フランシス・ベイコンは、鶏肉を雪で冷やす実験をしていて発熱し、倒れたと伝えられています。その際、雪に塩を混ぜたかどうかは知りません。
私は子どものころ、洗面器に雪を盛り、その雪に塩を混ぜ、その雪の中で砂糖を溶かした牛乳の入った空き缶を何十回もぐるぐる回してアイスクリームを作っていました。ほんとうはアイスクリームとはいえないけれど、自分ではそう思っていました。塩が冷却に効能があることをそのとき知りました。
1995年、試験運転中であった敦賀の高速増殖炉「もんじゅ」が、ナトリウム漏出火災事故をおこし、われわれをびっくりさせました。冷却材として使われる金属ナトリウム爆発の怖さをこのとき知りました。
ところが、考えてみると、考えなくてもそうですが、食塩もナトリウムの一種塩化ナトリウムなのですね。どうりで冷えるはずです?
人類にとって、食べ物や飲み物を冷やすということは常に大きな課題でした。古代ではワインは水や湯で割って飲みましたが、冷えたワインを飲みたいときは雪を入れたようです。だが氷室で保存したした雪にはゴミやわら屑が入っていたりして清潔ではありません。そこで雪で水を冷やし、その冷水を使ったようです。
ローマ皇帝ネロはいろいろ悪口をいわれますが、一面では面白い人物でもありました。かれは、雪で水を冷やすにしても、いったん沸騰させた水を使った方がよく冷えるのではないかと考え、一度沸かした水をガラスの器に入れて冷やすという方法を考案したと伝えられています。こんな話を伝えてくれるのはだいたいプリニウスですが、スエトニウスによると、ネロはこの水を「ネロの水」と呼んでいたそうです。真偽の程は分かりませんが・・・しかしそのネロも塩を使った気配はありません。だが、このネロの実験精神にはベイコンも脱帽かもしれませんね。
「ネロの発明」が正しいかどうか、後世の学者がいろいろ実験をくり返しました。その結論はここでは伏せておきましょう。興味のある方はご自分で実験をどうぞ。
今日、液体の気化作用が温度を下げることが知られています。素焼きの壷に液体を入れ、わら屑のようなもので包んでおくと、容器の壁から液体が徐々にしみ出して気化し、壷のなかの液体を冷やしてくれます。
古代では、ワインを素焼きの大きな壷に入れて保存していました。そこでこういう説が生まれました。ギリシア人やローマ人がワインを水や湯で薄めて飲んだのは、保存中に水分ガ失われてアルコール度が非常に高くなるからであると。では、アルコールは気化しないのでしょうか。
ともあれ、ネロの時代には食塩を使う冷却法は発見されていなかったし、その後もヨーロッパでは長い間知られていなかったようです。ようやく17世紀の文献に岩塩を使った冷却法が記載されているようです。それよりも早く、硝石を使った冷却法が16世紀中ごろローマの裕福な家庭で行われていたようです。硝石を溶かした水の中にワインやその他の飲み物を入れて冷やすのですね。硝石といっても純粋の硝酸カリウムではなくて、硝酸ナトリウムが主成分のものと思われます。これもナトリウムの一種。
17世紀はじめ頃、製氷の技術も成功しはじめていたようです。ベイコンがそのようなことを示唆しています。だが彼は、まだ雪での冷却法を追求していたわけです。アイスクリームは1550年ころシチリアで生まれ、メディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスによってフランスに伝えられたという説が流布されています。わが国の代表的な百科事典でもそのように書かれている上、さらに、パリでカフェーを開いたコントローというイタリア人によって発売されたとされています。まだ他にもいろいろな説があります。まあ、そんな話もほとんど眉唾でしょうが。アイスクリームの起源についてはアラビア説、スイス説、はては日本説まであるそうですが・・・私は昔、塩まじりの雪を使って私製アイスクリームをつくりました・・・ハイ。
「もんじゅ」が事故以来14年半ぶりに運転を再開しました。日本以外の国はほとんど高速増殖炉から手を引いたというのに。原子力発電にはどうしても冷やすということが必要なのですね。そして冷却材のナトリウムの扱いはとっても厄介だとのこと。再開してあまり日が経ってないけど、毎日のように不具合が発生しているとも。冷えるのはわれわれの肝かもしれませんね・・・よく冷やしてくれそうです。
ナトリウムの一種でもある食塩の暖かい一面をつけ加えておきましょう。
古今東西、塩は神聖なものとされてきました。土俵に塩を撒くなんていうのは、その典型でしょう。古代ローマの哲学者キケロのいうように友情のシンボルでもあり、「パンと塩」は歓待のしるしでした。
同じく古代ローマの文献にこんなことが書いてありました。
「塩なくして文化生活は不可能であり、この基本的な物質は絶対必要なものだから、その名は強い精神的な喜びにさえ隠喩的に用いられる。われわれはそれをサールと呼ぶ」。
サール(sal)には塩のほかに風雅とか洗練、機知などという意味があります。
「すべての人生のユーモア、その喜ばしさ、仕事をしたあとのくつろぎなどは、他のどんな言葉よりこの言葉によって、よりよく表現される」。
これから、役人や兵士に支払われる「サラリウム」という言葉が生まれました。つまり「サールを買うための給料」ということです。
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