静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

日本ハ法治国家デアル

2015-07-19 21:58:28 | 日記

(1)60年安保のあの日

 1960年6月18日の土曜だったと思う。沢山の人たちと一緒に上野行きの夜行列車に乗った。プラットホームには大勢の見送り人。戦争中の出征兵士みたいだ。翌19日の早朝、上野駅到着。その後どこでどうしていたか覚えていない。日比谷のどこかの広場に座リ、シュプレッヒコールを繰り返していたように思う。やがて、10万を超えていたと思われる参加者がゆっくり動き出す。デモは日比谷から渋谷へ。岸信介首相の邸宅が渋谷にあった。左右に腕を広げて手を握り、道路いっぱいに行進する。「フランス式デモ」といわれた。響く声は「アンポ反対!」 市電もバスも動かない。窓から手を振ってくれる。デモが終わって、八重洲口近くの飯屋で夕食をとり、上野に出て、また夜行に乗った。

  上記のように、曖昧な記事になった。実は、6月17日から9月はじめまで日記をつけなかった。なぜか、わからない。上の記述は思い出して書いたものである。6月15日と16日の分はある。拙い文だがその一部を、自分の記憶のためにも転記しておく。

 6月15日

 「安保問題もいよいよ大詰めにきた。今日の統一行動で、全学連の学生が国会構内に入って警官隊のこん棒に追い立てられ、一人の女子学生が死亡した。すっかり重い気分だ。やりきれない、どうにもならない気持ちだ。どうにもならない憤懣。暗い淵を覗いたようなときのような気持ちだ。戦争の末期、絶望的な重苦しさに悩まされていたあの頃を思い出す。

 それでも今は、われわれは行動ができる。それが拠りどころであり、絶望へ墜落しようとするのを支えている。毎日忙しい。今朝は駅前でビラ配りをした。今日は職場大会が開かれる・・・(以下略)」。

 6月16日

 「東大文学部4年、樺美智子、警官隊の靴に踏みにじられて圧死。彼女は殺されるかもしれないと考えていたそうだ。白いハンカチと財布しか持っていかないようにしていたそうだ。デモに行くたびに死を覚悟して門を出てゆく。若い美しい命を警官隊の泥足によって踏み殺されてしまった。

 何万というデモの群。東京では、雨の中を抗議のデモ。こうもり傘がぎっちり並ぶ。

怒りにもえた顔。黙っているわけにいかない。何もしないでいるわけにいかない。われわれに魂がある限り、われわれに手や足がある限り、われわれは叫び、こぶしをにぎり、腕を高く挙げしっかりした足取りで出かけてゆくだろう。

  圧制者よ くたばれ!  民主主義の破壊者よ、去れ

  ファシストたちよ  消え失せよ

  平和を愛し自由を守り  民主政治を高らかに謳う人民たちが

  圧制者を押しつぶすときが  やがてくるだろう

  限りなく前進、日本の人民万歳!

 アイゼンハワーの訪日は無期限延期された。日本の民衆の勝利の日が近づいた。ここに人民の歴史が始まる。歴史の新しい扉が朗らかな音を立てて開かれるのだ」。

 途中の5行、詩になっているかどうかわからないが、今読むと過激な表現にも見える。しかし、あの頃には別に過激でもなんでもなかった。

戦後の日本は新憲法体制と日米安全保障条約のせめぎ合いである。安保に反対することは憲法を守ることだった。安保改定は阻止できなかったけれども、その後、政府は集団的自衛権などというものを主張することが出来ず、自衛隊を海外に派兵する道を阻まれてきた。

 (2)法と道徳

昔の高校の教科書『政治・経済』(1978年版)に、法について大略次のような説明がある。数種類の教科書があるが、全て文部省の指導要領にもとづいているから、どの教科書も、表現は多少違っても本旨は同じである。中学の教科書も易しく書いてあっても同じだろう。全国で何十万、いや何百万、いや,もっとかもしれない数の生徒たちがそれで学習した。「法と国民」と題された一節を紹介する。

 「今日では、国家の政治は、ふつう一定の規則、すなわち法を通じて行われる。法は道徳とともに社会規範の一つである。道徳は国家によって強制されず、個人の良心によってささえられ、違反しても社会からの非難をうけるだけである。これに反して法は、社会秩序を維持するために、国家権力によって国民に強制される社会規範である。現代では、ほとんどの国家が憲法を最高法規とする複雑な法の体系を持ち、それによって統治がおこなわれている。このような国家は法治国家とよばれる。法治国家は、法によって権力の恣意や専制を防ぐことをたてまえとしている。法の内容が民主主義をめざしていないならば、わるい意味での法律万能主義の官僚的な国家がつくられ、国民の権利は保障されない」。

 この文章では、もちろん、憲法と法律はともに法である。共に国民に強制される社会規範である。今日の憲法解釈とは全く違う。法律は国民を縛り憲法は政府を縛るなどという思想は当時にはなかった。だから、「国民は憲法を守らなくていいんですよ」といわれて唖然。この教科書の続きは以下のとおり。

 「法が国民の権利や幸福の保障をめざしているかぎり、法は国民にとって守りやすく、また国民が法を守ること(順法)が大切な道徳となる。だが、法が国民の人権を抑圧するような内容を含んでいるばあいには、民主主義に反して国民の幸福も奪うから、尊重されないことになる。そのような法がうまれたばあいにはまず法律によって認められている方法、たとえばわが国では、請願権の規定や裁判所による違憲立法審査制による違憲法令審査制を生かして、その是正をはかることができる(中略)。しかし、もしこれらの手続を最大限に用いてもなお悪法の是正ができないとすれば法に対する抵抗が生ずることになろう。アメリカ独立宣言やフランス人権宣言には、圧制に対する抵抗の権利が不可譲の基本権の一つとして宣言されている。このような意味での『抵抗権』は、もともと自然法思想にもとづいて主張されたものであり、請願権や違憲法令審査制はこれを制度化したものとみることができる。人権の尊重が近代民主主義の基本的原理であることを考えるならば、人権の抑圧に対する抵抗の権利は、民主政治の根底にあってそれをささえるものであるといてよいであろう」。

  この説明では、すでに存在する法についてであるが、これから作られようとしている法案に関しても同じだろう。わが国の憲法には国民の憲法尊重・擁護義務についての明文化された規定はない。わが国だけでなく、基本的にはどの国の憲法にもない。今まで見てきたように(このブログで何回も論じた)、当然のことは書かないのである。抵抗権についても同様であり、憲法に明示なくてもある。昔、憲法を習ったときにもそう教えられた。「アンポ反対」のデモは抵抗権の行使などというほどのものではないが、威圧するように壁を作る警官隊を見ると、これも抵抗権の一種なのかとも思う。安倍政権の戦争法案に反対して国会を取り巻く人々、もちろん、集会の自由や表現の自由で保障されているが、もう、抵抗権の行使の段階に近づいている。集会に参加できない人だって、憲法を守ろうと自分のできることをやろうと決意している人は多い。その一人ひとりが憲法を守ろうという決意をもって行動している。憲法擁護は自分の責任でも義務でもないと思っていた若者たちも、守るための戦列にどんどん加わりつつある。別の表現をすれば、上記の教科書にあったように、法は個人の良心によって支えられるものでもある。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(本日のメモ・その1)

「政治学者丸山真男の『政治の世界』に、1960年5月の講演「現代における態度決定」が入っている。岸内閣の安保条約改定への反対運動のさかりの時のことだ。

 講演で彼は、あるイタリア映画を例にひく。第2次大戦中刑務所での場面。闇商売でつかまった男がいう。『自分は何もしなかったのにこういう目にあった。抵抗運動もしたことがないのに』。『何もしなかったのに』と繰り返す男に、抵抗運動の指導者が言った。『まさに何もしなかったのがあなたの罪なのだ』。男は問う。『それじゃあなたは何をしたのですか』。指導者は『私はただ義務を果たそうと思っただけです。もしみんながそれぞれ義務を果たしていたならば、たぶん我々はこんな目にあうことはなかったでしょう』」。(「政治断簡・『なにもしない』ことの責任」秋山訓子、朝日新聞2015・7・19から借用)。

(本日のメモ・その2)

「第99条の憲法尊重擁護義務は、およそ立憲秩序が存立する以上、当然に憲法が予定する義務であって、詳しい説明を要しないだろう。この義務は、個々の実定法的義務にもまして原理的・包括的なものであって、実際には同時に民主主義的秩序への忠誠義務をおも意味するものである。第99条が、国民について何も語らず、天皇および公務員だけに擁護義務を示していることが、国民の憲法尊重擁護義務を当然の前提としていることは、第1章で述べたとおりである。この高次の原理的義務は、それへの違反に対する法的サンクションは直接には伴わないのであるが、それを不断に政治の場で確かめることによって、国民がその実効性を担保してゆくことが肝要であろう」(小林直樹『憲法講義』上、1976年刊)。 

 (本日のメモ・その3)

 「戦争に心躍らせるのは新兵のみ、戦争を経験した者はそれに近づくのを心の底から恐れる」(前5世紀ギリシアの抒情詩人ピンダロスの言葉。マイケル・マクローン『ギリシア・ローマ古典』甲斐・大津訳から)