静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

雪よ再び

2014-02-23 17:54:16 | 日記

今日のメモ

「今後とも憲法を遵守する立場に立って、必要な助言を得ながら事に当たっていくことが大切だと考えております」(2月23日、誕生日での皇太子の発言)

  (注;「憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」。安倍首相は裁判所行きだな)

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 2014年2月8日、雪積る、わが家の庭では42センチ。今日は23日、まだ残っている。4年前の今日、このブログに「雪よ」と題した小文を投稿した。本日は、この小文の一部を抜き出し、そこに1963(昭和38)年、北陸の三八豪雪といわれた年の小生の日記の一部を加えて投稿する。題して「雪よ再び」。

 ○ 2週間以上も雪が降り続いている。果てしなく降り続く。地球が変わってしまったみたいだ。濃い厚い雲に覆われたままの地球、永久に続く雪の空、生まれてから死ぬまでも続く雪の空。人はその中で生まれ、その中で死ぬ。それが人生であったとしたら・・・それが人生そのものであるかもしれない。雪は山を蔽い、野を埋め、街を包んでしまった。狭い道路では、人は庇の横を歩く。窓は雪にふさがれ、穴倉のなかで電灯をともす。乾いたパサパサした雪、昨日はまだ穏やかな降り方だった。先日の雪は、積った雪を風が空中高く舞い上げ、道行く人や建物や木々に吹きつけた。

 長距離列車は3日も動かない。私鉄、バス路線は完全に機能停止。芦原街道では車が数百台も雪の中に取り残された。人々は何週間も土を見ることができない。白い雪の下で、北陸の人たちは生きている。まだまだ生きていかなければならない。                                                    (1月26日)

○ まだ降り続いている。昨夜はとうとう電気が止まった。今日昼頃やっと点く。チェホフの『シベリアの旅』『サハリン島』を読み始める。雪の下に埋もれて、シベリアの人たちのように、退屈し、人間らしさをなくしてゆくのか? 人間らしさとは? 人生にたいする何の目的もなく、希望もなく、ただ、ぼんやりと歳月を過ごすのでは人間らしい生活とはいえない。芸術も、文学も、学問も、そこにうち込む情熱がないとき、それは生きた芸術・文学・学問とはいえまい。(向こうの部屋で)酒井さんがピアノの練習をしている。不思議なピアノだ。極めてゆっくり・・あのピアノは、消えてゆく蝋燭の炎みたいなものだろうか?(1月27日)

○ 道路に積れた雪は、一階の屋根の上に達し、城砦のように聳えている。パワーシャベルの除雪の音が夜中まで聞こえてくる。足羽川の河原も薄黒い雪で埋めつくさんばかり。                                     (2月11日)

○    近頃は夜になると小雪が降って、昼には晴れるという日が続いている。夕方から朝まで、そう、ちょうど出勤する頃まで降る。チラチラと軽そうに。夕方には、降った分が消えて、次の朝また1センチか2センチほど積るのだ。                                        (2月19日)

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 積雪量は、戦前、戦後、そして今日へと減ってきているという。でも、ときとして大雪になる。山里で5メートルも積とか。3メートルくらいなら見たことがある。
 街にも雪は降る。朝も、昼も、夜にも降る。屋根から下ろした道路に雪は積み上げられる。一階の軒先くらいまでは珍しくない。やっと一人が通れるくらいの細い雪道を背をこごめながら辿る。
 向こうから人が来る。「こんにちわ」「よう降るのう」「気をつけて行きや」「おおきに、あんたも」。雪の激しいときは、目の前に人が来るまで分からない。
 なんの音もしない。車の音も、鉄橋を渡る貨車の音も、汽笛の声も。ときたま鳥が鋭い鳴き声を残しながら飛び去る。その声もたちまち雪の中に消えてゆく。
 人はすべて雪の下である。

 日本の都市は城下町から発達したものが多い。積雪地帯の城下町には積った雪を流すため街中に水路を廻らすことがあった。城下町は封建領主の権力による都市計画で造られた。計画は一種の調和をもたらし、今日でも情緒と風情を保っている旧城下町も少なくない。
 戦国の殺伐とした時代でも、積雪の候では戦をしない、できない。戦士たちは冬のあいだは囲炉裏のまわりで家族と平和を楽しむ。

 雪よ降れ、雪よ積れ
 アフガンの地に、パレスチナに、イランに 雪よ降れ、雪よ積れ
 世界に雪よ降れ、世界中に雪よ積れ、五メートルも六メートルも

 大雪の朝、新雪の中を漕ぐようにして学校へ、昼近くにようやく到着。呆れ顔の教師が「弁当を食べたらすぐ帰りなさい」という。それから何日間も学校は休みになった。
 3月10日はF高校の卒業式だ。体育館に幔幕が張られ、壇上に大きな花が飾られる。ブラスバンドの伴奏による校歌の合唱で式は始まった。
 青空だ、校庭の雪はあらかた消えたが、片隅にまだ白い塊が残っている。その下から若草が萌え出ようとしている。校庭の先に田んぼが続き、そのずっと向こうに厚い雪を戴いた白山連峰、校歌に歌われているその山並が光を浴びている。                    (2010・2・23 「雪よ」から)


靖国の「英霊」はどこへ行く

2014-02-04 17:38:21 | 日記

(一)

  誰でも最後の日(死んだ日)以後は、最初の日(生まれた日)以前と同じ状態にある。肉体も精神も感覚をもたないことは生まれる前と同じなのだ・・・ところが、人間の空しい望みが、自己を将来へも延長し、死後も続く生命をでっち上げる。時には霊に不滅性を与え・・・時には地下の人々に感覚を与え、霊魂を崇拝し、人間であることさえ止めた人を神にしたりする。・・・魂そのものの実態は何であろうか。その質料は何か。その思考はどこに宿っているのか。・・・彼らはどうやって感覚を得、どのように用いるのか。・・・無数の時代の魂や幽霊はどんなにおびただしい数にのぼることだろう。・・・これらは子どもくさいばかげた空想で、永世を貪り求める人間の考えに過ぎない。

 上記は、二千年ほど前に書かれた書物の一節である。もう一つ、マルクス・アウレリウスの言葉の一節も載せよう。

死は誕生と同様に自然の神秘である。同じ元素の結合、その元素への[分解]であって、恥ずべきものでは全然ない(『自省録』神谷訳)。

 これらは、古典古代における思想の一つの流れである。

(二)

 たまたま作家・高橋源一郎氏の「戦争の傷痕 すべて解決済みなのか」、映画監督で作家・森 達也氏の「われわれは加害者の末裔である」を読んだ(『朝日』1/30)少しし感想がうまれた。

「靖国で合おう」が日本将兵たちの合言葉だったのかどうか知らないが、靖国神社参拝に賛成する人も反対する人も、人間の霊魂が祀られていることを前提に論じている。霊魂の存在を認めない考えの人にとってはお笑いだろう。

 高橋氏の父親は「下の兄さんの霊が、靖国になんかおるもんか、あんだけフランスが好きだったんや、いるとしたらパリやな」と言っていたそうだ。霊がいるとは言っていない、「いるとしたら」である。そこには、霊など存在しないというのが根底にある。安倍首相はこの世に霊魂が存在していると信じているのだろうか。新聞記者も代議士も、誰もそういう質問はしない。質問としては幼稚すぎると先験的に考える、いや、感じているのだろう。それは暗黙の合意なのか。何十万という霊は靖国神社ののどこにいるのか、社殿の中か、敷地の中か、神社の上空か地下か・・・子どもじみた質問かも知れないが、古代人はそういう素朴な質問を積み上げながら、霊魂の存在を否定していくのだ。21世紀の今日になっても、霊魂の存在を前提としながら政治論争をしていることは、甚だ滑稽なことではないか。

 池澤夏樹氏は、小説の主人公頼子に「かつてプリニウスの身体を構成していた炭素と酸素と水素はもう地球全体に散って、大気の中を漂ったり、深海を泳ぐ魚の一部になったり、北方のシラカバの幹に取り込まれたり、赤鉄鉱の中で鉄の分子と結んだりしている」(『真昼のプリニウス』)と言わせた。ガダルカナルや、パプアニューギニア、セブ島やその他のアジア・太平洋地域で命を落とした日本兵たちの身体を構成していた分子も、プリニウスと同じように赤鉄鉱の分子と結んだりしているのだ・・・。

夏沢氏の作品では、プリニウスの霊魂の存否については触れられていない。月の世界にでも飛んでいったのだろうか。

 古来、死後の人間の住処は、大体が地下か天上か、あるいはこの地上をさまよっているかである。中国の古来の伝承では、閻魔大王の差配する地下である。キリスト教では天国に行くらしい、羨ましい。日本では仏になるのだが、運が悪いと成仏しないで地上をさまよう。靖国に祀られた人々は幸運というべきだろうか。そして靖国に祀られた人たちの多くは故郷で仏壇に祭られる。二重国籍みたいなものだ。

 (三)

 森達也氏は、戦争責任をA級戦犯だけに押し付けるべきではない、責任は天皇と当時の国民すべてにある・・・だからA級戦犯も同じように祀ることによって自分たちの加害性を直視する、それによって戦争のメカニズムが見えてくるのだという。 そして、森氏は言う。「我々は加害者の末裔である」と。確かに、安倍晋三氏は岸信介という立派な加害者の末裔である。現天皇には加害者の末裔という意識があるようにみうけられるが、安倍氏には爪の垢ほどもない。逆に、再び加害者の立場の指導者になることを夢見ているように思える。 森氏は「歴史上ほとんどの戦争は、自衛への熱狂から始まっている」という。戦争の歴史を勉強もしたことがないので、世界史のことはわからない。だが、日本はどうか。古代の対外戦争のことはよく判らないが、鎌倉時代の「元寇」は確かに自衛のための戦いだったのだろう。はっきりしているのは秀吉の「朝鮮征伐」、そのあと明治以降の主なものは、日清・日露戦争、第一次大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争。いずれも「自衛への熱狂からはじまっている」とは思えない。むしろ、富の収奪への熱狂で始まった。あるいは侵略それ自体への熱狂から始まった。筆者は少年時代を戦争の中で送ったからよく知っている。「満蒙はわが国の生命線」とされた。清国・中華民国は劣等民族の国だから日本が統治してやる。アメリカに勝てば、日本人はみんな金持ちになる。インドで世界を二つに分け、西はドイツが、東は日本が支配しよう・・・。実際「朝鮮」や「満州」や「上海」で「いい思い」をした日本人の話は山ほど聞いている。だから「自衛への熱狂」など、見たことも聞いたこともない。「侵略への熱狂」なら毎日でも見たり聞いたりした。

 森達也氏は、安倍晋三氏が、自衛とか平和を唱えながら戦争に国民を駆り立てようとしていると強調したいのだろうし、それはわかる。しかし過去の戦争の評価はそれでいいのか。 安倍氏の「熱狂」は自衛への熱狂などではない。先日もテレビで「専門家」が日本・韓国・中国の戦力の比較をしていた。中国が急速に軍事力を強化しているが、それでもまだまだ日本がずっと優勢だと。量ではなく質だと。憲法で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるが、そんなものはお飾りにもなっていない。さらに日本には強力な米軍の後ろ盾がある。米日の軍隊が共同行動をとれば、中国などものの数ではない。沖縄の軍事基地は絶対に離せない。森達也氏は、安倍政権誕生以降、自衛の概念が肥大している、ならばこの国はまた同じ過ちを犯す、積極的な平和主義を唱えながらと結ぶ。だが、「また同じ過ち」とすればそれは「侵略戦争」への過ちである。「平和」というのは国民への欺瞞であり、アジア太平洋戦争は「東洋平和のため」というスローガンを掲げて国民を瞞着した。われわれは「騙されるのも罪」という言葉を肝に銘じなければならない。そして、次の戦争の主導者にとって靖国神社は絶対に必要なのだということも。「英霊」は存在しなければならないのである。その英霊の主体がキリスト教徒であろうと仏教徒であろうと無神論者であろうとどうでもいいことなのである。パリが好きだろうと上海が好きだろうとどうでもいいのである。みんな「英霊」なのだから。その「英霊」も次のようなものであろう。マルクス・アウレリウスは言った。「死は誕生と同様に自然の神秘である。同じ元素の結合、その元素への分解である」。すべての「英霊」も、元の元素へ分解しているのだ。