第五節 プリニウスの魔術的科学
マギからプリニウスの魔術まで
さてそれでは、『博物誌』にもっと多く書かれていることに戻ろう。そこではマギは引用せず、魔術師たちによる医薬と農業に従事する方法の効果を比較しよう。われわれは多くの著しい類似をみつけるだろう。そしてすぐ『博物誌』にはもっと多くの魔術があることに気づくだろう。それはマギに原因しないものである。プリニウスは、医薬が魔法によって腐敗していたとわれわれに警告する必要はなかった。彼自身の薬がそれを立証する。それはこういうことである。事実上、彼の全体の仕事には驚異的な性格と空想的な儀式が詰め込まれている。ところどころで、彼がマギから材料を得はじめたのはいつか、そこから離れたのはいつか、それを知るのは困難である。この題材に関する細部を比べることによって、プリニウスとの違いを捜してみよう。それは、彼らが行なった儀式と手順の仕方と、ある種の複雑に入り組んだ迷信的信念と観念との比較である。このようにして、ほとんど正確に、彼の科学のなかに魔術師たちの話と同じ要素が現れるという事実を見つけるだろう。
動物の習慣
おおざっぱに動物から始めよう(1)。そして、魔術の強く連想させる動物の効用に注目する前に、それ以外の非科学的で迷信的な特徴を見ておこう。それは両方とも古代や中世に極めて一般的なものだったのだから。これは動物が意識のある存在であり、習慣や策略、道徳的規範や宗教的尊敬心さえ持つものとして、人間と同化して見る傾向である。『博物誌』の多くの中から、他の著作者からのものも含めて、若干の例をあげてみてみよう。プリニウスはこのような品性を特にゾウに認める。彼はゾウは知性の面で人間に次ぐものとし、星を崇拝し、難しい業を習得し、正義感、慈悲の心などを持っているという(2)。ライオンは同様に高貴な勇気と謝意の感覚があるが、雌ライオンは自分の恋を仲間から隠そうとして策略をめぐらす(3)。網やヤナから逃げる魚のやりかたを、プリニウスは、今は失われたオウィデウスの『漁業について』から数多く引用している(4)。ワニは友人の鳥に自分の歯をつつかせるためにあごを開く。しかしときどきエジプトマングースが「投げ槍のようにその喉に飛び込んできてその胃腸を食い破る」(5)。プリニウスはまた大蛇とゾウが闘争してお互いに驚くべき技をあらわす様を述べている(6)。両者は絶えず反目を続け、最後にはゾウは自分に巻きついた大蛇ごと倒れて大蛇を押しつぶす。またこんな話もしている。暑い夏の最中、大蛇は大変冷たいゾウの血を吸う。その戦いのなかで血を抜かれたゾウは、血に酔った大蛇とともに倒れて大蛇と一緒に死ぬ。
(1)古代及びギリシアにおける動物に関する著作二〇件ほど・・・略
(2)八1-34
(3)八41-58
(4)三二11
(5)三二11
(6)八90
(6)八32
動物によって発見された医薬
大蛇の、ゾウの血が冷たいというはっきりした知識は我々を似たような話に導く。動物が用いる薬やしばしば人間によって発見される薬は、動物が自分で使っているのを見たことによる。この考えは、後で見るように、中世を通じて維持されてきた。もちろんプリニウスの独創ではない。彼自身は言う「野獣によって用いられる治療薬すら、古人たちによって伝えられた。彼等は、毒を受けた動物が、他に頼らずに癒すすべを獲得することを示した」(1)。トリカブトに対してサソリは白ヘルボルスを解毒剤として食べる<中野訳は「これに触れると昏睡を免れる」>。だがヒョウは人間の排泄物を利用する(2)。動物は毒ヘビと戦うためにある草を食べる。イタチはヘンルーダを食べ、カメはそれ以外の二種類の植物を用いる。ヘビに噛まれた野ネズミはコンドリオン<キクヂシャのような葉をした植物>を食べる(3)。タカはヒエラシオン<タカグサ=コウリンタンポポ>を裂いてその汁で目を湿らせる(4)。ヘビは古い皮で覆われるとウイキョウを食べる(5)<中野訳=「ウイキョウの汁でこの運動の邪魔物を脱ぎすて」>。病気のクマはアリを食べて治す(6)<中野訳=「アリの卵を食べて」>。ツバメはケリドニア<「ツバメ草」の意、クサノオウ>あるいはツバメ草で雛の目を癒す(7)。また歴史家クサントスによれば、殺されたヘビがバリスという植物によって蘇った(8)。カバは放血の独創的な発見者である(9)。岸辺の鋭い葦に自分を押しつけて血管を傷つけ放血する。そのあと、傷に泥を塗りつけて手当てをしておく(10)。しかしプリニウスはある文節でこう言う。たしかにこの薬は、偶然によって発見されたものであること、今日でも、そのつどつど新しい発見であることは誰しも疑わないと。「というのは」と彼は続ける「野生動物は、結果をつぎつぎに伝えてゆくという分別も経験ももっていないのだから」(11)。
(1)二七6、一八3
(2)二七7、八100
(3)二〇51と61、二二37<以上は間違い>、二二91
(4)二〇60
(5)八99
(6)二九133
(7)二五89
(8)二五
(9)八96、二八121
(10)動物によって利用されるもっと多くの医薬については次を見よ。八41、二
九14・38、二五52-53、二八81
(11)二七7 「たしかにこの薬は、偶然によって発見されたものであること、今日
でも、そのつど新しい発見であることは誰しも疑わない。というのは、野生動物は、結果をつぎつぎに伝えてゆくという分別も経験ももっていないのだから」。多分プリニウスは遺産の獲得を否定したのであろう。
動物の嫉妬
他の箇所でプリニウスはイヌの意地悪を嘆ずる。イヌは人間が見ている所では、ヘビに咬まれたとき治療する植物を引き抜かない」<中野訳は「決して食べない」>(1)。多分プリニウスは二つの文節で異なった著作を使ったのだろう。アリストテレスの弟子のテオフラトスは、Jealous Animals について書いた。イヌの意地悪よりもましなのはヘビである。ドラコニティス<蛇石>という宝石はヘビの脳から得られるが、生きているヘビが眠っている間に取らなければならない。もしヘビが、自分の命が危ないことに気づくと、それは宝石にならない(2)。ゾウは人間が象牙だけを猟の目的としていることを知っているので、牙が落ちた場合それを埋める(3)。
(1)二五91
(2)三七158
(3)八7
動物の神秘な効能
動物は医薬の利用という点で、彼ら自身が他のものよりも貴重な価値をもっている。だから人間は彼等を捕まえる。たとえば、バシリスクのひと睨みは致命的である<中野訳にはない>。その息によって草を焼き岩を砕く(1)。しかしプリニウスが記述した動物や動物の部分の薬効は無限に近い。多くの動物の物が他と関係づけれれたので、われわれはほんの少ししか触れることができない。ハエの頭と血、ミツバチがその中で死んだ蜂蜜、cincre genitalis asini<ロバの生殖器のcincre? 不明>、卵の中のひよこ、多足虫を二一匹アッティカ蜂蜜につける(2)。この最後の喘息にたいする処方では、アシを通して吸う。というのは、それが触れる器はすべて黒変するから。他の箇所では、嬰児の目が黒いことを望むなら、妊婦はトガリネズミを食べなければならない(3)。これらの事例は、動物やその部分が魔術に用いられるということが、『博物誌』での他の事例と較べて、決して奇想天外でも吐き気を催させるようなものでもないことを確信させるに十分である。そしてまたこれらの治癒法は、ありそうにもないものとは見做されていた。たとえば治癒法には微妙な違いがあると考えられていた。同じ動物でも異なった部分で違い、また同じ部分でも僅かな用法の違いによっても効力の違いがある。カメの甲の一番上の部分を削って飲むと制淫剤になるが、甲全体を粉末にしたものは情欲を刺激するという。これはいよいよもって不思議なことだとプリニウスは言う(4)。だが愛は、ロマンスでと同じように魔術によってすぐ憎しみに変わる。他の著者のなかに見うけるように、ちょうど反対の作品へのわずかな挑発に、同じようなことが見られる。
(1)八33
(2)二九106、三〇30・58、二八46、二九11、三〇17
(3)三〇134
(4)三二34
薬草の効能
プリニウスは書いている。ブタの脂肪には特別の効力がある。「なぜなら豚は植物の根を食べるから」(1)。さて、動物の効力から薬草に移ろう(2)。断言する。プリニウスは至るところに驚くべき力を見出す。ローマ帝国の基礎を築き発展させた人々が用いた神聖な薬草はsagminaと verbenae<いずれもクマクヅラ>であり、使節団の派遣に用いられた。ガリア人もまたlot-castingや予言者の応答・感応にベルベナを用いた。プリニウスはまたもっと懐疑的に、ある種の草の根があり、それを占い師は霊感を装うために飲むという(4)。スキティア人は、口の中に含むと飢えと渇きを防ぐ植物を知っており、さらに他の植物はウマにも同じ効果があるという。だからかれらは一二日間も食料や飲料を絶つことができるという(5)。ウマに乗ったアジアの遊動民と、彼らのウマについての誇張された誇大評価なのだろう。ムサエウスとヘロドトスは、ポリウムという植物を体ニ塗ると評判と名誉を得るのに有用だと宣言した(6)。
プリニウスは多分そのような意見を全面的に承認するつもりはなかった。しかし彼はそれらの多くを疑問だとは言えなかった。彼は、何人かの著者が、ヘビや人間を死から蘇らせたり、木に打ち込んだ楔を押し出す植物の信じ難い力についてについて断言することに苦情を述べている(7)。だが彼は全体として多数の見解に同感を示しているように見える。そこには、現実的に薬草の効力が為し得ないものはないという見解である。ヘロフィロスは医薬についてこう述べている。ある種の薬草はそれを踏むだけで有効であると。プリニウス自身は一つの植物ではなくもっと他の植物について述べている。プリニウスは言う。野生イチジクの枝を雄ウシの首につけると、どんな凶暴な雄ウシでも動くことができないようになる(8)。同じように他の植物を家畜の首木に少しくくりつける(9)。またブプレスティスを食べるとウシを破裂させる(10)。contacto genitali <原文にも見当たらず>という植物は、いかなる雌の動物をも殺す(11)。カッコウソウは家々のお守りである(12)。プリニウスの近所の漁夫はある植物を石灰と混ぜて波に撒いた(12)。「魚はおそろしく貪欲に食いつき、たちどころに死んで水面に浮かぶ」。peristercos<クマツヅラ>を身につけている人には決してイヌは吠えつかない(14)。「不信心な植物」は、それを食べる人すべての人々を扁桃膿瘍から守ってくれる。同時にブタはそれを食べなければ病気が治癒する。鳥の巣のある場所は、食欲の盛んな雛絞め殺されることを防止する。苦いアーモンドは、他のものとのコンビでいろいろの効能をあらわす。これを五粒飲むと酩酊を防ぐ。しかしキツネが、近くに飲み水がないのにそれを食べると死ぬ(15)。また、それを見るだけで薬効のある草がある(16)。ある草は二種類ありそれを使うと、男児・女児いずれか望む方の子どもを生むことができる(17)
(1)二三135-136 ・ (9)二五72
(2)<参考文献>・・略 ・ (10)二二78
(3)二二3<見当たらず>、二五 ・ (11)二四94<見当たらず>
106、二七28<見当たらず> ・ (12)二五84
(4)二一182。<ラテン語の引用文 ・ (13)二五98
省略> ・ (14)二五126
(5)二五82-83 ・ (15)二三145
(6)二一44・145 ・ (16)二四94-95
(7)二五14 ・ (17)二五39、二七125
(8)二三130
薬草の採取
薬草の採取や根を掘ることは魔術の手順に伴うとても適切なものであった。われわれは『博物誌』のなかで豊富な事例を見ることができる。往々にして薬草は日の出前に採取される(1)。プリニウスは更に言う。シャクヤクは夜のうちに採らなければいけない、なぜならマルスの鳥であるキツツキが目を襲撃するからだという(2)。月の状態は観測されなければならない(3)。ある薬草は雷鳴が聞こえる前に採らなければならない(4)。通常、左手で採取するよう指示される(5)、そして左手の親指と薬指で摘み取る(6)。もう一つは、右手で摘み、それを盗んででもいるかのように、左の袖ぐりを通してトゥニカの下に押し込む(7)。しばしば人は薬草を採るのに東を向き、あるときは西を向く。あるいは風の方を向かないように注意する(8)。ときには採取者は後ろを振り向いてはならぬ。あるいは大地から植物を採る前には絶食をしなければいけない(9)。あるいはまた採る人は純潔が必要である(10)。あるいは、白衣をまとい、足を洗って裸足でいなければならない。また、衣類や指輪に至る迄すべての束縛を取り去らねばならない(11)。しばしば鉄の器具は禁止される。金やその他の金属は用いられる(12)。ときには釘で掘る(13)。また、剣の切っ先で植物の周りに円を描く(14)。しばしば、摘み取られた植物は二度と地面に触れてはいけない(15)。思うに、恐怖からそのような考えが電流のように流れたのであろう。プリニウスは少なくても三度(16)、薬草を持っている植物学者の行状について述べている。それは、もし彼等が全部支払ってもらわないと、薬草を同じ場所に再度植えるが、それによって患者の病気が再発するという。しばしば、人は誰のために薬草を採るのかその名を言わなければならない(17)。ある場合には、採掘者は「これはミネルヴァがブタに食べさせる薬になるように発見したアルゲモン<ダイコンソウ>という植物だ」と言わなければならない(18)。他の例では、人は採取し汁を搾る前に挨拶しなければならない。そうすれば効能は一層増
すから(19)。他の場合、掘り下げようとする人は、三か月前にその周りに蜂蜜を注ぐ。これは土地を喜ばすお神酒のようなものだ。また、引き抜いたときは土地への賠償としてその穴にいろいろな穀物をつめるのが敬虔な義務である(20)。ときどき薬草を採る許しを得るために神にパンとブドウ酒を捧げなければならない(21)。ドルイド人が薬草を採る時の習慣については一度ならず述べた(22)。神聖なヤドリギは、月の第六日に木の下で生贄の式と饗宴を行ないながら行なう(23)。
(1)二〇29、二四133、二五145 ・(14)二一40、二五50・148
(2)二五29、二七85 ・(15)二三137・138・163、二四12、
(3)二四12・78 ・ 二七89
(4)二五21 ・(16)二一144、二五174、二六24
(5)二〇126、二一78、二三103、 ・(17)二二38、二三103、二四133、
二四104、二五107、二六24 二七140
(6)二三110 ・(18)二四116
(7)二四103 ・(19)二五146
(8)二五50・148 ・(20)二一42、二五30
(9)二四104・181 ・ (21)二四103、二五51
(10)二一42 ・ (22)二四103-104
(11)二四103、二三110 ・ (23)一六250
(12)二三71、二四12・103・176 ・ (24)二四78、
(13)二六24
農業の魔術
薬草に関するプリニウスの記述の中に、農業における魔術使用の手順および農民の迷信について、多くの記述がある。そこから若干の事例を挙げて追加しよう。
穀物を病気から守るためには蒔く前に種をブドウ酒に浸す。ある種の薬草の汁、ウシの胆汁、人間の尿、モグラの肩にさわること(1)― そのようなマギの動物の使用法に対するプリニウスのあざけりを聞く。ある人は月の朔を見る。野に鍬を入れる前にカエルを一周させ、そして中央の穴に埋める。しかしそれは、穀物が苦くならないように蒔く前に掘り起こさなければならない。鳥はある植物を四隅に植えることによって追い払うことができる。だがプリニウスはその植物名を知らないという(2)。ネズミの侵入はイタチの灰で防ぐ。イモムシは、畑の杭の上に雄の動物の頭蓋をとりつけることによって絶滅させる(3)。果樹園やブドウ畑を霧や嵐から護るには、カエルを生きたまま埋めるか、あるいは生きたカニを木の間で焼く、あるいはブドウの絵を奉納する(4)。納屋に穀物を運びこむ前にヒキガエルを一匹くくって吊っておく(5)。オオカミを一匹捕まえてその脚を折り、からだに小刀を差し込み、畑の境界の周りに少しずつ血をたらし、体そのものは引きずって始めた場所に埋めておく(6)。また、ラレスの祭壇でその年最初にその畑の溝を切った犂頭を焼くと、その効果は続く。雛鳥が干したキツネの肝臓を食べたとか、オンドリがキツネの皮を一片首に巻くと、キツネは雛鳥に手を触れない。シダは、アシで刈るとか、犂の刃につけたアシで犂上げると二度と生えない(7)。農業での呪文の使用については後で述べよう。
(注1)一八157-160 ・ (注5)一八303
(注2)二五6を見よ。 ・ (注6)二八266
(注3)一九180 ・ (注7)一八45
(注4)一八294
石の薬効
プリニウスは、宝石類の薬効を、薬草や動物の部分のようには驚異的であるとは信じていないように思える。彼はマギやデモクリトス、ピュタゴラスによる宝石の効能についての言及を、「ひどい嘘」とか「言うも愚かなナンセンス」(1)と性格づけている。それのみならず、多くのそのような事例を用心深くあげながら「もし、それを信ずるならば」とか「もし彼等が本当のことを言っているなら」とくりかえす(2)。宝石が、オオヤマネコの尿からできるという考えに対し彼は言う。「私自身の意見では、こんな話は全部嘘で、そんな名を持った宝石には、現代においてお目にかかれないのだ。また同時に、その医薬的性質について述べられていることも嘘である」(3)。だが他の石についてその薬効について述べている。砕いて飲んだり、お守りとして持ったりする(4)。二三の他の神秘的なものについて保留なしに言及する。たとえば石綿はすべての呪いから守護してくれると(4)。アダマントは心から怠け心を追い出す、「シデリテス」は不和と訴訟を生み出す。そしてエウメケスは、夜枕の下に置くと幻覚を追い出す。そしてテオフラストスとムキアヌスは磁石には異性があり、子孫を作ると信じている(7)。
(1)三七54・192
(2)三七152-155
(3)三七53
(4)例えば三七50・51琥珀、37碧玉、39 setites<瑠璃?> 、150baroptenus
(5)三六31
(6)三七15、58、67
(7)三六128・39<記述はない>
それ以外の鉱物と金属
金属としての鉄はプリニウスの魔術の記述の中にときどき現れる。かれが植物を切ったり動物を殺したりすることを命令したり禁止したりするときにそうである。アルカディアでイチイは、その下で眠る人にとって決定的な毒である。しかし銅の釘をそこに打ち込むと無害になる(1)。プリニウスは言う、金は医薬としていろいろな用途があり、ことに傷ついた人に用いられ、子どもたちを魔法から防ぐ(2)。地面はそれ自身不思議なことが起きる。しかし普通は特別なある場所で起きる。たとえば荷馬車の轍の間、アリ、カブトムシ、モグラによって盛り上げられた地面など。あるいは、初めてカッコウの鳴き声を聴いた場所で、右足の跡の周りに線を引く。だが、あるものが地面に触れないならば大変多くの事柄において、薬草を掘り出すよりも有力である。そしてプリニウスは再度言う。大地は人間を刺したヘビを決して許さず再び穴に入れないようにする(5)。金属についてのこの論議の中でプリニウスは変換や錬金術をほのめかしてはいない。いろいろな労働者の詐欺的な行為の報告や、如何にしてカリグラが石黄から黄金を抽出したかということを除いては。しかし、以下に述べるアンチモンの準備のための説明は、古代の冶金の方法が魔術にいかに類似しているかを示している。アンチモンは雄ウシの糞をまぶして炉にいれて焼く。それから女性の乳で冷やし、そして雨水を加えて乳鉢で搗く(6)。ジュ
(1)一六51
(2)三三25
(3)三〇12,25
(4)二〇3、二八6、9 など
(5)二155、二九23
(6)三三103
(以下、本文訳省略・項目のみ)
人間の部分の薬効
人間の唾液の効能
人間の動作
調剤の欠如
共感的魔術
動物間の不一致
生命のあるものと生命のないもの間の共感
同類による療法
集団の原理
病気を変える魔術
お守り(魔除け)
場所と方向
時間の要素
数の遵守
手術者と患者との関係
呪文
媚薬と堕胎
プリニウスと占星術
天空の前兆
星と自然の世界
占星術的医薬
結語・・・プリニウスの迷信の魔術的統一
われわれは、プリニウスの農業・医薬・自然科学における主な魔術と基本的原理を用いて『博物誌』の内容を分析した。しかしながら、これは作為的で困難な仕事である。というのは、物事の儀式や美徳の問題を、共感と反感徒の関係でもって断定することになるからである。同じ表現が重要なポイントを例証するのに役立つだろう。たとえば以下のような文例である。「トラシュロスは、ヘビに対する解毒剤としてはカニに及ぶものはない、ブタはヘビに咬まれるとカニを食べて治す、太陽が蟹座にあるときヘビはひどく苦しむ」(三二・55)。われわれはここで直ちに、反感が動物の療法に用いられ、理由付け、連想と類似性による魔術の特徴、占星術に対する信念などを読み取ることができる。
(以上で、ソーンダイク『魔術と実験科学の歴史』の「序章(第一章)」と「第二章プリニウスの博物誌」の部分の抄訳を終える。)
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