げているようにもみえる。しかしそれは,永い時の経過のなかで生み出されたものだ。西洋人と東洋人との感性や考え方の違いでその評価も違ってくるだろう。

1、ニケの神殿

 宗教的建造物はときとしてため息がでるほど美しい、現代人の目から見れば(古代ローマ人の目から見てもそうだった)、なんの現実的な使用価値もない神殿が。このアテナ・ニケ(勝利の女神)の神殿もそのひとつだ。遠くにエーゲ海を望む。(アテネ アクロポリス ニケの神殿<紀元前5世紀末>)                                                                          

 

 

 2、パルテノン神殿

 法隆寺の建築群の背景には山の緑がある。パルテノン神殿の背景は空だけだ。ローマ人のフロンティヌス(30頃-104) はローマの水道アーチを自賛しながら、「無用のピラミッドや、有名ではあるが無益なギリシア人の労作」と述べたし、プリニウス(23/24-79) も同じような意見であった。だが、人間は無益なものをいくらでも造ってきたし、無益な行為を限りなくくり返してきた。今日、この神殿はアテネ最大の観光資源であり、収入源であり続けている。                                                                                

 

 

  3、人間の業(わざ)

 たとえば、イースター島のモアイもそうだが、これらの建造物を眺めていると、人間の底知れぬ巨大な精神力を感じないではいられない、有益か無益かは別にして。だが今もなお、たゆまずパルテノンの修復工事は続けられている。その一方で、大気汚染によって石柱は刻々と蝕まれてゆく。二千数百年の歴史をもつこの建造物は、はた してどれほどの命脈を保つのだろうか。(パルテノン神殿<紀元前5世紀>)

 

 

     4、歎きのアテナ

 これは、死者の碑文の前で悲しみ歎く女神アテナ。本来安置されていたパルテノンのアテナ像(アテナ・パルテノス。フェイディアス制作)は盾と矛を持って武装し、昂然とあたりをはらう軍神であったし、コインに刻まれたアテナは戦車を駆ける勇姿であった。だが、このアテナは・・・。奈良の仏もそれぞれに美しいが、それは今も現役で信仰の対象であり、完全円満な慈悲の心を具現していて、奥の方に安置されており、恐れ多くて近づきがたい。このアテナには、窓からこぼれる柔らかい自然光のなかで対面した。手の届く至近距離でゆっくりシャアッターをきった。(BC5世紀後半、パロス大理石、高さ約56cm  アクロポリス美術館)                                                                         

 

 

 

                 

 

 

                                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

      


s02 シチリアのタオルミーナ

2016-01-09 23:03:00 | 日記

    s02 シチリアのタオルミーナ                                                                                                                

 シチリア島の東北端にあるタオルミーナは、海岸から山の斜面へと広がった小さくて美しい街である。海の向こうには、ヨーロパではウェスウィウス火山と並ぶ著名な火山である。冬季には白い雪を頂いて特に美しい。ギリシア―ローマ劇場が海から立ち上がった断崖の上にあり、そこからの景観は殊さらに優れている。夜にもなると、この古代の遺跡と風景を愛でる観光客で繁華街は賑わう。

 1,エトナ山は霧の向こうに  晴れた日には、青いエオニア海と白雪を頂くエトナ山が見える。それを背景とするこの舞台は、神々が舞い降りる場にふさわしい。だが神々は死んで、すでに久しい。  折も3月、みどりが劇場を彩る。   

                                                           

 2, 神と人の劇場   俳優たちは仮面(ペルソナ)をつけて演技をした。ペルソナにはそれぞれ役割が定められている。ペルソナには個性がある。それが、個人(person) の存在、個人主義思想や人間主義の思想の源泉になったのだといわれる。異論もある。だが、古代ギリシアが個人主義にもとづく人間主義思想の発祥地であったことは否定できない、と私は思うのだが。この日早朝、劇場は霧に包まれていた。

 

 3、ペルソナたちの舞台  劇のクライマックス、人間たちの手に負えない展開になると、ある仕掛けによって神が降りてきて解決させる(deus ex machina =機械による神)・・・ということになる。この図には見えないが、背景の白いエトナ山、そしてこの怪奇な岩山を背景にしてペルソナたちは、神々と人との交流する幻想と精神的高揚の世界に観客を誘い込んだに違いない。

 

 

4,午前中は静かな商店街も   夕方からは観光客で溢れる。そのような街の、飾り付けも魅力的な土産店のひとつ。

                       


s01 アグリジェントのコンコルディア神殿

2016-01-06 18:09:26 | 日記

シチリアのアグリジェント(古代ギリシア名アクラガス)にあるコンコルディア神殿。コンコルディアは、調和、協調、寛容などを表徴するローマ生まれローマ育ちの女神である(ブログ「コンコルディア」参照)。 

     

 二千年の歴史 この神殿に向かう途中でオリーブの古木を見つけたので、現地ガイドに樹齢を聞くと2000年と答えた。別の場所で見たオリーブの木を別のガイドも2000年と答えた。この辺りの樹はみんな2000年らしい。向こうに見えるのがコンコルディア神殿。

 力強く荘厳 この神殿の建立は紀元前450年~440年らしい。するとオリーブの古木より古

 い建造物ということか。ドーリア様式(下段の図版参照)の力強く荘厳な神殿である。

 

繊細で華麗 しかも繊細な面をも持った美しく、とても保存状態のいい神殿である。中世期にキリスト教の礼拝堂として使用されていたと言われている。おおくのギリシア・ローマ神殿が異教徒の神殿として破壊の憂き目にあった中で珍しいことである。

                       

一列になって通る尼僧 神殿脇をカソリックの尼僧たちが一列になって通り過ぎていった。

 

      

  ギリシャの柱頭の三様式   左2本がドーリア様式、中の2本がイオニア式  、右2本がコルント式。

   (コリント考古学美術館)