静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

プリニウスの章(7)

2017-07-09 12:52:59 | 日記

  

  第五節 プリニウスの魔術的科学

 

  マギからプリニウスの魔術まで

 さてそれでは、『博物誌』にもっと多く書かれていることに戻ろう。そこではマギは引用せず、魔術師たちによる医薬と農業に従事する方法の効果を比較しよう。われわれは多くの著しい類似をみつけるだろう。そしてすぐ『博物誌』にはもっと多くの魔術があることに気づくだろう。それはマギに原因しないものである。プリニウスは、医薬が魔法によって腐敗していたとわれわれに警告する必要はなかった。彼自身の薬がそれを立証する。それはこういうことである。事実上、彼の全体の仕事には驚異的な性格と空想的な儀式が詰め込まれている。ところどころで、彼がマギから材料を得はじめたのはいつか、そこから離れたのはいつか、それを知るのは困難である。この題材に関する細部を比べることによって、プリニウスとの違いを捜してみよう。それは、彼らが行なった儀式と手順の仕方と、ある種の複雑に入り組んだ迷信的信念と観念との比較である。このようにして、ほとんど正確に、彼の科学のなかに魔術師たちの話と同じ要素が現れるという事実を見つけるだろう。

 

 動物の習慣

 おおざっぱに動物から始めよう(1)。そして、魔術の強く連想させる動物の効用に注目する前に、それ以外の非科学的で迷信的な特徴を見ておこう。それは両方とも古代や中世に極めて一般的なものだったのだから。これは動物が意識のある存在であり、習慣や策略、道徳的規範や宗教的尊敬心さえ持つものとして、人間と同化して見る傾向である。『博物誌』の多くの中から、他の著作者からのものも含めて、若干の例をあげてみてみよう。プリニウスはこのような品性を特にゾウに認める。彼はゾウは知性の面で人間に次ぐものとし、星を崇拝し、難しい業を習得し、正義感、慈悲の心などを持っているという(2)。ライオンは同様に高貴な勇気と謝意の感覚があるが、雌ライオンは自分の恋を仲間から隠そうとして策略をめぐらす(3)。網やヤナから逃げる魚のやりかたを、プリニウスは、今は失われたオウィデウスの『漁業について』から数多く引用している(4)。ワニは友人の鳥に自分の歯をつつかせるためにあごを開く。しかしときどきエジプトマングースが「投げ槍のようにその喉に飛び込んできてその胃腸を食い破る」(5)。プリニウスはまた大蛇とゾウが闘争してお互いに驚くべき技をあらわす様を述べている(6)。両者は絶えず反目を続け、最後にはゾウは自分に巻きついた大蛇ごと倒れて大蛇を押しつぶす。またこんな話もしている。暑い夏の最中、大蛇は大変冷たいゾウの血を吸う。その戦いのなかで血を抜かれたゾウは、血に酔った大蛇とともに倒れて大蛇と一緒に死ぬ。

 (1)古代及びギリシアにおける動物に関する著作二〇件ほど・・・略

 (2)八1-34

 (3)八41-58

 (4)三二11

 (5)三二11

 (6)八90

 (6)八32

 

 動物によって発見された医薬

 大蛇の、ゾウの血が冷たいというはっきりした知識は我々を似たような話に導く。動物が用いる薬やしばしば人間によって発見される薬は、動物が自分で使っているのを見たことによる。この考えは、後で見るように、中世を通じて維持されてきた。もちろんプリニウスの独創ではない。彼自身は言う「野獣によって用いられる治療薬すら、古人たちによって伝えられた。彼等は、毒を受けた動物が、他に頼らずに癒すすべを獲得することを示した」(1)。トリカブトに対してサソリは白ヘルボルスを解毒剤として食べる<中野訳は「これに触れると昏睡を免れる」>。だがヒョウは人間の排泄物を利用する(2)。動物は毒ヘビと戦うためにある草を食べる。イタチはヘンルーダを食べ、カメはそれ以外の二種類の植物を用いる。ヘビに噛まれた野ネズミはコンドリオン<キクヂシャのような葉をした植物>を食べる(3)。タカはヒエラシオン<タカグサ=コウリンタンポポ>を裂いてその汁で目を湿らせる(4)。ヘビは古い皮で覆われるとウイキョウを食べる(5)<中野訳=「ウイキョウの汁でこの運動の邪魔物を脱ぎすて」>。病気のクマはアリを食べて治す(6)<中野訳=「アリの卵を食べて」>。ツバメはケリドニア<「ツバメ草」の意、クサノオウ>あるいはツバメ草で雛の目を癒す(7)。また歴史家クサントスによれば、殺されたヘビがバリスという植物によって蘇った(8)。カバは放血の独創的な発見者である(9)。岸辺の鋭い葦に自分を押しつけて血管を傷つけ放血する。そのあと、傷に泥を塗りつけて手当てをしておく(10)。しかしプリニウスはある文節でこう言う。たしかにこの薬は、偶然によって発見されたものであること、今日でも、そのつどつど新しい発見であることは誰しも疑わないと。「というのは」と彼は続ける「野生動物は、結果をつぎつぎに伝えてゆくという分別も経験ももっていないのだから」(11)

 (1)二七6、一八3

 (2)二七7、八100

 (3)二〇51と61、二二37<以上は間違い>、二二91

  (4)二〇60

 (5)八99

 (6)二九133

 (7)二五89

 (8)二五

 (9)八96、二八121

 (10)動物によって利用されるもっと多くの医薬については次を見よ。八41、二

   九14・38、二五52-53、二八81

 (11)二七7 「たしかにこの薬は、偶然によって発見されたものであること、今日

  でも、そのつど新しい発見であることは誰しも疑わない。というのは、野生動物は、結果をつぎつぎに伝えてゆくという分別も経験ももっていないのだから」。多分プリニウスは遺産の獲得を否定したのであろう。

 

 動物の嫉妬

 他の箇所でプリニウスはイヌの意地悪を嘆ずる。イヌは人間が見ている所では、ヘビに咬まれたとき治療する植物を引き抜かない」<中野訳は「決して食べない」>(1)。多分プリニウスは二つの文節で異なった著作を使ったのだろう。アリストテレスの弟子のテオフラトスは、Jealous Animals について書いた。イヌの意地悪よりもましなのはヘビである。ドラコニティス<蛇石>という宝石はヘビの脳から得られるが、生きているヘビが眠っている間に取らなければならない。もしヘビが、自分の命が危ないことに気づくと、それは宝石にならない(2)。ゾウは人間が象牙だけを猟の目的としていることを知っているので、牙が落ちた場合それを埋める(3)

 (1)二五91

 (2)三七158

 (3)八7

 

 動物の神秘な効能

 動物は医薬の利用という点で、彼ら自身が他のものよりも貴重な価値をもっている。だから人間は彼等を捕まえる。たとえば、バシリスクのひと睨みは致命的である<中野訳にはない>。その息によって草を焼き岩を砕く(1)。しかしプリニウスが記述した動物や動物の部分の薬効は無限に近い。多くの動物の物が他と関係づけれれたので、われわれはほんの少ししか触れることができない。ハエの頭と血、ミツバチがその中で死んだ蜂蜜、cincre genitalis asini<ロバの生殖器のcincre? 不明>、卵の中のひよこ、多足虫を二一匹アッティカ蜂蜜につける(2)。この最後の喘息にたいする処方では、アシを通して吸う。というのは、それが触れる器はすべて黒変するから。他の箇所では、嬰児の目が黒いことを望むなら、妊婦はトガリネズミを食べなければならない(3)。これらの事例は、動物やその部分が魔術に用いられるということが、『博物誌』での他の事例と較べて、決して奇想天外でも吐き気を催させるようなものでもないことを確信させるに十分である。そしてまたこれらの治癒法は、ありそうにもないものとは見做されていた。たとえば治癒法には微妙な違いがあると考えられていた。同じ動物でも異なった部分で違い、また同じ部分でも僅かな用法の違いによっても効力の違いがある。カメの甲の一番上の部分を削って飲むと制淫剤になるが、甲全体を粉末にしたものは情欲を刺激するという。これはいよいよもって不思議なことだとプリニウスは言う(4)。だが愛は、ロマンスでと同じように魔術によってすぐ憎しみに変わる。他の著者のなかに見うけるように、ちょうど反対の作品へのわずかな挑発に、同じようなことが見られる。

  (1)八33

 (2)二九106、三〇3058、二八46、二九11、三〇17

 (3)三〇134

  (4)三二34

                                                                

 薬草の効能

 プリニウスは書いている。ブタの脂肪には特別の効力がある。「なぜなら豚は植物の根を食べるから」(1)。さて、動物の効力から薬草に移ろう(2)。断言する。プリニウスは至るところに驚くべき力を見出す。ローマ帝国の基礎を築き発展させた人々が用いた神聖な薬草はsagmina verbenae<いずれもクマクヅラ>であり、使節団の派遣に用いられた。ガリア人もまたlot-castingや予言者の応答・感応にベルベナを用いた。プリニウスはまたもっと懐疑的に、ある種の草の根があり、それを占い師は霊感を装うために飲むという(4)。スキティア人は、口の中に含むと飢えと渇きを防ぐ植物を知っており、さらに他の植物はウマにも同じ効果があるという。だからかれらは一二日間も食料や飲料を絶つことができるという(5)。ウマに乗ったアジアの遊動民と、彼らのウマについての誇張された誇大評価なのだろう。ムサエウスとヘロドトスは、ポリウムという植物を体ニ塗ると評判と名誉を得るのに有用だと宣言した(6)

 プリニウスは多分そのような意見を全面的に承認するつもりはなかった。しかし彼はそれらの多くを疑問だとは言えなかった。彼は、何人かの著者が、ヘビや人間を死から蘇らせたり、木に打ち込んだ楔を押し出す植物の信じ難い力についてについて断言することに苦情を述べている(7)。だが彼は全体として多数の見解に同感を示しているように見える。そこには、現実的に薬草の効力が為し得ないものはないという見解である。ヘロフィロスは医薬についてこう述べている。ある種の薬草はそれを踏むだけで有効であると。プリニウス自身は一つの植物ではなくもっと他の植物について述べている。プリニウスは言う。野生イチジクの枝を雄ウシの首につけると、どんな凶暴な雄ウシでも動くことができないようになる(8)。同じように他の植物を家畜の首木に少しくくりつける(9)。またブプレスティスを食べるとウシを破裂させる(10)contacto genitali <原文にも見当たらず>という植物は、いかなる雌の動物をも殺す(11)。カッコウソウは家々のお守りである(12)。プリニウスの近所の漁夫はある植物を石灰と混ぜて波に撒いた(12)。「魚はおそろしく貪欲に食いつき、たちどころに死んで水面に浮かぶ」。peristercos<クマツヅラ>を身につけている人には決してイヌは吠えつかない(14)。「不信心な植物」は、それを食べる人すべての人々を扁桃膿瘍から守ってくれる。同時にブタはそれを食べなければ病気が治癒する。鳥の巣のある場所は、食欲の盛んな雛絞め殺されることを防止する。苦いアーモンドは、他のものとのコンビでいろいろの効能をあらわす。これを五粒飲むと酩酊を防ぐ。しかしキツネが、近くに飲み水がないのにそれを食べると死ぬ(15)。また、それを見るだけで薬効のある草がある(16)。ある草は二種類ありそれを使うと、男児・女児いずれか望む方の子どもを生むことができる(17)

 (1)二三135-136                  ・ (9)二五72

 (2)<参考文献>・・略           ・ 10)二二78

 (3)二二3<見当たらず>、二五   ・ 11)二四94<見当たらず>

   106、二七28<見当たらず>       12)二五84

 (4)二一182。<ラテン語の引用文  ・ 13)二五98

   省略>                          14)二五126

 (5)二五82-83                    ・ 15)二三145

 (6)二一44145                   ・ 16)二四94-95

 (7)二五14                       ・ 17)二五39、二七125

 (8)二三130                                                           

                                                                            

 薬草の採取

 薬草の採取や根を掘ることは魔術の手順に伴うとても適切なものであった。われわれは『博物誌』のなかで豊富な事例を見ることができる。往々にして薬草は日の出前に採取される(1)。プリニウスは更に言う。シャクヤクは夜のうちに採らなければいけない、なぜならマルスの鳥であるキツツキが目を襲撃するからだという(2)。月の状態は観測されなければならない(3)。ある薬草は雷鳴が聞こえる前に採らなければならない(4)。通常、左手で採取するよう指示される(5)、そして左手の親指と薬指で摘み取る(6)。もう一つは、右手で摘み、それを盗んででもいるかのように、左の袖ぐりを通してトゥニカの下に押し込む(7)。しばしば人は薬草を採るのに東を向き、あるときは西を向く。あるいは風の方を向かないように注意する(8)。ときには採取者は後ろを振り向いてはならぬ。あるいは大地から植物を採る前には絶食をしなければいけない(9)。あるいはまた採る人は純潔が必要である(10)。あるいは、白衣をまとい、足を洗って裸足でいなければならない。また、衣類や指輪に至る迄すべての束縛を取り去らねばならない(11)。しばしば鉄の器具は禁止される。金やその他の金属は用いられる(12)。ときには釘で掘る(13)。また、剣の切っ先で植物の周りに円を描く(14)。しばしば、摘み取られた植物は二度と地面に触れてはいけない(15)。思うに、恐怖からそのような考えが電流のように流れたのであろう。プリニウスは少なくても三度(16)、薬草を持っている植物学者の行状について述べている。それは、もし彼等が全部支払ってもらわないと、薬草を同じ場所に再度植えるが、それによって患者の病気が再発するという。しばしば、人は誰のために薬草を採るのかその名を言わなければならない(17)。ある場合には、採掘者は「これはミネルヴァがブタに食べさせる薬になるように発見したアルゲモン<ダイコンソウ>という植物だ」と言わなければならない(18)。他の例では、人は採取し汁を搾る前に挨拶しなければならない。そうすれば効能は一層増

すから(19)。他の場合、掘り下げようとする人は、三か月前にその周りに蜂蜜を注ぐ。これは土地を喜ばすお神酒のようなものだ。また、引き抜いたときは土地への賠償としてその穴にいろいろな穀物をつめるのが敬虔な義務である(20)。ときどき薬草を採る許しを得るために神にパンとブドウ酒を捧げなければならない(21)。ドルイド人が薬草を採る時の習慣については一度ならず述べた(22)。神聖なヤドリギは、月の第六日に木の下で生贄の式と饗宴を行ないながら行なう(23)

 (1)二〇29、二四133、二五145    ・(14)二一40、二五50148

 (2)二五29、二七85              ・(15)二三137138163、二四12

 (3)二四1278                     二七89

  (4)二五21                        ・(16)二一144、二五174、二六24

  (5)二〇126、二一78、二三103、 ・(17)二二38、二三103、二四133

     二四104、二五107、二六24           二七140

 (6)二三110                       ・(18)二四116

  (7)二四103                       ・(19)二五146

  (8)二五50148                   ・(20)二一42、二五30

  (9)二四104181                  21)二四103、二五51

  10)二一42                        22)二四103-104

 (11)二四103、二三110             ・ 23)一六250

 (12)二三71、二四12103176      ・ 24)二四78

 (13)二六24                                                           

                                                                            

 農業の魔術

 薬草に関するプリニウスの記述の中に、農業における魔術使用の手順および農民の迷信について、多くの記述がある。そこから若干の事例を挙げて追加しよう。

穀物を病気から守るためには蒔く前に種をブドウ酒に浸す。ある種の薬草の汁、ウシの胆汁、人間の尿、モグラの肩にさわること(1)― そのようなマギの動物の使用法に対するプリニウスのあざけりを聞く。ある人は月の朔を見る。野に鍬を入れる前にカエルを一周させ、そして中央の穴に埋める。しかしそれは、穀物が苦くならないように蒔く前に掘り起こさなければならない。鳥はある植物を四隅に植えることによって追い払うことができる。だがプリニウスはその植物名を知らないという(2)。ネズミの侵入はイタチの灰で防ぐ。イモムシは、畑の杭の上に雄の動物の頭蓋をとりつけることによって絶滅させる(3)。果樹園やブドウ畑を霧や嵐から護るには、カエルを生きたまま埋めるか、あるいは生きたカニを木の間で焼く、あるいはブドウの絵を奉納する(4)。納屋に穀物を運びこむ前にヒキガエルを一匹くくって吊っておく(5)。オオカミを一匹捕まえてその脚を折り、からだに小刀を差し込み、畑の境界の周りに少しずつ血をたらし、体そのものは引きずって始めた場所に埋めておく(6)。また、ラレスの祭壇でその年最初にその畑の溝を切った犂頭を焼くと、その効果は続く。雛鳥が干したキツネの肝臓を食べたとか、オンドリがキツネの皮を一片首に巻くと、キツネは雛鳥に手を触れない。シダは、アシで刈るとか、犂の刃につけたアシで犂上げると二度と生えない(7)。農業での呪文の使用については後で述べよう。

 (注1)一八157-160                   (注5)一八303

 (注2)二五6を見よ。              ・ (注6)二八266

 (注3)一九180                     ・ (注7)一八45

 (注4)一八294                                                             

                                                                              

 石の薬効

 プリニウスは、宝石類の薬効を、薬草や動物の部分のようには驚異的であるとは信じていないように思える。彼はマギやデモクリトス、ピュタゴラスによる宝石の効能についての言及を、「ひどい嘘」とか「言うも愚かなナンセンス」(1)と性格づけている。それのみならず、多くのそのような事例を用心深くあげながら「もし、それを信ずるならば」とか「もし彼等が本当のことを言っているなら」とくりかえす(2)。宝石が、オオヤマネコの尿からできるという考えに対し彼は言う。「私自身の意見では、こんな話は全部嘘で、そんな名を持った宝石には、現代においてお目にかかれないのだ。また同時に、その医薬的性質について述べられていることも嘘である」(3)。だが他の石についてその薬効について述べている。砕いて飲んだり、お守りとして持ったりする(4)。二三の他の神秘的なものについて保留なしに言及する。たとえば石綿はすべての呪いから守護してくれると(4)。アダマントは心から怠け心を追い出す、「シデリテス」は不和と訴訟を生み出す。そしてエウメケスは、夜枕の下に置くと幻覚を追い出す。そしてテオフラストスとムキアヌスは磁石には異性があり、子孫を作ると信じている(7)                                                                               

 (1)三七54192

  (2)三七152-155                                                          

 (3)三七53

 (4)例えば三七5051琥珀、37碧玉、39 setites<瑠璃?> 150baroptenus

 (5)三六31

 (6)三七155867                                                

 (7)三六12839<記述はない>

 

 それ以外の鉱物と金属

 金属としての鉄はプリニウスの魔術の記述の中にときどき現れる。かれが植物を切ったり動物を殺したりすることを命令したり禁止したりするときにそうである。アルカディアでイチイは、その下で眠る人にとって決定的な毒である。しかし銅の釘をそこに打ち込むと無害になる(1)。プリニウスは言う、金は医薬としていろいろな用途があり、ことに傷ついた人に用いられ、子どもたちを魔法から防ぐ(2)。地面はそれ自身不思議なことが起きる。しかし普通は特別なある場所で起きる。たとえば荷馬車の轍の間、アリ、カブトムシ、モグラによって盛り上げられた地面など。あるいは、初めてカッコウの鳴き声を聴いた場所で、右足の跡の周りに線を引く。だが、あるものが地面に触れないならば大変多くの事柄において、薬草を掘り出すよりも有力である。そしてプリニウスは再度言う。大地は人間を刺したヘビを決して許さず再び穴に入れないようにする(5)。金属についてのこの論議の中でプリニウスは変換や錬金術をほのめかしてはいない。いろいろな労働者の詐欺的な行為の報告や、如何にしてカリグラが石黄から黄金を抽出したかということを除いては。しかし、以下に述べるアンチモンの準備のための説明は、古代の冶金の方法が魔術にいかに類似しているかを示している。アンチモンは雄ウシの糞をまぶして炉にいれて焼く。それから女性の乳で冷やし、そして雨水を加えて乳鉢で搗く(6)。ジュ

 (1)一六51

 (2)三三25

 (3)三〇1225

 (4)二〇3、二八6、9 など

  (5)二155、二九23                                                    

  (6)三三103

 

 (以下、本文訳省略・項目のみ)

 人間の部分の薬効

 人間の唾液の効能

 人間の動作

 調剤の欠如

 共感的魔術

 動物間の不一致

 生命のあるものと生命のないもの間の共感

 同類による療法

 集団の原理

 病気を変える魔術

 お守り(魔除け)

 場所と方向

 時間の要素

 数の遵守

 手術者と患者との関係

 呪文

 媚薬と堕胎

 プリニウスと占星術

 天空の前兆

 星と自然の世界

 占星術的医薬

 

 結語・・・プリニウスの迷信の魔術的統一

 われわれは、プリニウスの農業・医薬・自然科学における主な魔術と基本的原理を用いて『博物誌』の内容を分析した。しかしながら、これは作為的で困難な仕事である。というのは、物事の儀式や美徳の問題を、共感と反感徒の関係でもって断定することになるからである。同じ表現が重要なポイントを例証するのに役立つだろう。たとえば以下のような文例である。「トラシュロスは、ヘビに対する解毒剤としてはカニに及ぶものはない、ブタはヘビに咬まれるとカニを食べて治す、太陽が蟹座にあるときヘビはひどく苦しむ」(三二・55)。われわれはここで直ちに、反感が動物の療法に用いられ、理由付け、連想と類似性による魔術の特徴、占星術に対する信念などを読み取ることができる。

 

 (以上で、ソーンダイク『魔術と実験科学の歴史』の「序章(第一章)」と「第二章プリニウスの博物誌」の部分の抄訳を終える。)     


プリニウスの章(6)

2017-07-06 15:27:03 | 日記

          ソーンダイク『魔術と実験科学の歴史』の抄訳             

                                  第四節 マギの科学

 

 自然の解説者としての魔術師たち

  ではこれからプリニウスの魔術についての描写について、彼が特に(明白に)定義を(明確に)したもの、また非難したものだけでなく、自身の主張を反映したものや、文献からの数多くの明確な引用、ことによるとその実践に含まれる意図をも考察しよう。ここでの概観は、どちらかといえばむしろ厳密に、プリニウスが明確にマギまたは魔術の名のせいにした叙述についてだけに限定しよう。もっともはっきりした事実は、魔術師はくり返しくり返し想像上の物質、効能、自然にあるものの効果―薬草、動物、石―を考察する。それらの価値は、本当のことだが、しばしば驚くべき結果を生み出す効果がある。そしてしばしばあまりにも空想的な儀式か、人間を起因とする奇妙な式典的パフォーマンスと結びついている。しかし多くの場合、儀式は全くないことが示唆され、また単に簡単な応用があるだけである。また、少ない例ではあるが、どんな特別な作用や結果も挙げられていない。魔術師は単に偉大とされるだけで、自然の事柄の効用は明記されていない。実際、プリニウスの記述では、たんに魔術師、魔法使い、奇跡を行なう人としてだけでなく―プリニウスの意見ではあまりに現実離れし、あまりに奇妙なのであるが―さらに薬剤や自然の細かいことにまで及んだ。ときどき、彼らの報告は、非難や、いろいろな議論を加たりするような補足はしないで引用された(1)。ときどき彼らは、制限はあるけれど彼の唯一の情報源である(2)。

 (1)二〇74<マギ僧たちはつけ加えて言う>、二一66<マギ僧たちは、この植物でつくった花輪をかけ>、二一166<マギ僧たちはアネモネに一種神秘的な力があると>

二二50<マギ僧たちは、木の葉は誰のためにそれを摘むかを告げながら>、二二61<マギ僧たちは、おこりの患者が四日熱であったら四本>。

(2)二一62<マギ僧たちやパルティアの王たちはこの植物を誓いを立てる際に用いる、と>、二四156<この両者(ピュタゴラスとデモクリトス)はマギ僧を権威者としてそれに従ったのだ>。

 

 マギ僧と薬草

 プリニウスは植物の起源をかなり魔術と密接に結びつけている。メデイア、キルケを植物についての初期の研究者として、そしてオルペウスをこの問題の最初の著者として扱っている(1)。さらにピュタゴラスとデモクリトスは、東洋のマギから、植物の性質に関する仕事を模倣した(2)。魔術師の意見に対してプリニウスが見解を加えた薬草の名前を反復することは、ほとんど意味がないだろう。これらの植物は、今日ではほんのわずかしか知られていないのだ(3)。彼らが使った薬草にプリニウスに異議がないと言えるだろう。また、彼はマギの用法を非難しているわけでもないが、現代の読者にはひどく迷信的に思える。ある花輪は薬草で作られる(4)。またある草は用途を告げながら左手で、またある場合は後ろを見ないで採取する(5)。アネモネは、その年に最初に現れたとき、何のために 使うかを告げながら摘まなければならない。そしてそれは赤い布に包み日陰に置かなければならない。そして、三日熱や四日熱にかかった場合は患者の体にくくりつけておかなければならない。ヘリオトロープは全く摘まれることはないが、患者が治るまで体にくくりつけておく。

(1)二五10-12

(2)二四156-160                                                  

(3)二〇74キコリウム(キクチシャ)、二一62ニュクテグレント、二一66ヘリオキュトス、二一166アネモネ。

(4)二一66<ヘリオクリュソスで花輪を作る>。                                                               

(5)二一176<三日熱にはふり返ったりしないで、二二50誰のためにそれを噛むかを告げながら左手で>。                                                  

 

草の驚くべき効能

 プリニウスはマギが草の用途を獲得したと考える驚異的な成果に対して、第二四巻の終りまで反対はしない。しかしすでに二〇巻および二一巻で、そのような薬草の力は人に喜ばれ評判がいいこと(1)、あるいは人に喜びと栄光を与えることが要求されていた(2)。二四巻の終りの方で(3)彼は、ピュタゴラスとデモクリトスがマギに従い、水を凍らせたり、 魂を呼び出したりする驚異的な用途を持つ草について述べているとして引用している。幽霊によって彼らを怯えさせることによって罪を懺悔させ、そして易による贈り物を知らせよ。<この最後の文節は『博物誌』にないし、なぜこんな文章があるのかわからない>。『博物誌』二五巻の最初の方(4)でプリニウスは、マギとその弟子たちによると、信じ難いほど効果のある薬草があることを示唆している。また後の方では、クマクズラについて、それでこすってもらうと望みがかなえられ、熱病を追い出し、あらゆる病気を治し、友達を得ることができると言っていると述べている。薬草は、太陽も月もないときはシリウスが昇ときに採らなければならない。蜂蜜とミツバチの巣は大地をなだめるために捧げられなければならない。植物は左手で鉄によって掘なければならず、高いところに上げなければならない。やがて二六巻にきて、プリニウスの勇気は高まり、それはついに彼を静かな長広舌に導くに充分であり、「マギの欺瞞は薬草にたいする信頼を完全に覆すほどである」(5)と言わしめた。たとえば彼は、川や池を涸す草、触れると閉ざされているドアが開く草、投げると敵軍が逃げる草、ペルシア王の使者のあらゆる望みを叶える草などを例としてあげている。かれは、なぜそのような薬草がローマでの戦争やイタリアでの排水に用いなかったのかと問う。従って、マギの薬草に対するプリニウスの議論は、それらに対する強力な反論であった。かれはつけ加えて言う。薬草に対する軽信性は、始めは健全なものであったのに、このような地点に到達してしまった。もし人間分別が何ごとについても節度というものを心得ておるならば、なんと奇妙なことだ。そしてまた、もしアスクレピアデスの医薬の最新の体系がマギを超えられないというならば、なんと不思議なことだ。ここで再びわれわれは、プリニウスが、魔術が原始社会の産物であると見ることに失敗し、比較的最近に発達した科学ではなくて、古代科学からの堕落だとみなしていることに気づく。しかし彼が、多くの特定のこじつけ的な処方箋や儀式は、過剰に学究的な魔術師たちの、最近の、人工的産物であると考えたのは多分正しいだろう。このようにして彼は、当代の文法学者アピオンが、キノケパリアという薬草が占いに用いられ、解毒剤であるが、それを完全に根こそぎにする人を殺すと主張するの

は間違いで、魔術的なものであると烙印を押している。                                                                                                                                                                                                                                  

(1)  二〇78 <ますます評判が良くなり・・・>。                                            

(2)二一66 <人生の人気と栄光が得られると>

(3)二四156<水が凝結>、二四160<神々を呼び出す>。

(4)二五106

 (5)二六18

                                                            

 動物と動物の部分

 幾つかの場合、前に引用したことだが、プリニウスは、動物または動物の部分に関してマギが、どんな他の動物よりもモグラを賞賛することに不満を述べた(1)。しかしプリニ ウスは、マギたちが地上のあらゆる動物のなかで、人間に対する魔術の効果に関して、ハイエナを最も賞賛していたとすでに確信していたので、かれの主張は矛盾している(2) 。ライオンの油、とくに眉と眉の間の油でこすられると、人々や国王の人気を得ると彼らは言うが、そんなところに油などないのだと、プリニウスは批判する(3)。また彼は、ダ ニのような不潔な動物の重要性を強調するといってマギを咎めている(4)。ダニは排泄口がないので、断食すれば七日間だけしか生きられない(5)。この七という数字に何か星占 いの意味があるのかどうか、プリニウスは言っていない。だが彼は、コオロギは後ろ向きに歩くのでマギはそれを利用すると書いている(6)。ドルイドとマギは、しゆっと奇妙な音をたてる、一種の卵か泡のようなものを使う(7)。またバシリスクの血はまれなこととされる。明らかに、なんらか通常でない動物、黒いヒツジのようなものはマギたちに好まれた(8)。だが、プリニウスがそれらを選んだ理論的理由はいつも明確であるとは言えな い。プリニウスが挙げていない幾つかの例では(9)、子ウシかヒツジの脾臓が人間の脾臓の治療に用いられるというよう

な、明らかに共感呪術的な治療法が用いられている。                                                                                                                                                           (1)三〇19

(2)二八92-106 

(3)二八89

(4)三〇82                                                           

(5)三〇82                             

(6)二九138

 (7)二九52

  (8)三〇16

 (9)二八201、三〇68

 

  他の事例                               

 しかし魔術師たちはヤギ、イヌ、ネコのように身近で容易に入手できる動物を軽視しているわけではない。ネコの肝臓や糞、子イヌの脳、イヌの血や生殖器、黒の雄イヌの胆汁などは他の動物のものと並んで用いられた(1)。そのような種類の物質は他の動物からも同じように求められた(2)。フクロウの指先、イチジクに入れたネズミの肝臓、生きたモグラの歯、若いツバメの砂嚢からとれた小石、川カニの目といったようなほんの小さい動物の部分でさえも魔術師たちは用いた(3)。ときどき動物の一部を灰にして用いる。多分犠牲式の名残だろう。たとえば、マギたちは歯痛にはその歯に近いほうの耳に発狂したイヌの頭の灰とキプロス油を注入する。同じく、筋肉の疾患にはフクロウの頭の灰をユリの根といっしょにハチ蜜ブドウ酒に入れて処方する(4)。マギたちが用いているその他の動物としてプリニウスが挙げているのは、サンショウウオ、ミミズ、コウモリ、そり返った角をもつコガネムシ、トカゲ、カメ、ナンキンムシ、カエル、ウニである(5)。ニシキヘビの尾をカモシカの皮で包みシカの腱で縛っておくとてんかに効く(6)。またニシキヘビの舌、目、胆汁、腸を油で煮詰め、夜の冷気で冷やし、朝夕塗り薬として用いると夜の恐怖から救われるという(7

 (1)ヤギの使用、二八201226259-269;ネコの使用、二八228; 子イヌの使用、二九117; イヌの使用、三〇82f

 (2)二八212f228f246f、二九81f

 (3)二八228f、二九59、三〇20、三〇91、三二114

 (4)三〇21,三〇110、二八214fも見よ。

(5)二九74f、三〇535999141、三二39f48f72

 (6)三〇91

 (7)三〇84

 

 動物と動物の部分による魔術の儀式

 しばしば動物の部分を患者の身体に縛りつけたり、またあるときには、ただたんに負傷した個所にそれを押しつけたりする。あるいはまた動物の部分で家全体を燻蒸したり、それを壁に振りかけたり、敷居の下に埋めたりする(1) 。動物や動物の部分を用いた魔術のしきたりには、もっと念の入ったものがいくつもある。ハイエナは、七つの結び目のある帯を締め、七つの節のある鞭を使う猟師によって容易に捕獲される。また月が双子座を通過しているときに、一本の毛も失うことなく捕えるのがいいという(2) 。マギの占星術によって用いられたもののひとつにネコがある。月が欠けつつあるときに殺したネコの肝臓を、塩漬けにしてブドウ酒に入れて飲むと四日熱に効くという(3) 。失禁の治癒にはイノシシの性器を焼いた灰を甘口ブドウ酒に入れて飲むだけでなく、その後でイヌ小屋で排尿し、「自分はイヌのように自分の小屋に小便をしないように」というきまり文句を繰り返す(4)。水腫の患者には、性によって、雌ウシあるいは雄ウシの糞のいずれかを焼いて蜂蜜酒に入れたものを用いなければならないと、魔術師たちは主張する(5) 。幼児の病気には雌ヤギの脳を金の指輪にくぐらせ、乳を与える前にその口の中に垂らしてやる(6) 。「脾臓を治すためだ」と言いながら患者にヒツジの新鮮な脾臓をあてがった後、その脾臓を寝室の壁に塗り、呪文を二七回繰り返すあいだ指輪でかきむしる(7) 。座骨神経痛には、土虫を、割れた木の皿を鉄片で修理したものに入れて、水を注ぐ。地虫は、掘り起こした場所に再び埋め、水は患者が飲む(8) 。川カニの目は、日の出前に患者の身につけ、目を抜かれたカニは水の中に放してやる(9) 。コウモリをもって家の周りを三度まわり、窓の外に釘でぶらさげておくと護符になる(10)。てんかんには火葬の薪の火で焼いたヤギの肉を食べさせる。また大地に触れた動物の胆嚢は与えてはいけない(11)

 

 (1)三〇84

 (2)二八93f

 (3)二八229、二九53

 (4)二八215

 (5)二八232

 (6)二八259

 (7)三〇51

 (8)三〇54

 (9)三二115

 (10)二九83

 (11)二八226

 

 動物の部分で作られた驚くべきもの

 プリニウスは時たま、動物の部分の効能についてのマギたちからの引用が、一般的には嘘あるいは無意味、または「信じられない」ものであると説明している。だが彼は、彼らの手順を明確に批判しないで、むしろ彼らの植物の使用方法を批判する。そして、彼らの約束に基づく結果を、先ほどのようには批判しない。実際、前に述べたように物は多くの場合純粋に薬である。他のものの目的は、ヤギがさ迷うのを防いだり、ブタをついてこさせるというような、牧歌的あるいは農業的なものである(1)。だがバシリスクの血は、 権力者に対する請願も、神々への祈願さえも叶えられる。そしてそれは毒や魔術に対する護符になる(veneficiorum amuleta)(2)。大蛇の頭と尾、ライオンの前髪、ライオンの骨 髄、勝った馬の泡、シカの皮で包みシカとカモシカの腱を交互につけておいた犬の爪を身につける者は無敵を約束される(3)。ミミズクの心臓を眠っている女性の右の胸に載せると、彼女は自分の秘密を明かすとか、まだ鼓動しているモグラの心臓を食べると占いの能力を得るとかいう(4)

(1)二八197、二九70                                              

(2)二九66

 (3)二九68

 (4)二九81、三〇70

 

その他の魔術

(若干の石における医術や、その他のマギの魔術の処方などが並べられているが、それらは省略する。

 

マギの宣言の要約

これらがいじょうが『博物誌』のなかの魔術に関する記述である。魔術の素材、儀式、作り出す効果、自然に対するその一般的な態度である。用いられた事前の素材、驚異の結果以外に、われわれは、縛ること、吊るすこと、お守り、ある時の保持の状態の観察、薬草を採り縛るときの左手か右手かnきまりについてしばしば注目した。―別の表現を使えば、そのものの位置や間隔、ある種の生贄や燻蒸、ある種の呪文の使用や感応的な魔術の事例、「毒をもって毒素制する」という理論や他の魔術的論理などである。